自分の今の仕事、自分の価値観を”否定”し続けること / Keep “denying” value of your current job and a sense of values

自分の今行っている仕事の価値や価値観を”否定し続ける”ことの大切さ。ロシアにきてこのことの大切さをより強く感じるに至りました。日本に戻っての業務を通じて、この感覚は一層確信となっています。

今の変わりゆく世界にあって、自分自身のやり方がそぐわない場面がやってくる。

かつてはよし、とされていたこと、自分ではこれが適切だ、と思っていたことが今となっては否定されること。それはまるで自分自身を否定されているかのように感じることがあるのではないでしょうか。例えば身の回りのちょっとしたことで言えば、入社当時には日経新聞をよく読み、記事の切り抜きを取ってノートに保存していたり。興味のある記事があればファイリングして本棚に保管してみたり。それが今ではOneNote、Evernote, Notionといったオンラインノートを活用することで切り抜きも不要、棚スペースも節約できる。後からの検索も容易。メールでは細かいニュアンスが伝わらないので会話して要件を説明すべきと思ったところ「誤解が生じるといけないので、まず先に要件を書き出したメールを送ってください」とあしらわれてしまったり。実際に日本に帰ってくると、日本人同士で同じ日本語で会話しているにも関わらず、これでもか、というくらいに小さな誤解が日々生じます。会話しているのになぜこうもお互いに理解が異なるのか…苛立ちを越えて、むしろ言葉というものの面白さを感じます。

大きな流れの変化で言えば、コロナウィルス流行によりリモートワークが導入され、それに応じてますます電子化が進み、社内のコミュニケーション、営業スタイルも変わり…。

それに対してどのように備えることができるか?日頃から自分で自分の価値観や仕事の方法を否定し続けることが大切ではないだろうか。

モスクワで出会う駐在員の任期は、一般的に3~5年くらいでしょうか。日本との行き来を繰り返して累計10年以上ロシアや海外ビジネスに従事している駐在員もいますし、現地採用としてモスクワにとどまって勤務している人もいます。

そんな中で面白いなぁと思うのは、どれだけ長くロシア、海外に滞在していても日本の価値観を正しいと考えてロシアを否定的に見る人。一方で短い期間としてもロシアの良さを認めて客観的に日本とロシアの良さをそれぞれバランスよく観察できる人。その違いは何だろうか、と考えるのが楽しくもあります。

わたしは、物事にこだわりを持たないこと、常に新しいことへの好奇心をもつこと、よい意味での”テキトーさ”、がその違いを生み出すと思っていますが、それらをひっくるめて上手に一言で表現すると「謙虚さ」。この言葉にたどり着きました。

日本がなぜかつて世界2位のGDPを達成し、今もって世界3位に居続ける国力を持っているのか、日本の凄さを実感することができましたし、日本人が自国の文化を否定的に語るのを聞くととても悲しくなります。ー 「今の日本は、日本人一人ひとりが自分たちの幸せを犠牲にして成り立っているんじゃないって思うの」、そのロシア人の言葉は今でも印象的です ー また、日本にはないロシアの良さをよく学習しました。

「今の日本は、日本人一人ひとりが自分たちの幸せを犠牲にして成り立っているんじゃないって思うの」このロシア人のコメントを皆さんはどう思いますか?

私自身は標準的な駐在期間を超えてモスクワにとどまり、一般的な駐在任期のバランスを逸脱してしまったのではと思いますが、今後の人生において広い考え方に触れる機会を現地で得たこと、現地で考える時間を持ち自分なりの価値観を持てたことは一生の財産です。そして、それは今後も新たな出会いによって変わってくるのかもしれません。

自分自身の価値観を持ちつつも、他方では”否定できる”感覚ももっておく。このためにも自分自身にとってこだわりとなるレベルをどの高さに置いておくか?これをじっくりと考えて理解することが大切であろうと。

自分のポリシーを持っておくことは大切だけれども、他人もかかわってくる仕事においては自分の意志を押し通すこと、自分のやり方を貫くことといったこだわりは弊害となることばかり。

例えばオフィスの家具を入れ替える際、デスクの足は円形か四角か?机の色、椅子の色…これらをロシア人スタッフにお願いするのか、そこまで自分の意志を押し付けるのか?自分が会社のマネジメントの立場におり、自分が決定権を持っていて、自分なりのオフィスへのこだわりがあれば、きっと細かい部分まで決めたくなるかもしれません。

資料のまとめ方をとっても、自分の発言一つがどれだけその下の人間の時間と労力を奪うことになるのか?そして、自分のそのこだわりが本当にそれだけの時間と労力を費やすに価値があることなのか?

