お金の使い方の上手い、と、下手 / Being good with money or bad with

お金の使い方がうまくなる必要があると想っています。
基本の基本は、人がお金を使わなければ経済が発展しない、このシンプルな原則です。将来に不安を抱えるから今はできるだけ節約をして将来に備えよう。皆がそれをしてしまうと国の発展も止まってしまうはず。私は100円ショップが好きで、日本に帰国すると気をつけないと時間を忘れて長居してしまいますが、何でもとにかく安いものしか買わずに多くのお金を貯めようとすること、まずいと思います。実際にお金が溜まりますが、ずっとその思考で毎日を生きていると自分の思考が狭まり、常にお金のことを考えてしまい、お金を払えば得られていたであろう知識、経験を得そこない、結果的に自分の教養のレベルが低くなり、自分自身が安くなってしまいます。かといって何でもかんでもお金をかけられるわけがない。

自分の生活レベルに合わせて、お金を不要なものにはかけず、かけるべきものにはかける。そのバランスです。そしてそのバランスを見つけて、維持することが一番難しいところではありますが。

人はもちつもたれつの関係。

お金を介してお互いに笑顔になれます。相手は収入をえて、こちらはサービスの対価、あるいはモノを得る。会話が生まれる。今では多くのオンラインショッピングが広がり、お金自体を財布から相手に直接渡すことも少なくなってしまいました。便利な世の中ではありますが、お金のやり取りを直接行うことから生まれるちょっとした会話、笑顔、人として本来大切なことを失ってしまったのかもしれません。
自分への「投資」将来の老後に向けた生活を考えて今からけちけちしてもどうなのでしょう。死ぬときには貯金残高ゼロで死ぬ、それが最高です。といっても、いつ死ぬかわからないので老後のためにコツコツ貯めるのですが…。将来何があるか分からないからこそ貯めなければいけないのはわかっている、ただし、それが理由で今現在必要なお金まで意識的にセーブしてしまうこと、それによって今の自分への投資を忘れてしまってはどうしようもないと。

祖母が入っている老人ホームにゆき、まるで赤ん坊のようになってしまった老人の方々の様子、私のことも全く分からず他人と思い、3分経てばまた同じ質問を繰り返す祖母。そんな様子を見ていると、長生きすることが本当によいことなのか?私には分からなくなってしまうことがあります。

啓発本を定期的に購入しているとすれば、そのお金は無駄な投資です。次から次へと新しい啓発本が出てきますが、お金がもったいない。私は立ち読みでパラっと目次をめくり、気になった部分だけ目を通す。世間で話題となる本は、確実にその本のサマリーを書いてくれるブロガーがいることでしょうし、そのエッセンスをタダで知ればそれで充分ではないでしょうか?これは立派な盗みという人もいるかもしれませんが、文字も大きくて文字間のスペースも十分に取られた内容も中身も薄い昨今のノウハウ本。ありきたりのことを書いてばかりの内容で1千円以上とるのも立派な盗みではないでしょうか…。以前は頻繁に購入して成長した気になっていた自分がいます。ロシアに赴任する前にすべて中古本屋の出張買取にお願いした玄関前に並べた本の数、おそらく優に100冊を超えていたはずです。

私の経験から言えるのは、啓発本を読み漁っている時期は自分自身に自身がなくぶれている証拠。それで何かに頼ってしまい、啓発本やセミナーにでかけることで他に拠り所を求めているのだと考えています。

啓発本を決して批判するつもりはありません。必要最小限の自分自身にとってためになるものを見つけたらそれを実践してみながら自分に最適な方法を探っていくこと。ビジネス啓発書でも古典と言われる名書があります。尊敬している友人、上司、同僚におすすめを訪ねて、彼らから薦められる本を中心に選択するのがよいのでしょう。尊敬している人の頭の中をその本を通じてのぞけるチャンスかもしれません。

中古屋でわずか100円で購入した「人間の魅力」。そのタイトルに惹かれて購入しました。小さなそれほど厚くない本ですが、その辺の啓発本よりもずっと価値があります。何度も読み返し、今でも手元に置いています。


旅行先でのタクシー代のケチり方

これは人それぞれの考えがありますが、時間をかけても安い公共交通機関でゆくのか、時間がそれほどないためタクシーを使用し、ドライバーとの会話も楽しむか?ロシア地方都市にゆくと驚くほどタクシー料金が安いです。そんなお金をけちるよりも失う時間を憂います。毎回ドライバーとの会話は楽しみでもあります。一方で、ローカルの路面電車に乗って誰とも会話せずに窓の外に流れる街並みを楽しむことも素敵な時間です。ケースによって使い分けています。


付き合い、飲み会

これも時間とお金の無駄遣いの要員の大きな一つではないでしょうか。何よりも二度と帰ってくることのない時間をどれだけ有意義に過ごすことができるか?分かります、食事やお酒を通してお互いに親睦を深め、情報共有をし次につなげる。重要です。ただし、それはより役職が上のの方々にとっては重要な職務の一つとしても、私のような管理職を担う人にとってそれほど機会は多くないでしょう。結局自分の優先順位がなにか?それが「時間」であれば、その場の数時間を楽しむだけの飲み会に誘われるがままに出かけることは有益なこととは思えません。この時間が自身にとっての大切な息抜きであればもちろんそれは欠かすことはできません。とは言っても、自分にとって本当にリラックスできる仲間との時間、というのはお互いに生活があり、忙しいこともあって、毎週何回もあるものではないはずです。やっぱりそれなりに付き合いや飲み会にもある程度の相応しい時間の掛け方があるものと考えています。
飲み会に行っても、仮に知り合いは広がったとしても自分にそれだけの価値がなければその後に何もプラスが無いことを実感しています。自然と人脈が広がる人というのは飲み会に顔をださなくとも相手からやってきます。日々の努力を怠らないこと、訳s九したことは守って行うこと、そういった当たり前のことを当たり前にやっている人が結果的にすごい人になっている、周りはそんな人のところに自然と吸い寄せられる。それが真実ではないでしょうか。私もそうありたいものです。

