ロシアで仕事をする中で見つけた人事関係のおすすめ本 / Recommended HR books I found while working in Russia

私がロシアに来て人事を経験してみて、決して多くはありませんが自分なりに手にとってよかったと思う本をいくつかあげてみました。

戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ(八木洋介 金井壽宏)

人事という仕事の全体の概要と人事として取り組むべき仕事を掴むにあたり大変勉強になりました。この本にも出てきますが、GEで大変有名であったナインブロックの評価制度が今では廃止されています。そんな風に、過去には多くの方が高く評価していた制度が時代と共にその地位を失っていくという事実も人事制度の面白い部分だと感じています。

ワーク・ルールズ! / WORK RULES! (Google人事担当上級副社長 Laszlo Bock) 

数年前に一時帰国して本屋に入った時、棚積みされているsyい本が目に飛び込んできました。手に取ってパラパラとめくってみて…。まだ人事とはなんぞや?という初歩の初歩であった私には衝撃を受けた内容でした。その後もロシアに戻ってからもどれだけ読み返したことでしょうか。この本がどれだけ良かったかを人に説明すると、「でもそれはGoogleのような会社だから昨日するのではないの?」と指摘されました。それも確かかもしれません。それでもこの本にある幾つかの内容を実際に実務に取り入れたことは良い経験tのなりました。

人を動かす / How to win Friends and Influence people (Dale Carnegie)

この本はビジネスパーソンにとっては誰しもが聞いたことがある一冊でしょうか。

ずっと昔に読んだきり、すっかり忘れてしまっていましたが、今の自宅隔離が始まる前にオフィスの棚を見返して見つけました。これを機会に改めて読み返しています。人としてありたい姿でいるための原則が載っていて、このジャンルの本はありふれていますが、この本一冊で十分ではないでしょうか。

戦略人事マネジャー / Roadmap to strategic HR: Turning a Great idea into a business reality ( Ralph Christensen)

この本の通りに出来て入れば、何も言うことはありません…人事の役割の在り方と将来的な目標を見据えるうえで勉強になりました。私の勤める会社は戦略人事なんていう以前に従業員の出社時間の管理、社内の書類の整備、身の回りの整頓をすること…そんな初歩的なレベルからスタートですが。 モスクワの多くの日系企業は設立十周年を越えたくらいの若い、小中規模のものが中心です。大企業から駐在員としてやって来ると日本にいた時の感覚で物事を考えてしまう危険があるかもしれません。どんなに本社の制度は立派でも、現実のいまここにいるモスクワの会社はあくまで中小企業であることに変わりはありません。その規模に応じたその会社の成長度合いに応じた人事制度を取り入れることが重要である。それを失敗から学んできました。人事制度は同じことであっても、この会社では正しい。しかし別の会社では間違いというケースが生じます。本に書かれている”正解”をただ受け止めるのでなく、まずは自分の会社の実態をよく把握し、その成熟度合いに応じた相応しい制度が何かを理解すること。それを取り入れて段階的に向上させてゆくこと、この取り組みが重要だな、と。この本について言えば、人事精度のベースが確立された大企業の人事担当者に一層必要な内容であって、私が働くモスクワのような小さな会社には程遠い内容でした。ただし、将来、このような人事制度をこの会社に作ってもらいたい、それがあなたたちの任務ですよ、という願いを込めてロシア人スタッフにも訴えてきましたが、まだまだこれからです。

MBAの人材戦略 / HUMAN RESOURCE CHAMPIONS (by David Ulrich)

(なぜ、この英語のタイトルがこのような日本語のタイトルとなるのか分かりませんでした)

具体的な会社事例が取り上げられている点が有益でした。この本に対する印象も上記の本に対するものと同じです。

なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣4.0 / The Personal Efficiency Program 4th Edition (Kerry Gleeson) これまたひどい日本語訳…と思うのは私だけでしょうか。といってもこれに惹かれて購入したのが私なのですが…

数多くの技術的なノウハウ本を買っては全く身につかず無駄にしてきた私ですが、この本はずっと昔に購入し、その内容を気に入っていて今でも時々目を通しています。ロシア語の翻訳版もモスクワで見つけたので、マネジャーの数だけ購入して全員にプレゼントをしました。きっと役立ってくれていれば嬉しいです。

計画を立てるもののそれに満足しているだけであった私にとって「とにかくすぐやる」ということをこの本を読んで学びました。つべこべ言わずとにかくやること。今でこそ改善されていますが、昔はひどいものでした。他にも週ごとの計画を立てること、他人とのコミュニケーションの取り方。新しいことでも21日間続けるとそれが習慣となること。今こうやって書きながら見返していても改めて学ぶことがあります。書いてあることは決して特別なことではなく原理原則ですが、これを実行し継続することが難しいですね。また、ここでは詳しくは書きませんが、仕事スキルとして他に重要なこととして、このような原則を学んだ後は日々自分のやり方を見つけるために変化を付けて改善してゆくこと、自分の業務に要する時間の見積精度能力を高めること、その仕事をやると決めたらやりきること。これらが仕事をする上で大切だな、と考えています。

HR в борьбе за конкурентное преимуществе (Дейв Ульрих и Уэйн Брокбэнк)

この本David Ulrich氏の本の翻訳版で、中身は大企業向けのような印象です。戦略的な人事部を作り上げてゆく上で必要な内容がぎっしりとロシア語で書かれています。本屋で色々人事に関する書類を漁ってみたなかで、非常に硬い内容ですがこのような本もあってはよいではないかと思いロシア人スタッフにプレゼントしたものの誰も読んでくれませんでした、いまのところは。

Год с Питером Друкером 52 недели тренировки эффективного лидера (Джозеф Мачиариелло)