私は絶対にオフィスには誰よりも早く来る。週末は必ずオフィスに来て仕事をする、仕事のやる気を高めるためにランチは必ずこれを食べる、頑張ったご褒美として夕食は日本食レストランに行く。そういった個人のこだわりは大歓迎ですが、

いかに全体にとってベストの解決案を見つけて決定できるだろうか?

いかに関係者の時間を最小限にして最大の結果を導けるだろうか?

自分自身のこだわりが全体の仕事に影響を与える時、自分の持っているこだわりを否定できる軽快さ— きっとこれが謙虚さだと思います — を示す用意ができているだろうか。これは大切な要素だと思っています。

仕事の定義そのものを揺るがすような大きな変化の波がやってくる時にも、自分の存在価値のちっぽけさを感じることで、自分の価値観や過去の偉業を過大評価しない(周りの誰も、わたしたちの過去の成功話を喜んで聞きたいという人はきっといないだろうから)。自分に求められる役者を舞台で演じること。こだわりを持つのであれば、今の自分の仕事でどれだけ周りの人を幸せにできるか(仕事を楽にするために貢献できるだろうか)?これに徹すること。そこに常に子供の頃に抱いていたような好奇心を加えて、何事も肯定的に未知に接してゆくことの大切さ。

きっと、その根底にあるものが、自分の今の仕事、自分の価値観を”否定”し続けること、なのだと思っています。

新入社員の頃、いつも遅くまで仕事をこなす、他の部署の管理部門長のおじさんが社員がいました。その方の部署では営業マンが所定の経理書類の提出を忘れてしまったり、よく伝票作成を間違えたりで、怖い経理のベテラン女性から怒られることも日常茶飯事。そんな中でも文句ひとつ言わず笑顔で接してくれる方でした。

「〇〇〇さんから見て、この会社の社員に足りないものがあるとすれば何でしょうか?」

そう尋ねたことがあります。しばらく「う~ん…」と考えたあと、

「この会社の社員がとても優秀だ、うん、それは間違いない。ただ、ほとんどの人は一定のレベルまで来るとそこで止まってしまうんだよなぁ。なぜだか…そこに何か足りないものがあるんだよね」

これまで、ずっとこの答えの意味を考え続けていますが、きっと、恐らく、その”何か”には、今の自分の仕事を肯定して日々を過ごしているか?あるいは否定して物事を考えているのか? — そこには謙虚さや好奇心という要素も影響しますが — この、今の自分の仕事や価値観に対する接し方が成長曲線の向きを決めているのではないかと思うように至りました。

モスクワは本当のロシアじゃない / ”Moscow is not real Russia”

