ロシア人が見た日本人ー日本の礼儀正しさについて / The Japanese through the eyes of Russians – about Japanese politeness

NHKロシア語ラジオ講座の6月号の中で、日本人講師と一緒に講座を担当しているロシア人パートナー、「イリーナさんに質問」というコーナーで「おっ、自分が帰国して感じていることがまさにここにある。」と感じたコメントがありました。(なお、6月号の「ロシア人が見た日本」は、1861年に箱館のロシア領事館に赴任して、約半世紀を日本で過ごした宣教師ニコライ氏の日記が取り上げられていました)

「日本の礼儀正しさ…は、極端に、丁寧すぎるくらい丁寧なのですが、その丁寧さは機械的に身に付いたもので、心がこもっていないのです。…その礼儀正しさにはとてもいらだつし、からかわれているようにも受け取れます。」

私が感じるのは、大概のお店の店員の態度は、言葉そのものは丁寧さがあるものの、その言葉には感情がこもっていない。どこかしら早く行ってくれという雰囲気すらある、というもの。 

近所のスーパーのレジに並んでいても、決まった動き、決まった「ありがとうございました。またお越しくださいませ。」の言葉。お辞儀をしながら体勢はすぐに次のお客さんのもとへ。何かを期待するわけではないけれど、ロシアのスーパーで淡々とレジでモノをさばく接客のほうがずっとシンプルな気がする。支払いでこちらが戸惑ってしまうと迷惑そうな顔。ポイントカードの提示が遅いと(といってもそこまで遅くはない)イライラ度が募っているような雰囲気こちらにも伝わってくる。 

意外にも、時として日中に利用するファストフード店で接客をしてくれているレジの高齢の女性。スピードがとても速いとは言えないけれど、温かみをずっと感じる接客に微笑ましくなることがある。 その接客にはお店の接客マニュアルに収まらない、人生経験の豊かな人のどんなものをも包み込んでしまう大らかさがそこにあるように感じられます。

以前にモスクワで勤務していた時、モスクワJALによる“日本のおもてなし”の講習会を開いていただいたことがありました。日頃から利用いただいている日系企業の皆さまに無料で提供しています、ということでオフィスまで来ていただき、広い会議スペースで社員を集めて日本のおもてなしとは、を学びました。日本の文化に触れる点では価値があったことに間違いありません。お辞儀には角度があり角度が大きくなるほどより敬意を示す度合が大きくなること。お店でお客さんが購入してくださったときに袋の口をふさぐテープの掛け方。テープをかける際にはお客さんがあとで取り出しやすいように片側の端は接着面を重ねて止める。そのような細かい配慮が日本のおもてなしだという。率直な感想を話すならば、そのような形にこだわるよりもそこの感情が伴っていなければどうなのだろう?と。形だけのおもてなしで中身がなければ、余計にがっかりしてしまう点で日本のおもてなしは紙一重なのかもしれない。

ところで、ファストフード店でも牛丼屋でも注文したものが運ばれてきたときの店員の言葉は「ゆっくりお過ごしください。」しかし、お客さんにずっと長居されると困るのが本音であることは周知の事実。そうであれば、「出来立てです、どうぞ熱いうちにお召し上がり下さい。」といった別の言葉にしたほうがずっと正直で良いのでは?と思うのは私だけでしょうか。言葉の意味を考えてしまうと違和感を感じてしまいます。 

モスクワの中心、赤の広場に接するレストランで大切なお客様を接待したときのこと。テーブルを担当するウェイターには、全てがうまく運ぶように事前にお願いをしておき、実際に食事の場は我々の会話が大変スムースにはずむ素晴らしい接客を行ってくれた。支払いの時、この若い男性は「今日、自分は出来る限りのことをしたのでその点も考慮してください。」と耳元で伝えてきた。ここまで直接的に言われたことは初めてで一瞬戸惑ったけれど、それだけのことをしてくれたことに対して直接訴えてくるほうがずっと潔いのかもしれない。実際にそれだけのことをしてくれたことに対して感謝を示したいと思うのが自然だと思うし、そこには顧客のために仕事を全うするプロフェッショナルな姿勢と感情もあった。

そういえば、こうして書いていて思い出されるのは、夜に外のテラスに座っていた別のレストランでのこと。照明も少なく暗い中でパソコンを開いて仕事をしたのだが、何も会話していないのにも関わらず、ウェイターがわざわざ別の場所からライトのスタンドを運んできて明るく照らしてくれる配慮もあった。すべてのレストランで常にベストの接客に接するとは限らないし機嫌の悪い人は悪い。それでも、今回はどんな接客が待っているのだろう、とハラハラドキドキ(?)の接客のほうが、安定してはいても機械と化した人間の接客を受けるよりもずっとよいのかもしれません。

日本人の礼儀正しさは…、極端に、丁寧すぎるくらい丁寧なのですが、その丁寧さは機械的に身に付いたもので、心がこもっていないのです。

NHKラジオ講座6月号 p.120より(ロシア人パートナー、イリーナさんの言葉)

レストランの接客と一般のスーパーでの接客を同じ土俵で比較することは間違っているのかもしれませんが、接客ももっと自由で会話のある自然で人間的なものになれば良いのに、と日頃感じていることを書き連ねてみました。自分自身を客観的に振り返ってみて、自分自身にも出来ることがあるのかな、とも思います。会話はそもそも苦手ですし、なかなかその余裕もないとしても、こちらが感情を込めてしっかりとお礼を言う。今すぐにでもできることから日々努力中です。