この本は、ピーター・ドラッカーの教えを毎週1つずつ学習し、1年かけてリーダーとして成長しよう、という試みの本です。コンセプトが面白くて購入してみました。スタッフにぜひやろうよ、と言ったのですが…。いつかは必ず、ロシア人スタッフの力によって取り組んでくれる日がくることを願っています。

ずっとロシアに長いこといるために日本の書店の様子を深く知りませんが、私が思うに現在出版される人事関連の本は技術的な部分に特化しているものが多く、どれだけたくさんの本を読んでも、お金と時間をかける割に得られるものが少ないのではないか、というのが私の考えです。むしろ、古くから存在する古典的なビジネス書に絞り、その内容を反芻するほうが効果的であろう、と私は考えています。

また”人事”という仕事は決して人事部に所属しているから、人事部の人間の仕事です、というのは誤りで、どこにいて働こうが必ず仕事は人があって回るもの。一対一の関係が始まるところから人事という仕事はスタートするのであり、決して人事部のみが担う仕事ではないということです。しかし、人事部は会社全体の仕組み作りを整える上で大きなイニシアチブが取れる部署であり、全体を巻き込んでいく上で重要な要であるということは事実です。私の経験からすれば、ロシアで長いこと人事の仕事に携わってきましたが、全体を巻き込む力や意欲を持ったスタッフに出会えることはなかなかそう多くありませんでした(それは会社が採用できる給与のレベルや採用を決定した会社側の問題でもあるのですが)。人事部としてロシアの細かな手間暇のかかる書類作り、最低限の制度作りをやるものの、それを運用していくのは各部門のマネジャーの仕事であって私の仕事ではない、私は人事であるから他の部門の仕事を把握することまでは仕事ではないです、といった線引きをするスタッフが多い印象です。といっても決して拒絶するわけではなく、線引きがある状況から徐々に意識を解いてゆく過程を経て、ようやく戦略的人事、といえる分野のスタートラインに立てるのかもしれません。他の部署が何で困っていて、どんなことをしてあげればより貢献できるだろうか?それは各部門の人や仕事内容をある程度理解できないことには提案できないものですから…。

ロシアは、日本でも同様ですが、会社の人材に関する本は先進的な欧米からの本が多いです。日本は多くの日本人による著書が選択肢として豊富に用意されていますが、ロシア人著者による人材関係の本はずいぶん遅れをとっています。そんなことから、ロシアで人材関係の良書を探そうとすると数が限られること、そもそもこの分野の本自体が少ない。結果として、ロシア人スタッフと人事に関する情報共有、議論をするとなると、英語の文献をオンラインで購入する、Youtubeにある動画をロシア人スタッフと共有することも大切だと思います。母国語ではないため英語で説明する言葉は完全に各人の心に届かないものです。ですから、ロシア人の人事スタッフがどれだけ成長し、周りと共に会社の人事制度を作り上げていけるか、そして全従業員に母国語のロシア語浸透させて行けるか、これが本当の意味でのこれからのチャレンジです。 

言語学習に役立つおすすめのこと / Recommendations for learning foreign languages

人によって考えはそれぞれですが、一企業人として働くにあたって、仕事は英語で行う。これがあるべき姿だと考えています。たとえ流暢にロシア語で仕事ができるとしても、何年か経てば後任がやってくる。その後任者はロシア語は全く無知。となると仕事のやり方も大きく変わります。後任が決まったタイミングで言葉を変えてゆけばいいではないか、との声もあるかもしれません。しかし、通常業務をロシア語で回す前提で仕事が組まれている場合、なかなか英語を標準語とした仕事の回し方に整備してゆくことは骨の折れることだと感じています。ロシア人スタッフにも意識して英語を使う機会を与えること、私たち日本人自身も英語へのハードルを下げるためにも日頃から英語を生活の一部としておくことが大切に違いありません。

おすすめのYouTubeの英語学習ページ

世の中には英語学習のノウハウを説明している記事があらゆるところにありますので、ここではそのようなものに対抗しようということは決してありません。あくまで私が語学学習の中で発見した気づきや言語学習そのもにに関して感じた点を書き連ねてみました。

English with Lucy – British English

https://www.youtube.com/channel/UCz4tgANd4yy8Oe0iXCdSWfA

Subscriptionの数が本日時点で3.88M。非常に多くの数の購読者がいるページ。講師の方が綺麗、という理由も大きいかもしれませんが、この方のプログラムの中身が分かりやすく、学習に適度なスピードとイギリス英語。自分自身は今は自宅隔離のためできませんが、通勤時間に聞いたりと移動中に定期的に聞いています。私は英語の学習のためにBBCの英語学習アプリやBBCニュースを利用することが自然と増えてきて、なぜだかイギリス英語の響きが好きになりました。そういえば、ずっと昔に通っていた英語個人塾の先生はいつも「イギリス英語のあの発音が好きなの」と言っていました。イギリス英語には人を魅了する何かがあるのかもしれませんね。

Oxford Learner’s dictionaries- Collocations

https://www.oxfordlearnersdictionaries.com/definition/collocations/

英語の文章を書くときに、その言葉の次に~ingがくる?それともto do?といった文法の悩みは尽きません。私は文法が苦手ですし嫌いですし、正確な英語を何としても書こうとも思いません。間違った英語でもいいから大切なことはとにかく相手に伝わること、悩まずに早く書いて相手に送ること。社内のビジネス英語はそれでよいのではないかと。ただし、外部に書く英語では慎重になります。そんなわけで~ing?いやto do?だろうか?と考えてしまいます。そんな時、Collocationsの辞書は持っていて損はそないなあ、と感じてます。「語と語のつながり」を教えてくれる辞書。仕事中に常に眺めている余裕はありませんが、たとえ文法に関心が無いとはいえ避けて通れない道。矛盾して聞こえますが、長期的には正確な英語を身に着けることは大切であって、そのためにも自分自身で定期的に辞書を見て言葉の並びを学習しています。もしかすると、一番ベストなのは翻訳する文章をGoogle Translateでパッと処理することなのかもしれませんが…