「自己投資」と「浪費」は表裏一体

一方でこれは投資だからという理由で過度に高いホテルに泊まってみたり、電車でえらい高いクラスを体験すべく購入してみたり…それはそれで経験としてありなのだと思いますが、身分相応というものがありますし、私の限られた収入の範囲でバランスの取れた、自分に見合った投資をしてゆくことを心がけています。本当に人間の欲、というのは恐ろしいものですね。自分自身もふと冷静に過去に支払ってきたホテル代など考えるとぞっとします。
つまり、自分にとって大切ではないことに対してはとことんお金と時間をかけないことがますます大切なんであろうと。自分にとって大切なものがあり、そちらに全力投球するためにはほかのものを犠牲にする必要がある。

さて、モノを多く保有する、長期ローンを抱える。お金に縛られることになり、避けたいものです。(持ち家を持つ・持たないは単にお金の損得の問題ではないので単なるお金の問題ではありませんが)ロシア人スタッフの中には、アパートを20年以上のローンを組んで購入した人がいました。ロシアの金利は高いこともあり、とんでもない金額が金利で取られてしまいます。お金に縛られると、人はお金に対する執着が半端ない。恐ろしいくらいに人が変わる。辞めてもらう時の退職金積み増しの会話を通じて、人はこうも変わるのか…恐ろしいと思った一面でした。

自分の感情ノートをつけることが自分を知り、チームのロシア人スタッフを知るのに役立っています / Keeping to write your emotion in notes is a good way to get to know yourself and the Russian staff in your team

モスクワでは3月30日から全淳民に対して自宅隔離が強く要請されています。食料品や薬局などの市民の生活に不可欠な仕事を除いて一般的な企業は今週は有給扱いとなっています。そんなわけで私も自宅に閉じこもって仕事をする日が続いています。人が集まる場所も入り口がテープやフェンスで閉じられています。人との間は2mの距離を保ってください、とのことです。3月の終わりに雪が降り、街中が白でおおわれています。

日々の業務で自分の感情が高まる場面があります。その理由がなぜか?自分自身でその時の状況とその時の感情をノート(OneNoteやEvernoteといったオンラインのノートブック、メモ帳も活用)につけることが役立っています。

そうすると、なぜこの時に自分はイラっとしたのだろうか、なぜこういった時に自分は嬉しいと感じたのだろうか、徐々に自分の中での価値基準が見える化できてきます。そして、同様のことを他の人にした時にはきっと彼らも同様な気持ちを抱いているのではないか、と思えるようになります。

一つ一つの相手の感情を気にしすぎていると、逆に自分のの動きがとれなくなってしまう恐れがありますが、それだけ相手の気持ちも推察することが出来たうえで自分の行動ができるとすれば、損することはないのではないかと思います。

私自身がイラっとすることの多くは、とりわけ私の時間を意味もなく取られることです。その会話によって仕事への集中が阻害されること。電話がくること。別に必ずしも電話でなく、SMSでも問題ないのでは、と思います。自分の集中を切らされることに非常に敏感です。そんなわけで人の足音も気になります。歩き方一つをとっても周りに圧迫感を感じさせる人もいれば、ただただうるさい人もいる、歩き方にも人それぞれの個性が表れていて面白くもあります。人の業務中にどかどかとやってきて話し出す人。考えもなくとめどなく話されても困ります。その人の時間に対する意識がその人の行動、態度に表れているようです。言うまでもなく、延々と続く会議も非常に嫌悪します。

大切だな、と思っているのは、自分がどういった場面で感情のパルスを乱されるのか、毎回記憶しておくことです。今年の冬、モスクワ郊外の英雄都市Tulaからモスクワに帰る電車の中で私がテーブル上にパソコンを置いて仕事をしていると、ご老人がのぞいてきて、お~Interestingだ、なんだこれは、стажер(学生)か?、と尋ねてきました。いや違います。何ですか?と笑いながらロシア語で返すも、シトー(What)?と顔をしかめて何を言っているかわからない、と一点張り。そちらから声をかけてきて、こちらも間違ったロシア語で返しているわけではないのに。しかめつらで全く理解ができない様子。単に耳が遠いのかもしれないですが、このようなやり取りは疲れも手伝ってイライラさせられました。それはないですよね。こちらはパソコンに向かって集中していたところを邪魔されて、それでその態度ですか…と。イラっとします。

そんなちょっとしたことでも、あっ、相手に聞き返すときにしか目面をすることが相手にこれだけ嫌な感情を与えるのか…自分はやってはならない。という教訓となります。そんな日々の積み重ねを重ねて、記録し、振り返ることで日々の地道な前進があるのでしょう。

それにしてもやっぱり完璧主義は絶対よくありません。自分で疲れてしまいます。自分に独りよがりの期待値を上げてしまい、精神を病んでしまってはどうしようもないと思いますので…。時分自身への期待値を過度に高めないこと。自分の中で今の自分に相応しい負荷レベルを見つけ、それを徐々に高めてゆくこと。日々これの繰り返しでしかないと思います、自分の成長というのは。この相応しい負荷のバランスを見つけることも難しく、これもまた日々自分で負荷のかけ具合をかえてゆくことでしか自分の現時点の能力を理解できないと思われます。