「モスクワは本当のロシアではない。」ロシア人と会話していてモスクワのことを語ると大概このフレーズを耳にします。恐らく、「モスクワは本当のロシアではない」って本当?と尋ねると大半のロシア人が頷くはずです。駐在期間の間、休暇になると多くの駐在員の選択肢は、日本食の買い出しも兼ねて日本に帰国する、あるいは距離が近い西欧や、海のある南の地域に出かける、そのいずれかがほとんどであったように思えます。ロシアとは所縁の無かった日本人がモスクワに来ると、それはもうハードシップの高さを訴えると思いますが、お金さえあれば基本的には何不自由なく生活ができて、他人には全く笑顔を見せないと思われていたロシア人も今では笑顔で接客してくれる。街の中でも嫌な思いをすることがほとんどない(むしろ、中央アジアから来ている同じアジア人が露骨に差別されている様子を何度も目にしました)。道を尋ねても特に嫌なこともなく教えてくれる。(逆に、明らかにロシア人ではないこちらに道を尋ねてくるロシア人も何度か遭遇しました。地方からやってきたロシア人なのでしょう。ロシア人にモスクワの道や地下鉄を教えてあげる。何だか不思議な気分でした)ずっとモスクワは住みやすくなったと思います。ただ、ロシア語がどうしても必要となり英語が必要な場面は私はソビエト時代の大変さを知らないので、ソ連・ロシアと長年同じ畑を歩んできた報道、商社マンのようなビジネスマンの方々が持っているであろう数々の面白愉快な話は残念ながら語ることはできません。大学時代に教授がソ連時代の小話を語ってくれたのを一つ覚えているのは除雪車の話。大通りを除雪車が道端の雪を除雪していたそうです、ゆっくり車が動きながらかき集めた雪を後ろに吐き出しているのですが、その吐き出した雪が除雪車が通った後の除雪した場所に降り注いでいるので、結局その除雪車が通った後は再び雪が積もったままになっていた、という話。これがソヴィエトだ。なんて面白く語ってくれば話を覚えています。多少話に尾ひれが付いているかもしれませんが、何だか納得してしまいました。

混沌とはかけ離れた、街も綺麗で国もロシアに比べれば整っているであろうイギリスやドイツ、日本に憧れるロシア人もいれば、「ドイツに行ったけれど、あんなに(何もなくて)つまらない国には住めたもんじゃない!」というロシア人もいる。かつてナチスとの市街戦を繰り広げたヴォルゴグラード(当時はスターリングラード)を訪れた時には、穴だらけの車道がありタクシーも前方要注意。「ここではまだ戦争が続いていて道路が穴だらけなんだ、ハハハ!」と陽気な運転手。自分の街を愛している人でした。なんだかんだロシアのことを悪く言うロシア人がいても、やっぱり自分の祖国を愛している。程度の差はあれどもその愛を、身の回りのロシア人から感じたロシア生活でした。

ロシア生活の間には本当に貴重な旅行ができました。コロナウィルスが拡大して外出規制となる直前までに出かけたモスクワ近郊への小旅行ではモスクワとは違うロシアの別の顔を見ることができました。一生残る大切な思い出です。それ以外にも、ロシアが併合した後のクリミア。空港のかつてのパスポートコントロールがただの無人のボックスとなり、昔は列をなした場所を何も無いかのように通り過ぎて空港をあとにしました。かつては町が完全に崩壊した場所が見事に復興しヨーロッパ最大級の美しいモスクが立っているチェチェン共和国のグロズヌイ。ロシアとの衝突が続き、路上には戦車が並ぶ道路を進んで向かったウクライナのオデッサ。2014年のウクライナ騒乱で数多くの人が無くなったキエフの独立広場、未承認国家である沿ドニエストル共和国やアブハジア共和国、チェルノブイリ原発事故で誰も住まなくなった町へのツアーなどなど。ロシアには中央部には広大な世界遺産の大自然が広がっていますし、極東地域には世界最低気温を記録したサハ共和国の首都ヤクーツク、美しい自然、美しい富士山のような山を構えるカムチャッカ半島。まだまだ出かけたことの無いロシアの魅力がまだまだ残っています。

日本語でロシアの一般生活の様子を探そうとするとリソースに限られると思います。一方でロシア語のサイトとなると検索のハードルが上がります。英語の勉強も兼ねて、英語で紹介されているロシア紹介サイトを訪問することをお勧めします。

偶然見つけた極東に住むこの女性のサイト。”Yeah Russia”

https://www.youtube.com/channel/UCWf43GShTqMDdJN9pICYd2Q

モスクワとは全く異なる極東の街の様子を見ることができます。モスクワを一歩離れると、モスクワ近郊でもこのような風景が車窓に広がります。極東だからこんな様子、ではなくてモスクワとそれ以外の町の落差を見る上でもとても参考になります。

彼女のページでは、他にもお勧めのYoutubeページが紹介されていました。

例えば、こんな以下のページ。”Different Russia “

https://www.youtube.com/channel/UCFFG4euAS7ZoAUYJFQETouA

モスクワの様子やモスクワ近郊での生活を実感することができます。上記のサイトと比較すると日常生活を紹介する点ではテーマが近いように思えますが、また違った都会の雰囲気を存分に感じることができるビデオがたくさん紹介されています。

ロシア人も日本人も、みんな人間、同じ仲間。 / Russians and Japanese are all human beings, the same companions.