会社がOffice365を法人契約しているのであれば、パソコンにダウンロードしているOutlookではなく、ブラウザ上のOutlookを利用すると、ワンクリックでどんな言語も英語に翻訳できる、これはなかなかよいなあ、と感じました。翻訳精度は不明ですが、ロシア語でやり取りしているメールもクリック一つで英語に転換でき、全体の概要をサッと理解するためには役立つ。おすすめです。

さて、言語学習について面白いなぁ、というTEDでのプレゼンを見つけました。

この方はこの動画投稿時点で8カ国語を操るようです。この中で納得したのは、言語の学習方法は人によって異なる(多くの人とコミュニケーションを取りながら学習する人もいれば文法学習に集中する人もいたり)、共通しているのは各人が学習が長続きするためのモチベーション維持の方法を持っていることだ(学習成果をグラフにする、学習に使う文房具にこだわるなど)、ということです。面白いですね。

私は言語を一つの音楽だと思っているので、通常の音楽を聴くように、心地よい人の声、かつ内容が関心のあるものであれば長く聞いていたいな、と思います。音楽のリズムから曲を掴むように、まずはリズムを感じ取ることが大切だと感じています。また、学生時代とは異なって時間がない社会人。そんなわけで、机に腰を落ち着けて黙々と勉強していた学生の頃のスタイルとは異なり、少ない時間の中で楽しみながら学べる。歩きながら学習する、そんな風に言語学習を別のことと結び合わせて効率的に行うことの大切さも感じるところです。例えば、ミニマリストの生活に興味を持ったので、英語圏のミニマリストのYoutubeをのぞいてみる、コンピュータが好きなので、最新機種の紹介をしている英語圏の人の動画説明を見てみる、そんな風に自分の好きなことと言葉学習を繋げてしまうと自然と障壁も高く感じずに学習が進んでゆくものであろうと思う日々です。

そして最近も改めて認識させられることがあったのですが、日頃から声に出すことの大切さ。外国語は聴いているだけでは、たとえ頭で理解したつもりでも、いざ話すとなると違いますね。思ったように声にならず声が小さくなってしまう。頭で考えていたように舌が動かず発音ができない。そんなギャップを解消するために日常的に声に出すこと。それを心がけています。

仕事を忙しくしているのは自分ではないかという疑い / Suspicion that you are the one who keeps you busy

仕事は忙しい。でもその中身が健全なものか、不毛な忙しさか、自分で冷静になって熟考することが重要だなぁ、と感じています。

見ていると、仕事の多くが不毛な忙しさで大半の気がします。そういえば何年も前ですが、東証一部の立派な大企業の経営企画に勤めていた友人は「社長向けの報告用に作成するプレゼンテーションが更新される度に回ってくるんだけど、なんと、その更新回数がXX回だった。それもグラフの位置を変えたり、言葉遣いを変えるためだけに。社内向けの資料にそれだけの時間をかけているっていったい…」と言っていました。(回数の記憶が曖昧となってしまったのですが、それは多すぎるなぁ、という印象だったことだけは覚えています)

私がロシアに来たばかりで右も左も分からない昔の話ですが、本社に提出する分量も多くない業績報告書の最終確認のために全駐在員が揃って会議室にこもり、気が付けば4時間近くが経過していました。今もよく覚えています。4時間近く座って、時には沈黙も続きながらのてにをは直し。現地のスタッフを育成し、業務を現地化してゆこう、と言っても実態は日本人で固まる。これは安心感がありますが、長期的に見ると会社とロシア人スタッフにとっては弊害でしかないでしょう。会議がようやく終わって外にでたところ、とあるロシア人スタッフから「いったいそれだけ会議室にこもってどんな会議なんでしょうか…Unbelievable」と言われました。私も同感です。その後、改善提案をしてそんな会議の方法もようやく過去のものとなりましたが…

何事も、今自分が行っている業務はどれほどの重要な意味を持つのだろうか?自分の勝手な思い込みで業務に重みを与えているだけではないか?そのように自己吟味することの大切さを噛みしめています。(以前に読んだ、”High Output Management” by Andrew S. Grove(昔のインテル社CEOの著書で経営書の中では大変有名な本のようです)では、”レポートは情報を伝える方法というよりは、”自己規律訓練”の”手段”なのである。レポートを”書くこと”は重要だが、読むことは重要でないことが多い”という興味深い指摘がありました。確かにその通りだなぁ、と思います。時間をかけるべきレポートの取捨選択は必要ではあるのでしょうが…)

というのは、自身の抱える仕事に取り掛かるにあたって、その仕事の重要さの位置づけと時間の掛け方について考えずに進めてしまうケースが多いように感じられるからです。

さて、不毛というのは自分の不注意、自分で生み出してしまった忙しさのことも意味しています。今回主に書きたいテーマです。後から降りかかってくる、「なんで当初お願いした内容と違う仕事をしているの?欲しい数字はこれじゃないんだけど…」スタッフが持ってくる報告にそう言いたくなることがあります。その元を辿っていくと「仕事を頼んだあのとき、このポイントで気が歪んでいたな、ここできっちりと自分の欲しい具体的な数値を説明せずに曖昧にお願いしてしまっていたな」といったケースが見つかります。そして、さらに、それが繰り返されることも。後で振り返ると、あ、やっぱり自分だ。またやってしまった、と。忙しさのせいにしてはいけませんし、こちらのお願いする意図をわかってくれよぉ、と部下のせいにしてもいけない。(でも人間なのでそんな気持ちもあります)

