お金を”正しく”使うことの大切さ / I am learning how important to use money “wisely”

お金を節約して貯金をする。不要なものは購入しない。そういった、生活コストを切り詰める姿勢は限られた収入の中でやってゆくためにも,将来の必要に備えるためにも重要な姿勢だと思います。

ロシアで生活している頃から交友が続いている一人のロシア人の友人は、どうも全く違う人間のようです…。他のロシア人の友人に聞いても,彼はどうもロシア人の中でも普通ではないように思えます。持ち家を売却し,そのお金を利用してキャンピングカーを購入。自分はこれに住んでどこでも行くんだ,と言っていたものの,どうやら冬は寒すぎて車で寝泊まりは断念。結局友人の家に泊めてもらっていたとか。また,彼とずっといると同居している人は時々耐えられなくなるのか,喧嘩をして2,3度家を追い出されたことがある,と語っていました。今ではロシアの田舎町の山小屋に住んで自給自足に近い生活を送っています。初めて出会ったばかりの人に、「今度遊びにおいでよ。」と言われると、― それは社交辞令に近いこともあると思いますが ― その言葉をそのまま信じるタイプです。この前はウズベキスタンへ、今度はベラルーシが自分を呼んでいる、とか。まったく次は何を考えるんだ…と誰しもが思うのですが、それでもそんな彼をみんなが愛しています。ウクライナ侵攻が始まりロシアへの送金が閉ざされるまでは送金を行っていましたが、今では細々と年金でなんとかやりとりしていることと思います。

最近送ってきてくれた画像には,懐かしの仲間たちがそこに写っていて、カフェで皆で過ごしている様子でした。その友人を見ていて感じるのは、お金の本当に大切な使い方のことです。心を許せる友達がいて、その交流を楽しむためにお金を使うことの大切さ。私の友人たちは,モスクワに住んでいる頃には彼らの自宅にもお邪魔して交流を楽しんでいましたが,その生活ぶりを知る限り決して裕福な生活を送っているわけではありませんでした。その日をただただ懸命に生きている。そんな彼らが、お金の力を利用し、日頃楽しめない場所で楽しくおしゃべりする時間を過ごす、そういった時間を生み出すために使われるお金は非常に価値がある、という事実。

ウクライナにいる友人の話を聞くと、戦争の影響で仕事を失ってしまい今月の家賃を支払うお金が無い、という状況に陥っている人もいます。そんな中でもお金を出し合ってお互いが助け合って生活をしています。他人のために使うお金には,自分が欲しいものを購入するために費やすこと以上の価値があると思います。友人から感謝され,友人たちが貴重な交流の時間を持つことができる(そのお金で経済も回る)。お金の使い方によってはお金では測れない人の心まで十分に潤すことができる。そんな目的のために活用されるお金の大切さ。正直なところ、お金を払いさえすれば手に入るもの、そこにある幸福感は持続しないですから…。

彼から、「手元に残っていたお金を賢く使うことにしたよ」というメッセージと共に届いたカフェの様子の動画を見て、このブログの記事を書くことにしました。彼の言葉を見て、なんかこの生活の仕方、無茶苦茶だけど、なんと逞しいのだろう…と思います。一体、明日からの生活をどうやってゆくのか。それでもいつもニコニコしてサバイバルしている彼を見て、お金の価値を考えさせられました。

同じ情報を人は自分の見たいように見て、聞きたいように聞くという事実 / The fact that people see the same information the way they want to see it and hear it the way they want to hear it

テレビを見ていないので、ニュース動画は専らYoutubeで流れてくるものを見ることが多いですが、ニュースで目につくのは西側のメディア。日本の専門家が解説している動画もそのほとんどが欧米と同じ論調。ロシアに否定的な見方が主流です。

一方で、ロシア国営のTass通信, РИА НОВОСТИ, RTを見ると目にするのはロシア側を擁護する内容。

「ヨーロッパの軍隊はロシアに侵攻する準備をしている」

「ウクライナ軍はドネツクの平和に暮らす一般市民を攻撃した」

「世界は西側諸国の罪と過ちのために長いこと代償を払わなければならない」

パッと見るだけでもそんなタイトルが目に飛び込んできます。

以前に見たビデオでは、ロシア国内でもボランティアたちが兵士のために暖かい衣服をミシンで縫っている様子が映し出されていました。彼女たちの内心は分かりませんが、駆り出される兵士のために出来ることを行い、闘いに勝利するために国のために皆が貢献しましょう、という国民の意識を高揚する目的もあるのでしょうか。

一方で、西側メディアでは兵士たちが約束された手当がいまだに履行されていないことや、お粗末な訓練について不平不満をぶちまけている様子を映し出しているものがあったのを覚えています。きっとその一つ一つの情報は正確なのだと思います。しかし、それらが映し出しているのは全体の中でのわずかな一部。でもそれが全てだと思いたい。そんな風に自分たちの意識の中で勝手に想像がふくらみ、それが思考の中で徐々に、あたかも事実であろうと確定してゆくのだろうかと。

人は自分の見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。何が正しい情報で何が間違いであるか、その理解をするのがますます困難な時代になっている気がします。以前にモスクワで働いている時、一スタッフが言っていたことを思い出します。「きっと、昔から今見聞きするような凶悪犯罪は存在していたはず。いまはIT技術が進んだことで、以前には見聞きしなかったことを簡単に入手できるようになった。そのために世の中が悪くなったように感じるんだ。」といったことを言っていました。素直にその通りに賛成はしませんが、言えることは、Youtubeでもロシアの兵士がウクライナ側の攻撃で倒れていく様子が毎日のように配信されているという事実。いまこの同じ時間に別の場所では戦争が起きていて、兵士が倒れていく様を撮影し、それがすぐに世界に広まっている…そんな時代に生きているということは確かだと認めざるをえません。

情報を取ることは大切ですが、常にその内容を吟味すること、自分の感情の向くままに内容を解釈をしてしまわないことの重要性を認識させられる日々です。

(参考情報)

Донбасс. Геноцид. 2014-2022

「ドンバス。ジェノサイド。2014~2022。」きっとこのサイトをずっと眺めていて、読み込んでゆくと、知らずのうちに自分の思考がロシア政府の意図するようにコントロールされてしまうのかもしれません。(不快な画像も含まれていましたので、閲覧にはご注意ください)

“Украина за 30 лет столько не сделала”.

РИА НОВОСТИの中で一点興味深いものがありました。この記事が発行された日付を見つけることができなかったのですが、「半年の間にマリウポリでは新しい集合住宅が22棟建築された」ようです。この記事のタイトルにもあるように、アナトリーという住民は「ウクライナ政府はこの30年間、何もしてこなかった」と強く訴えている様子です。今では、学校はロシアのシステム“Дневник.ру”と連携されていて、親は子供の成績、授業のテーマもオンラインで把握することができるとか。記事の写真を見ると綺麗なアパートが建設されている様子が分かります。もしウクライナが再びマリウポリを奪還するのであれば、再びこの場所で砲弾が飛び交い、アパートは破壊されるのでしょうか…

記事の最後では、

Все мариупольцы, добавляет она, хотят поскорее забыть пережитый ужас. И надеются, что их город не просто быстро восстановят, а сделают еще лучше.

РИА НОВОСТИの記事より

「マリウポリの全ての住民は、経験した恐怖をすぐにでも忘れたい…そして、自分たちの街がすぐに元通りになるだけでなく、さらに良くなることを望んでいます。」— という住民の言葉で結ばれていました。

この同じ事実を、もしウクライナを支持するマリウポリの住民が語るとどのようになるのでしょうか…。