日本に帰国すると、モスクワでの駐在生活では上司として部下のロシア人スタッフに言いたいことを言い放題であった身分も、日本では一スタッフの身分。同僚のことをおもうのだったらなぜ言えないの?友達でしょ?といっていた自分がいるけれども実際には難しい。上司だったら言えるのだろうか、いや、そうとも限らない。日頃から言えるだけの関係であったり、”言える”という能力も持ち合わせていないといけない。少なくとも、指導できる正当な立場にあるのは確かだけれども。年齢を重ねれば重ねるほどに周りはこちらについて思っていることを言わなくなる。近頃は、ますます大切なことだなぁ、と感じることは、常にもう一人の自分を少し離れた所に置いて自分自身を客観的に見つめること。すぐ傍にもう一人の自分がいて、その状況での自らの振る舞いについて観察する — 単なる自己中心的な言動になっていないだろうか?今の状況を良い方向に向かうためには何ができるのか、すべきなのか?— ことが重要だな、と思っています。多くの人が心の中で思っていることを伝えてくれないわけですから自分で感じるしかないのでは…

そういえば、ロシア人スタッフもお昼を食べたり、何気ない生活の話をするときには大いに盛り上がって仲良くしていたけれども、いざ仕事のことで正すべき振る舞いについては、上司である自分のところに来て「あれは良くないと思う、仕事では困ってるんです、何とかしてもらえないでしょうか…」なんてことがあったな、と思い出します。

日本に戻ってすでに半年以上が経ちますが、思うことがあります。”ロシアはYes、Noがはっきりしていて相手の考えていることが分かりやすい、その一方で日本では人が何を思っているのか分からないこと多くて悩んでしまう” ― 「ロシアと日本の違いで感じることは何?」とロシア人から聞かれるときには、こんな風にロシアと日本を表現していました。この傾向は今でも否定しませんが、例えば、上記のように職場で感じるような同僚へ考えを伝えるのか、伝えないのか?そんな点になるとロシアも日本もほとんど変わらないのではないだろうか、ということ。そして、日本では、会話の中で感じる微妙な緊張感、使う言葉のちょっとした違いから感じるバチバチとした雰囲気。声のトーン。そんな本当にちょっとしたところからお互いに何を考えているのかを推測できます。だからこそお互いに言わなくても、お互いが見えない会話が成立している。それを日本語文化の中で育ってきた私たちは瞬時に感じます。

一方、ロシア語で同じ会話が繰り広げられている場合には激しい応酬になることも。例:「サーシャ、何でこのディーラーへの出荷先住所が登録されているところと違うって言わなかったの!信じられない!」「いや、言ったじゃないか?」「いや、聞いてない!これでもうXX回目よ!」こんな大きな声が聞こえてくると、明らかにトラブルがあって、両者が自分の正しさを主張し合っていて、これは問題だ、と。そこまではロシア語が分からずとも感じとれそうです。しかし、そのトラブルの主要な原因は何なのか?お互いに何か反省すべきところがあるのでは?きっと何かがあるはず。(オフィスで生じる問題には、大概どちらかが100%悪いというものよりも、お互いの意思の疎通の問題や情報共有不足、指示の曖昧さ、そんな双方に原因がある理由がほとんどを占めている気がしています。)自分の何が足りなかったのか?どうすればよかったのだろう、改めてほしいのだろう?そんな点になると、なかなか本質的な議論にまで発展する機会はなかったような気がします。本人たちの上司であるマネジャーに話しても「それは別に大したことではない、彼らの性格もあって言い合いになっているように見えるけれど、よくあることなので」と深刻に捉えてはいませんでした。日本のオフィスで私が見かける光景とは違い、はっきりとした言い合いになるほうが、本人たちも周りの人たちも起きている問題や、当人たちの改善すべき点に気が付く機会となる点では良いのかもしれません。そうであっても、当人たちが自らの正当性の主張をし続ける限り、その機会は有効に生かされないことになりますが。