Emailでも口頭での説明でも、とにもかくにも具体的に、誰が?何を?いつまでに?どうして?具体的に書いてロシア人スタッフに渡す。このことの大切さを何度も何度も強く訴えたいです。

自分自身が考えていることは相手にまず100%のレベルでは伝わりません。ロシアで働く場合には言葉の問題もあります。同じ日本語で仕事をしていても誤解が発生しますし、ロシアで勤務していても、見ているとやっぱりロシア人スタッフ同士でも勘違いが生じているのを見ると面白いです。どこの国でもなんら変わりはありませんでした。

また、給与変更やポジションに関する人事関係のニュースなど、少々相手の意にそぐわない内容を伝える場では、気兼ねして言葉遣いも弱まり、一層相手との会話の理解に誤解が生まれるリスクがあります。きっちりと文書にして相手との面談に臨むべきでしょう。例えば、こちらはグロス金額で伝えたはずが、相手はそれを手取り金額と理解しており、あとで契約書を更新する段階になって「いや、これは自分の聞いていた金額と違う」なんてこともあり得ます。そこからまた不毛なネガティブな話し合いのための”不毛な仕事”が発生します。

自分自身の抱える仕事をいかに時間をかけずに処理できるか、空いた時間でいかに将来のための投資の仕事時間に費やせるか。これが重要だと思ってます。必要のないところは手を抜く。例えば、増える一方の報告書。それでいて依頼者はレポートを読み込まないことが多い。一体そんなレポートの完成度を高めたところでどれほどの意味があるのか?その完成度を高めるために熱意を燃やして周りに強要するならば、それは、その人の自己中心的なエゴでしかないのだろうと。そのレポートに要求される完成度のレベルをまず把握することが大切です。

仕事を一生懸命に時間をかけて、残業してでも行うから素晴らしい、という価値観はありえません。これは、限られた私の経験からしか判断できませんが、労働時間が長い=一生懸命に努力していて素晴らしい、という風潮を事実見てきています。

周りからの評価が自身のKPIではなく、自身の持つ固有の時間を大切にすることであるならば、いかに自分の時間をかけずに課題をクリアできるかが優先順位となってきます。例えば資料作り。見やすい、きれいな色付け、線の種類を揃える。そういった類のことは社内向けであれば妥協すべきだと思います。コメントも過去資料に似たものがあれば流用できます。フォント、サイズを揃える、印刷の際には画面内に収まるだろうかと、Page previewでチェックする(相手が印刷をするかもしれないので)そのような最低限のことを守ればあとはとりわけ過度な注意を払うことは不要であろうと。そう思います。

社内メールであれば、句読点もそんなに重要でしょうか?そんなことも思います。自宅勤務が続くモスクワ。メールを音声入力で作成することが増えた現在 — 音声入力だと、句読点が入らない(方法を知りません) — そんなことを考えたりしています。

今の時代、結果的に仕事の反応も早くなり、結果的に評価される可能性が高まるかもしれませんね。自分の時間を最優先に考えて行動する。それが結果として会社と自身の両者にとって益がある、面白いです。

自分が上手くいっているときもそうでないときも / When your things are good or not good as you expected

自分が上手くいっているときもそうでないとき

とりわけ上手くいっていないとき

これがその人の人間性を表すのではないでしょうか

人がうまくいっていることを妬んでしまう傾向が誰にもあります。気を付けているつもりでも私もやっぱりあります

そして自分が何だかうまくいっている時には周りのどんなことも気にしなくなっていますヒトというのは面白い生き物だと思います

我々はみな完全ではないので、その時どんなに相手が悪いとしてもそこまで相手を落としこむこと、決してすべきではないです

しかしながら、周りを見渡してみると相手を批判する人、けっこういるのではないでしょうか?

自分だって同じ失敗をしかねません、いつの日にか。そうであれば、自然と人の失敗についても寛容になる要素があるはずです

ロシア人のスタッフでもイコンを机に置いていたり、机のパーティションに飾っているスタッフを見て思いました

ロシア正教会に属しているスタッフで聖書を学んでいると唱える人でも、その行状を見ればその人が必ずしも「人を許すように」という有名な教えを実行できていないのだな、と

知識で知っていることと、知恵となって心に沁み込んでいることとは違うのですね

「相手がわたしに対する態度を変えない限り、私もその人に対する態度を変えない!」そう主張したスタッフがいました。— こんなヒトに幸せな将来はやってこないでしょう

もう10年前くらいでしょうか、日本でタクシーに乗ったときに言っていた運転手の言葉を今でも忘れられません

「人は自分が上手くいっているときには他人に対しても優しくできて親切を示せるけれど、自分が苦しい状況に陥った時に周りにどう振舞えるか、その時にその人の真の人間性が試される」(正確なフレーズは覚えていないのですがこんなことを言っていました)— 深いことばだなぁ、と

とりわけ人の評価を担当するマネジャーの持っているべきスキルを語るとすれば、過去に自らが逆境で苦しんだ経験、そこでもがき苦しみ、解決方法を模索した日々、その問題を解決できたときの喜び — こんな実体験に基づく他人の心を理解する力です

部下との会話をする中で、「あー、これね、うん分かるよ、この課題はそう、難しい場面に直面してどうにもいかなかったよね」— そう言ってくれる上司がいるだけで、どれだけ部下の心は救われるでしょうか

ロシアで”スーパージェネラリスト”に向かって進む日々 / Going to be a “Super generalist” in Russia

ロシアで日々業務に携わっていて感じていることは、企業で働く中での専門性、というのはその業務に関する知識の深さではない。その分野で業務を進めてゆくプロジェクトの導入過程で生まれる他の部門とのトラブル、実際の法律と会社の事情のギャップを把握したベストの解決策を提供できるか、予想していない二次的な災害が起こる可能性への対処、そういった、その場その場で求められる目に見えない経験値によるノウハウをどれだけ持っているか。これがいわゆる”専門性”と言われるものなんだろうか、と思うところです。