自分とは関係のないと思う外部の人間だからこそ強く言えることもあれば、自分の大切と思う仲間には嫌なことを言いたくないからこそ黙っていることもある。黙って相手の足りない点を我慢して受け入れることも仲間をおもうことの表れ。いや、相手の将来を考えるからこそ、相手に直してもらいたい点を今伝えよう。それもまた思いやり。何が正解なのか分からなくなってきましたが、私の経験から言えることは、

・日本と比べると感情を出して議論するロシア人スタッフの様子を見て、なんでもかんでもロシア人ははっきりと物事を話す人たちだ、という思い込みを避けること(根幹部分ではみな同じ人間。同じことを感じている、考えているのだから)

・自分自身の直すべきところを指摘するほうも、指摘される側も、共にそれを直接相手に向かって口に出すことはいいものではない。だからこそいつも自分を客観的に見つめて謙虚に修正してゆく努力が大切

・生まれ育った環境はそれぞれ異なり、それぞれが違う考えや固定を持つのは当たり前。自分の良さを客観的に観察して、それを最大限に発揮できる場所を見つけること。(「なんか変わってるよね」なんて言われる分野があれば、それは多くの人と異なる自分の強みがある場所なのかも)よく言われていることだと思いますが、周りの人間ができていて自分が叶わないなぁ、と思うことをいくら追いかけても、一定のレベル以上を目指して追いつこうとする心が伴わない労力は努力に見合わなく疲れてしまうだけだから…と自分自身の経験を通してそう信じています

あまり人種、文化の違いを考えることなく、あくまで一人の人間として感じる通りに行動すること。日本人だから~、ロシア人だから~、そういった杓子定規に物事を捉える必要はなし、そういうことなんでしょうね。

商品レビュー:Dell ウルトラシャープな27インチモニター、U2720Q を購入して使ってみてすっかり気に入った / Review: Dell UltraSharp Monitor U2720Q

テレワーク。決して広くはない家ですが、家の中で部屋と場所を移動しながら仕事をしています。同じ部屋でも座る椅子や向きを変えるだけでも多少雰囲気が変わります。仕事用の机を置いている部屋は日当たりが悪く、太陽の陽が入ってきません。冬場はこの部屋にいると体の芯から冷え切ってしまいそうな。でも、夏場はこの部屋の湿度がぐっと下がり快適なので、逆にこの部屋にこもって仕事をする時間が多くなります。去年は引っ越してきて、エアコンが無い期間の辛さはモスクワ生活では経験したことのない、久々の日本の湿度を思い出させるうなだれる夏となりました。冬のモスクワでのアパートメント生活がどれほど快適であったか…冬でも部屋の中ではTシャツ一枚で、シャワーを浴びるにも全くもって快適に寒さも感じることなく過ごしていた、というと同僚は驚いています。

モニターはパソコンと同じくらいにこだわるべきものだろう、と思います。管理部門で働くならば絶対に、それ以外の部門でもエクセル、パワーポイントなどの資料、OutlookのEメール、検索をするブラウザを開いて作業するにはモバイルノートパソコンのディスプレイだけでは苦しいものがあります。サイズはオフィスでも利用していた同じサイズで良いのか、あるいは自分の業務内容を考えたうえでそれなりのものを揃えるのか、よく吟味することが必要です。家で勤務する時間がオフィスでの時間より増えているのであれば、それだけ家の仕事環境を整えることが自分自身の仕事のアウトプットに直接響いてくるのであればなおさら…。

今、部屋には43インチ(LG社 43UN-700B)、モスクワ勤務時代に購入して仕事で利用していた34インチ(Dell ウルトラワイドU3419W)、どこでもデュアルディスプレイの環境を作れるようにと購入した15.6インチのモバイルモニター(タッチパネル)、そして今回購入した27インチのモニターがあります。メインで利用しているモニターは34インチ。初めてスイッチを入れて利用し始めたときの感動はそれは大きなものでした。しかし、今回購入したU2720Qを使ってみると、あれほどに画質が綺麗と思っていた34インチの画質も画像が荒く見えてしまう。U2720 Qの画像の密度の細かさはさらに上を言っています。それほど技術の進展は着々と進んでいるのだな、とつくづく実感しました。