人事、経理、物流、IT、法務という営業活動とは直接関与しない管理要素のある業務を管轄していますが、”専門性”が果たして何を意味するのか? — 考えてしまいます。知識ならば、いくらでも専門書を読めばよいだけです。インターネットでもそれなりの専門的な知識を得ることができます。

ロシア人の従業員でよく出会ったのですが、知識を持っていることを専門性と思っている人がいます。「ロシアのLabor Codeにはこう書いてあります。だから会社のルールはこうあるべきです。」

確かに法令ではこう書いてある、だからそうしなければならない。それは分かっています。一方で、マネジメントからすると色々な事情もあり完全にそのルールに沿って行うことができない事情もあるかもしれません。ロシア人スタッフもそれを分かっている。であれば、マネジメントと法令の間に立って、現時点でのベストの回答を考えだす。それができることこそ真の専門性なのではないかと思うわけです。

今の世の中、ますます物事が複雑となっています。知識だけで言うならば、外部の会社に委託して情報収集やアドバイスを得ることがより適切となってきています。一方で、彼らはあくまで情報を持ってきてくれるのであって、私たちの会社が抱える内部の課題に関して理解を持っていません。それができるのはまさに”専門性”を持った社内の従業員だけです。その”専門性”は、単に自分の仕事の分野に留まって勉強していればよいものではなく、営業も含めた社内のありとあらゆる分野の事情について情報を持っていること。それぞれの部門が抱えている問題を大なり小なり知っておくこと。一見すると「そんなこと、私の仕事ではありません」と言いたくもなるようなことをどれだけ知っているか。そこから自分の持っている知識と組み合わせて会社にとって必要とされる解決策を提案できるか。まさに今の私たち — 管理業務に携わる人 — にとってますます重要とされるスキルだと考えています。

ロシアに来るまでは、経理業務に専門的に携わっており、会計士になりたいと思い、仕事に出かける前の朝、終わった後の晩、仕事中の休憩時間、週末は図書館で勉強漬け、そんな時を過ごした時期もありました。でもダメでした。目指す過程で日商簿記1級は取得できましたが、会計士の試験に1度チャレンジしたものの、到底自分のレベルが及ばないことを実感した試験体験でした。友人には、日商簿記1級の試験に2回目でパスした人がいます、それも、勉強のほとんどは通勤時間の電車で参考書をめくっただけだという。私は何度落ちたことか…そういった事実を踏まえても、友人の話を聞いたときには自分自身の才能の無さを感じた体験でした。

今となっては経理というベースを越えて、雑多なものに携わる中で特定の分野に従事している人には気づかないアイデアをポッと提案してみたり、ITという全体に関係のある知識を用いて他の部署に話を持って行ったり。自分自身の専門性が一体なんなのか、答えに窮しますが、そんな曖昧さ一杯の”スーパージェネラリスト”という一つの専門性を構築しているロシアでの仕事の日々です。

ロシア人スタッフの訓練の場は、日々の自分の仕事の姿勢 / The training for Russian staff is just what I do and show on daily work.

安全な買い物のための4つのルール;人との距離を1,5m開けること、無料の消毒を利用すること、支払いはカードでお願いします、可能であればマスクをしてください。とのことです。レジ周りの床にはテープが貼っており、それにそってお客さんがレジの順番待ちをしています。マスクをしていない人を見るほうが珍しいくらいに。大きく、ここモスクワの様子も変化しています。

いつも考えてしまいます。なぜこれだけ人材トレーニングを提供する会社が星の数だけあるのか、そしてこうもその結果が表れないのか? つまり、効果がないにも関わらず会社がトレーニングを計画するので、それだけの人材訓練の会社ビジネスが成り立つわけですが…トレーニングをして育てたい人材というのは会社に頼らず自ら動いて自ら自己研鑽に励んでいるのではないか、と言いたいところです。会社として、訓練の場を設けることの必然性について問われれば私は懐疑的です。

最近嬉しいことがありました。寡黙に作業を黙々とするスタッフ。あまり目立たないキャラクターです。でも仕事はきっちりとこなしてくれる物流担当のスタッフです。

メールで質問をしていて、それに対して彼からの返信メール。昔と随分と違います。発展途上ではありますが、ロジカルで短い文章で事実を書いてくれて、Conclusion、として要点をまとめてくれていました。以前のの彼のメールはそんなことはなく。冗長なメールが続き何を言いたいのか、要点を把握するのにも時間がかかる。そんなころと比べると、あれっ、いつの間にこんな書き方になっているんだろう、いつの間に成長したのだろう、とパッとメールを見た時に感じました。

会社のメンバーのメールやり取りを見ていると、下線を付ける、文字を太くする、段落をずらすなどしてメールで読み手に分かりやすい方法を考えていることが見て取れます。それが私の成果だとはとても言いませんが、日頃からそのようなメールを書くことを自ら実践してスタッフにもお願いする。そんな毎日の地道な繰り返しと自らの行動の実践が少しは伝わっている証拠だろうか…なんて都合のよいように解釈をしてしまいました。

自分の訴えたいことを自ら行動して示してゆく。それがいつ実を結ぶのか分かりませんが、実践を継続し続けること。相手に行動で示し続けること。そして相手にその大切さを口で訴えるのは時を選んで。その言動が一致するときに真に伝わる人もいる ― 全員に伝わることはない ― そんな地道な積み重ねこそが本当に大切な人材育成であると思うところです。

パソコン二台での作業が結果的に一番効果的な仕事のやり方ではないでしょうか / Working with two computers is the most effective way to work

管理の仕事をする上で効果的な仕事をするためにはIT機器のセッティングが欠かせないもの。ラップトップにモニターをつなぐのは一般的で、そうすると、選択肢はモニターサイズと接続する個数をどうするかに行き着きます。制約条件は、自分の個室がなく、机の大きさも限られている。

会社で標準モデルの22インチに始まり、それを2つ使ってラップトップと合わせて3画面で作業をしたり、24、27インチと大きさを変えてみたり。昨年は、インターネットで見つけたコラムに魅了されて34インチの湾曲型モニターに切り替えました。値段は75,000RUB。モスクワのタイトルで言えばスペシャリスト ― 概ね20代の年代をイメージ ― の約一か月分の給与に相当するお値段です。何と高いこと。「このビジネスセンターに入っているテナントのうちで、XXXさんが初めて34インチを購入した人に違いない」なんてITスタッフから笑われました。あまりにも重く、二人してやっとの思いで机まで運びセッティングしました。梱包箱もでかいこと…。これまで活用してきて、結果的には使用した上での経験が得られたこと、作業効率が確かに上がったことを踏まえれば良い買い物をしたと思っています。

34インチのモニターについては、多くの方の動画がYoutubeで流れており、それらを参考にできます。

私が34インチモニターを使用して感じているのは、

  • 大きなモニター1つで複数画面を確認するほうが良い(複数モニターをパソコンに接続してファイルを分散するよりも)
  • 月別のProfit and LossやBalance sheetを見るうえで、12か月分をスクロール無しで全て見れること、Wordファイルで作成された契約書やマニュアルを 確認する際に、字は小さくなりますが3枚、4枚をまとめて一画面で確認できること。これは素晴らしい。
  • もう34インチでも物足りなさを感じ、49インチはどうだろうか、という思いが募っていますが、オープンスペースで各スタッフが机を並べているオフィスであれば、34インチが許容できる大きさの限度なのかなという点です。

そして、より重要なことに思えるのは、ラップトップ2台を仕事に活用することです。1台は会社から支給されているもの。もう一つは私物です。個人契約している回線経由でインターネットに接続し、常時会社では机に2台を並べて作業をする。これが一番効果的な方法だな、と現時点では感じるところです。

何事も一人でやるには可能性が限られる。一人がどんなに強力な人であったとしても、多少弱いとしても二人いてくれればなおさら強力になる。ノートパソコンにも同じことが言えるのでしょうか。いくら最強のパソコンを利用していても、会社の標準機はあくまで一般的なビジネス上のモデルであってとりわけ抜きんでた性能を持つパソコンが与えられることはないと思います。

ロシアで勤務していて、ロシアのERPシステムの1C、エクセルなどのファイル、Outlookメール、Google Chromeといったアプリケーションを常に開いていることが多い環境のなかで ― それに複数のファイルを開くことも日常茶飯事 ― 画面の切り替えをしては戻って…の繰り返し。ショートカットを使用するとしても面倒なことだ…と感じてしまう。そうであれば2台のパソコンを使うことが効率的ではないか、そう思います。

また、職場以外の場所で仕事をする機会もあります。そして、万が一の盗難、紛失といったリスクを考えると、いくらラップトップが暗号処理されているとはいえ出来る限り会社のラップトップを外部に持ち出したくない。無くしてしまった後の業務への支障、データは本当に大丈夫なのかという不安の気持ち、社内での顛末報告云々。やはり持ち出したくありません。そんなことから鞄の中には自分自身のパソコンが常に入っており、結果としてオフィスでは2台を利用できる環境が整っているというわけです。

個人用のパソコンには会社のデータは絶対に保存しないこと。これはセキュリティ上も会社の機密情報管理規定上も守ります。ですから、個人用パソコンは主にGoogle Chromeでの検索であったり、個人で利用しているOffice365やEvernoteへの気づきや日記、課題を入力することに利用しています。また、この点はなぜ外部回線を利用して自分自身のパソコンを日頃から利用することが大切であるか、と私が考えていることですが、外部環境で会社の会社のOffice365のメールやOneDriveといったインターネット上のアプリケーションにアクセスして利用することで、会社のパソコン以外での業務環境に慣れておくことに役立つからです。会社のパソコンではOutlookの専用アプリケーションを使用しています、インターネット上のアプリケーションとはメールの表示、機能も異なります。Dictation(音声認識)機能があったり、メールをボタン一つでロシア語や日本語を英語に翻訳してくれたり。機能を探ってゆくと新たな発見があります。

と言っても、会社もメールやり取りをいち早く確認するには、スマートフォンに届くメールを読んでゆくことが最善だと感じています。画面も小さく、文章全体をパッと把握できるのでラップトップでメールを読むよりもずっと早い。ただし添付資料がある場合には(特にExcel)スマートフォンでは少々辛いものがあります。そんなわけで定期的に自分自身の業務の方法を見直し、変更してみながら改善を重ねてゆく日々です。

1つの事象の捉え方次第でこんなにも状況が好転する / The situation improves so much depending on how you capture the event

今年1月のロシア人家族と一緒の箱根旅行。台風の影響で登山鉄道が走っておらず代わりにバスが運航している。なかなかやってこない、待たされる。外は寒い。タクシーを頼んだのですがなかなかやってこない。

「こんな寒い中待たせてしまいごめんなさい。」というと、「(交通手段が)あるんだから、無いよりいいじゃないの。」とお母さん。無いものに目を留めて文句を言うのではなくて、今あるものについての感謝の気持ちが出てくることにその時、アッと思いました。良い衝撃でした。

それ以来、自分の物事が何か悪いほうに行きそうに思われた時、彼女に倣って考え方の転換をするようにしています。現実逃れではなく。不思議なことに、自分の感じるストレスも減りますし、他の人に接する態度も柔らかくなり、争いを避けることにつながります。前は一言いってやりたい、と思ってつい口走っていたことも、目の前のことがそれほど大きな問題に思えなくなる、そんな効果もありました。