今の時代、紙を利用することが減ったからこそ、モニターの重要性が高まっています。将来のモニターのあるべき形を想像すると、大きなサイズも丸めて収入ケースで持ち運びできる軽いモニター。指でサクサクっと画面をなぞればページを前後できる。モニターはタッチパネル必須。SF映画で描かれているモニターがきっと近い将来に実現する日を楽しみにしています。

Dell U2720Q

Dell公式直販 モニター 新品 U2720Q 27インチワイドモニター(4K/IPS非光沢/HDR/USB-C,HDMI,DP/回転/高さ調整/DCI-P3 95%)3年保証

さて今回購入したDell社のモニター、U2720Q。きめが細かく、それだけ画面がきれい。USB-Cケーブルで画像をモニターに映し出せると同時にパソコンへの電源供給もできるという優れモノです。パソコンについているUSB-Cが他の用途で埋まっていない限り、ケーブル一本で映像と電源をカバーできるので、ケーブル周りがだいぶスマートになります。

個人的な意見ですが、27インチというサイズはサイズと重さ、コストのバランスに優れているモニターだと思います。高さと横のバランスがちょうどよいレベル。決して満足できる大きさではないけれど、ほどよい大きさでファイルを2つ画面上に並べても両者を見比べるのに耐えうる大きさ。1つのエクセルファイルを開いて作業するのであればほとんどの場合事足ります。私としては高さはこのままで、横をもう少し広いサイズのものがあればなおよいのですが。家の中でモニターを持ち運ぶにしても適度な重さ。会社として備品を揃える時に、これ以上のサイズ、これ以上の金額のモニターを標準として準備してくれるか、というと分かりません。ロシアで勤務しているときには22インチモニターを標準としてスタッフに提供していました。後で考えたら、22インチは小さすぎたなぁ、と思っています。それが会社で提供する標準サイズであるからか、スタッフからは文句は聴きませんでしたが、コストと生産性を考えるのであれば、管理部門などの常時数値とにらめっこするスタッフにはもう少し大きなものを — 24インチか27インチ ー を検討すればよかったな、と。

Amazonで販売されているこのモニターのモデル名は”U2720QM”となっていますが、その違いをインターネット上で検索すると、「U2720Qは、Dellオフィシャルサイトで購入するモデル、U2720QMはAmazonで販売されるモデル名称。商品自体は同じで、付属するケーブルが異なるだけ」とありました。(私はDellオフィシャルサイトで購入しました。確かにDell社のマニュアルをダウンロードすると、両者の違いが説明されていました)

https://downloads.dell.com/manuals/all-products/esuprt_electronics_accessories/esuprt_electronics_accessories_monitors/dell-u2720q-monitor_user’s-guide_en-us.pdf?dgc=SM&cid=243878&lid=spr3110429999&linkId=82087367

27インチと34インチの間のサイズを私は利用したことがないのでコメントすることができないのですが、このDellの27インチのモデルを購入した一番の理由は、メインで利用している34インチワイドに1つのファイルを表示させる必要があることが多く、隣に別のファイルを並べて見比べたいことが多くなってきたからでした。かつ、34インチのモニターはあまりにも重い一方で、27インチは容易に持ち運びが可能。家の中で移動して仕事をするときにはこの27インチを一緒に移動して活用しています。ウルトラワイドなモニターの世界には34インチを通り越して、49インチという巨大なモニターがありますが(これまた私は1度も49インチの圧倒的な大きさや使い勝手を経験したことがなく、評価をできる立場にありませんが)基本的には34インチのモニター1つで十分。そして、そのサポートとして27インチを併用するセットが今の時点ではベストかな、というところで落ち着いています。