きっと何でも周りに対して不満を持っている人はこの考え方を当てはめてみることがよいのではないかと思っています。すべてがそんなに思うほどうまくゆかないことだってありますが…。

苦しいと思うことがあって、自分のルーティンができないとしたら、今は新しいやり方にチャレンジしてみる時期なんだと思えばよい。今は室内に留まって仕事をせざるをえない、不便もあります。オフィスに行く必要もないので、誰も見ていない。自分次第で毎日の仕事の量も質も変わってしまいます。そんな時には自分の仕事のやり方を見直す機会と考え方を転換すればよい。年齢を重ねてあとでどうにもならないよりも、今この問題と向き合って何かレッスンを得られるよいチャンスと思えばよいのかもしれません。

今はCoronavirusの影響でテレワークが進みMicrosoftのTeamの利用が増えていると聞きます。私も使用したことがありませんでしたが、今はその機能の恩恵を受けています。手元にあるIT機器でどれだけ効果的に働けるだろうか、そんなことを考えながら毎日を過ごしています。オフィスでは周りに同僚がいてワイワイガヤガヤしていますが、家では自分一人の環境を作り出せます。Dictate(音声認識)機能もあり、書きたいメール内容をコンピュータに向かって話すと勝手に書き上げてくれる、なかなか使いこなせていませんが、英語も日本語も認識してくれる、質も決して悪くない。そんな機能が今のお気に入りです。

人のよいところに集中することの難しさ、感謝することの大切さ / Difficulties to focus on people’s good points and importance of gratitude

人の悪いところばかりを見てしまう傾向があるのが人の傾向なのかな、と感じています。何か一言言いたくなる。それによって自分が他の人よりも少しでも上に立っている事を示したい。人の悪いところを見つけてやろう、そんな傾向、人の常なのでしょうか?

Of course, Always.. Why you didnt …? I told you etc
その言葉の裏にあることを想定してしまいます。Of course(まるであたかも、何アホなことを聞いているんだ?)Always(いつもと同じにきまっているだろう、そんな馬鹿な質問をするなよ)Why you didnt…? (なんでそんなこ馬鹿なことしたんだ?そんな当たり前のこともやっていないのか?言わなくても分かるだろうが)I told you (前に言ったでしょう、何度言わせるつもり?)

もっと一言、自ら声をかけませんか?他人と会話する際にはなんとなく話す人を選んでしまう。歳を取るほどに他の人とオープンに語り合うことが難しくなる。それをどれだけ自分から打ち破れるか。課題です。モスクワの日本人の社会を見ていて、多くの方々が、それぞれプライベートで出来た関係性をベースに、セミナーで出会う仲間との付き合いを楽しんでいる気がします。それは決しておかしなことではありませんが、プライベートでの比重が仕事での関係性に与える割合が多いのではないかと。

逆に言うと、プライベートの場に身を置いていない人にとっては、セミナーやそれに続く懇親会に出席した時にすでにプライベートの会話で盛り上がっている会話の中に入ってゆくのがとても難しく感じられるということです。そんな光景を見ていると、一人でいる人にもっと声をかけてあげることができないのだろうか、といつも思います。

話しかけてみると、面白い経歴を持っている人だったり、深い考えを持っているひとであったり。いろいろな良い発見があります。

医いたことはあるけれど、文句を言わずにやってくれていることに感謝しませんか?

私たちは部下を見ていて、仕事が遅かったり、間違いがあったり、イライラしてしまうことが一度ならずあります。彼女のパソコンをのぞき込むと、いつまでも経理システムとExcelファイルの両方をにらめっこしています。「それ、今朝もやっていたよね…大丈夫?何が問題なのかね?」と尋ねると「一か月前にまとめたはずなのに、先月締めた数値の修正があったために前の月の数値を改めて見ているんです。数値が組み替えられている(ロシアの会計システムでの処理と日本向けの数値レポート間で勘定科目の組み換えを行っている)ために、数値がどうしても合わず見直しているんです」といった回答が返ってきます。

このやり方自体に問題があるのですが、今回のテーマは「良いところに目を留めて、感謝すること。」そのテーマについて考えると、彼女のように一生懸命にやってくれる姿勢に感謝をしなければと思わされます。先月は彼女の上司と一緒に深夜近くまでレポートのバグ出しをしてくれていました。私は一足先に帰り、あとでメールをチェックすると23:30に報告が来たのには驚きました。金曜日にです。「家族も待っていることだし、もう金曜日で疲れているから帰ろうよ。」と言っても「いや、どうしても今日終わらしていきたいんです。数字が合わないのがどうしても気になるんです」と言ってききません。まだまだ彼女の会計知識、Microsoftスキルをとっても改善の余地がまだまだありますが、そのような姿勢はきっと将来に化けるのではないかと期待しています。

人の成長にとって大切なのは大きく分けて二つ。「仕事スキル」と「人間スキル」。若い頃は仕事スキルがあれば十分ですが、とあるレベルに来た時に必ずぶつかります。年齢を重ねるごとに仕事スキルだけでは周りが付いてこなくなる。なぜならば仕事スキルはいくらでも替えが利くものであり、限界がありません。年齢を積み重ねて一層大切になってくるのは、例えば、周りを鼓舞出来て、人と人がぶつかって生み出される問題を解決できる能力、そういった人間スキルだと考えています。ただし、仕事スキルが無い人が人間スキルだけを持っていても有能なマネジャーになることは難しいのではないか、というのが私の考えです。周りを圧倒させるにも、他の人よりも何かに秀でた仕事スキルを持っている必要があると思うからです。その仕事スキルというのは単に仕事が早い、コンピュータが得意、といった目に見えるものだけではなく、なぜだかこの人からは買いたくなってしまうんだよなぁ…と思わせて営業成績を上げ続けるような人たらしの性格も含まれるのかもしれません。