メールはすぐ返信、即返信、良いこと尽くし / Reply email quickly – it can be only good thing for you

昔に読んだノウハウ本に書かれていたメールの使い方。急ぎの場合にはメールを送ったあとに電話を一本入れること、受け取ったメールには24時間以内に返信すること、そんなことが書いてあった気がする。今、はっきりと言えること、それは”届いたメールにはすぐ返信”。すべてのメールの内容にすぐ返信できないものもあるけれど、返信できるものはすぐ返信。実際にすぐ返信することを進めるビジネス書を見るけれども、その中身を読んだことはないけれども、その正しさを実感しています。

今では本当に急ぎの時、Teamsのチャットや電話機能で呼び出し、会話することが増えてきました。携帯電話でTeamsにログインしていると社外にいても簡単に仕事の会話ができる。それでは、通常の電子メールで届く内容は急ぎではないのか?というと、そうでもないんだけど、でもそうでもある、という答えになりそうな。

メールを送信してきた相手は、聞きたいこと、お願いしたいこと、相談したいこと、何らかの用があってメールしているので、それに対する答えが来ることをいまかいまかと待って期待している。それが早ければ早いほど嬉しいに違いない。それだけ早く自分の欲しいものが手に入るのだから。自分だって、メールで何かをお願いしたらすぐに答えをもらえたらそれは嬉しい。そのようにして、一つ一つのメールに対してすぐ返信を心がけていると、想像していなかった効用がありました。― 自分が頼りたいときに相手にお願いをすると快く対応してもらえること。仕事の処理スピードが明らかに上がること。

相手に喜んでもらえることを ー 届いたメールにはすぐ返信 ー 習慣にすると、自分が困った時に相手に頼りやすくなる。きっと相手もこちらの日々のスピードある対応を好意的に感じているからだと思う。いつも”すぐ返信”ができるわけではない。会議もあれば、他の急ぎのことに時間と心を集中しなくてはならないことだってある。それでも可能な時には常に意識してすぐの返信を心がけているときっとプラスに働きます。

すぐ返信することで、その次のアクションが始まるので、自然と物事が動き出す。多くの事を同時に処理することには無理があるけれど、まずは自分のところにきたものを手放す。その間にやってくるものを受け返す。手元で滞留するものが減ることで、結果的に仕事の処理スピードが上がる、その繰り返し。ロシアで勤務している時には、提出締め切りがまだ1週間後の資料でも、「XX日までにまとめて報告してね、そこで議論して資料を固めてしまいましょう」、という上司。なぜまだ時間があるのにXX日までにやらなければならないのか?他にも片付けなければならない仕事があるのに…そう思うことも確かにありました。忙しいスケジュールで他に時間を取れない、という理由もあったようですが、その要求の根幹には、早く解決できることを今解決してしまいたい。次の課題が嫌でも降ってくるから、少しでも今片づけられるものは今やってしまおう。というものがあったようです。”すぐ返信する”ことはこの考えにつながります。今できることは今解決してしまう。今すぐに返信できるものはすぐに返信をする。シンプルなルールでその効果は絶大。やってみない手はありませんね。

ロシア人スタッフを見ていつも驚いていたことが一つ。とにかく、同僚が持ってきた出張や休暇先からのお土産のメールへの反応が瞬時だということ。メール受信と同時にどどどっとスタッフがキャンティーンにワイワイ言いながら向かってゆく。メールの受信ボックスを見ると、出張から帰ってきたスタッフが「みんなにお土産を買ってきたから召し上がれ!」というメール。キャンティーンでワイワイガヤガヤ盛り上がる。そしてしばらくするとまた席に戻ってゆく。仕事のスピードは速くしてくれ!と言いたいこともあるのだけれど、あの、”お菓子をどうぞメール”への反応スピードには驚きだ…。

最後に。自分の中で何が何でも早く返信しなきゃ、というルールを決めてしまうと、今度は自分の仕事が断片的になり生産性が落ちてしまう。今行っている業務で切りのよいところを決めること。エクセルファイルのメンテナンスをいろいろと行わなくてはならない中で、この数式メンテだけはすべてやり切ってしまおう、とか。まずはこの資料を作成するところまでは終わらせてしまおうとか。そんな見極めが大切です。