さて、家族を大切にしている彼女、子供のことを大切にしている彼女。そんな彼女が将来マネジャーになるとすれば、きっとバランスの取れた人望のあるマネジメントになるに違いありません。

お金への接し方 / The way we treat money

この自宅隔離の間、プライベートで溜まっていることを整理し、自身の欠けている点を見直す良い機会となっています。

この週末から一層人の動きが少なくなり、車の量も減っています。通りをパトロールする警察車が目立つようになった気がします。通りを散歩している人やジョギングしている人も見かけますが、警察車両が自宅隔離をするように、とのアナウンスを大きな音量で流しています。04.04から罰金も科せられることが決まっています。お昼過ぎ、ゴミ捨て、買い物とジョギングをかけ合わせて外に出かけると、ゆっくりと後ろから警察車両が近づいてきて、こちらをじっと怖い顔をして通り過ぎていきました。実はアパートを出た時に警察車が止まっているのに遠目でみえたのでそちらのほうを見ずにしれっと違う方向に向けて歩き出したのですが、それが見つかったのでしょうか…。食料品を購入のためにお店へ行くと、店員はマスクに手袋。そして頭からヘルメットのようなものまで被ってレジ業務をしています。「日本人はなんであんなにもマスクをしているんだい?」なんて小馬鹿に」していたロシア人がこうもマスクをして歩いている姿を見ると今回の事の大きさを感じます。そして通りを歩く人の数はすっかり少なくなりました。

さて、お金への接し方について考えさせられるこの機会。
日本人は、お金の話をすると否定的な傾向がある、という話を聞くことがありますがお金に執着することと、無頓着でいること、その両方の危険なことを。
2015年の為替暴落時には、日々の仕事に追われて全く心に余裕もなかった私は、会社の資金繰りと為替の変動悪化の様子を常にチェックし続けていました。その一方で大切な私自身のRUB口座のことは全く手を付けておらず、その後当時のキャッシュは諸々と海外への旅行等で使用したため、結果的には40万円近くの給与を失ったことになります。ロシア人スタッフは、RUBからドルやユーロに定期的に変えて為替リスクを避けるように気を付けているスタッフがいます。為替の動きにも敏感です。

海外への旅行のために、格安でとれる半年以上先の航空券を買うためにチケットの価格に目を走らせている人がいます。

おそらく日本と一緒で、海外にでかけない人はRUBしか必要としないので、為替の動向に注意を払わないのでしょう。しかしながらモスクワのオフィスのロシア人スタッフは若い世代で、海外への旅行を楽しみとしており、彼らにとって為替問題は実質給与の減少を意味するので大問題です。

現在すっかり利用していないメールアドレスを整理していて気が付いたのですが、自動引き落としされるパソコンのセキュリティソフト費用を毎年支払い続けていたことに気が付きました。

一昨日は、近所のスーパーに出かけたとき、マイバッグを持参することを忘れてしまいました。袋の料金はわずか5RUB。10円にも満たないものです。それでも、日頃からマイバッグを持参しており、明らかに自分で避けることができたものに対してお金を払うこと、嫌なことです。

事前に自分で避けることができたはずなのに、自分の不手際で現金の引き落としに取られてしまう手数料。これも嫌なことです。

一方で、何年もログインしていなかったオンラインバンクの口座を見ると、知らない間に溜まっているお金。

  • 使用する複数のメールアドレスを目的別に集約し、定期的にチェックすること
  • 毎日家計簿をつけること>絶対に記録すること自体を込み入ったものにしないこと。とにかく続けることが重要。実は、こう書いている私自身、続いたためしがありません。この4月から始めたばかり。毎回購入の際には、本当に要るのか要らないのか、よく吟味したうえで購入しているつもりで、だからこそ結果的に使い方に問題はない、なんて思っていましたが、Excelで簡単に他の日常の記録と合わせて、毎日の出入金を記録しています。
  • 自分自身の持っている銀行口座の定期的な残高確認と出入金の確認をすること

こんな基本に改めて戻らなければ。そんなことを自宅隔離(на карантине)の第一週で感じています。

そして、このようにお金のことを知ると、今度は「あの時なんでこうしておかなかったのだろう、そうすれば〇〇〇円節約できたのに、なぜ長い外国生活で全くお金の運用をしなかったのだろう…。そうすれば今よりもあといくら資産が増えていただろうか。」といったマイナスの考えが浮かんできます。精神によくありません。

一般的に、駐在員として勤務している日系企業であれば、手当も考慮されているはずで、生活上何ら不自由する心配はありませんが、自分自身の仕事に集中するあまりに自分自身の資金状況の確認をないがしろにすることの危険。そして、お金のことを知るが故に生まれるマイナスの考え。その双方の中で上手なバランスを取ることの大切さと難しさ。お金への接し方について考える機会となりました。

スマートフォンのカメラが一層綺麗になりました、処理スピード0,1秒早くなりました、デザインが一層かっこよくなりました。そして周りの同僚も買っています。さあ君も!そんな宣伝文句や周りの動きに揺られて、「次のモデルを買わないと取り残されちゃう、クレジットは何か月分組んで買えば毎月の出費額も何とかなりそうだ…。」そうやってお金の地獄にはまってゆきます。

自分の持っている、あるもので足りた生活をすること。お金は増やすことが目的ではなくって、自分の生活に必要なお金を把握し、それに必要なお金のレベルを維持すること。背伸びはしない。現実をよく見ること。

それが何よりも一番の大切なお金への接し方ではないでしょうか?