ロシア人スタッフとのコミュニケーション―具体性を / Communication with Russian colleagues – “Concreteness”


信号待ちの歩行者。救世主ハリストス大聖堂(Храм Христа Спасителя)を向こうにみて。ここ最近はプラスの気温も続き、長く積もっていた雪もだいぶ解けてきています。路上は今度は氷となってかわり、足元が非常に危険な日々です。

私自身は根本的に同じ人間であるという観点から、ロシア人であろうと日本人であろうとマネジメント方法に本質的な違いはない、と自らの実体験からこのように考えるようになっています。各自が育ってきた環境=文化が染み込んでいるため、その外面にある皮膚のようなものは変わることはありませんが、ケガをすれば同じ赤い血が流れるように、嬉しいこと悲しいこと、泣きたいとき声を張り上げて怒りたいとき、心の中は同じのはずです。

コミュニケーションのスタイル

ふと自らを振り返ってみると、自分がスタッフに話す内容は具体性に欠ける傾向にあると気が付きました。よく言われるように、日本ではハイコンテクスト文化が一般的であるがゆえ、それが染み込んでいるのだと思われます。むしろ、ロシアに来る前はそれが当たり前のことでしたので…。そして、具体性のある指示、会話がいかにビジネスとして基礎であり、大切なことであるかも学んでいます。

「倉庫業者との関係改善を図るように」

この指示は、仮に彼らが要望する価格アップを100%受け入れて相手に喜んでもらうこと?相手の会社のマネジメントと会食に出かけて交流を図ること?こちらの価格値下げを飲んでもらって、コストダウン達成により倉庫業者とのビジネス面で我々として価格改善を達成すること?一体何を図るように指示されているのか、分からなくなります。

一方で、この文言を受け取った側は、会社の置かれている状況や日頃からの上司、同僚との会話から何を要求されているのかを掴む努力が必要なはずです。むしろ、この文言で部下が動き、こちらの意思を遂行できるようにするのが一番の理想でしょう。これを目指すことは間違いないです。ただ、残念ながら今時点では私の周りにそんな部下はいません…。今日も、日本人駐在員に関するビザについて一つのシンプルなことを理解するのに30分以上もかかりました。ひたすら喋るロシア人スタッフの怒涛のような会話をせき止めるのに一苦労、会話よりも絵で会話することをがお勧めです。

過去に上記の指示をスタッフに出した時、考えられるいくつかの案を出され、あなたはどれを希望しているのか教えてくれないか?と言われた際には、今会社が置かれている状況を踏まえて自分で考えられる方法で必要な選択肢を取って行動することがお前の仕事だ!と怒りのこもったメールを書き連ねたことがありました。今考えると、こちらの言わんとしていることはわかりますが、指示を出す内容としては不十分で、非があることを認めざるをえません。

具体性のない指示=具体的なゴールを自らが描けていない

「円滑に業務引継ぎを行うこと」、「全社的に最善の形となるようにプロジェクトを進めること」、「お互いにとって最善となるような~」、こういったフレーズは綺麗なプレゼンテーションの文句となるでしょうが、実際の業務をマネジメントする時に連呼していたらその先には失敗があるような気がします。という自分が失敗をこうして重ねてきました…。

自らが聞こえのよい言葉を並べてロシア人スタッフに指示をしているとすれば、それは自らの中に具体的に目指すゴールのイメージが描けていない、ということに間違いありません。具体的なイメージを持った上で、自分はXXXのような形を描いているんだ、ここにもっていくために今抱えている問題を解決するために一つ一つ取り組んでいこう、そのためには~、と具体的な指示を与えることがマネジメントとして必要なことなんだと学んできました。

「なぜ私の業績評価がBではなくてCなんですか!?」

これも同じで、そもそも自分の中に明確に定義があるのか、厳密な定義づけは実際には難しいので、そうであれば自らが考えるBのイメージを定期的にスタッフに伝えてきただろうか、そう考えるとやはり自らがイメージをクリアに持っている必要がある、そう学習させられます。

さらには、課題に取り組む過程で出てくる想定外のアイディアを受け入れる準備ができていること。最終ゴールは、当初は自分のイメージしたゴールだったとしても、さらに別の人との協働により生まれるベターなアイディアを取り入れて行ける、考えていなかったサプライズを楽しめる、そんな人間としての大きさを持てるようになること、それが一生のテーマですね。先は見えませんがそんな風になってゆきたいです。今後も具体性を持った指示を出すためにも、スタッフへの指示には十分具体的か、Something like thatといった人によって異なったレベルの理解をしかねない言葉を避けること、業務の責任、Deadlineを明確にしているかなど、振り返ればいたって当たり前のことを身に沁みついてできるようになっているのか?毎回自らを客観的にみてゆくことにします。そして、分かっていても具体性をもったマネジメント実践のためには意識が必要であること、日頃から実践してゆくことの大切さを皆さんにもお伝えしたいです。

これらの点は国の違いは一切関係なく、世界共通のことなんですね。

ロシア人スタッフとのコミュニケーション / Communication with Russian colleagues

モスクワの夏の終わりもすぐそこに…お気に入りの公園にて。向こうに見えるのはモスクワ大学。


嬉しいこと、悲しいこと、怒ること…表現の方法は異なっていても”みな同じ人間”という事実はどの国でも全く同じ。ロシア人だから何か特別に接しなければ、ということは無いと確信してる。自分が重ねてきた数々の失敗をもとに重要だと思う点を書き出してみた。

「相手をリスペクトすること」
いたって当たり前なのだが、これがすべての源泉。頭で知っていることと心で理解していることは大きく違う。今でも忙しさに追われて日々の振り返りの中で反省も多い。相手をリスペクトする、というのは、相手を名前で呼ぶ。下の名前だけでなく、ロシア人スタッフ全員の苗字も覚える。少しでもロシア語を話せるよう頑張る。お菓子を時に買ってはオフィスで配る。そんなちょっとしたことの積み重ねもあるけれど、ここではもう少し深いテーマについて書き出してみた。
リスペクトするにあたって具体的には、

・感謝すること

「ありがとう」と心から言うことの大切さ。メールで“Thank you!!”というだけではなくて、直接本人に「助かったよ、ありがとう」と言葉で伝えることの大切さ。メールの言葉は薄っぺらいけれど、直接語る「ありがとう」の重みはまったく違う。なおのこと、日本人ならではのお辞儀(軽く会釈)することも良い効果があると思う。通っているジムの更衣室で一緒になった男性に何かの時にお礼をした際、自然と会釈をすると「お前は日本人か?日本の年上を敬う文化、そうやってお辞儀をする文化は素晴らしい。自分はチェチェン人(ロシア南部の一ロシア共和国)だが、自分のところにも同じような文化があり、自分はそういった習慣を持つ日本人を尊敬している」と言われたことがある。

・出退勤時の挨拶

“Good morning”, “До свидания(Good bye)”, “See you tomorrow”
朝早くにオフィスに来て、自分の仕事に集中しているといつの間にか挨拶のタイミングを逃すことがある。近くに座るスタッフとは問題ないが、離れた違う部屋に座るスタッフとの挨拶は難しいこともある。部下もすでに仕事に入り込んで机やPCに向かっていると、自分自身の性格の問題もあり、こちらから声をかけるタイミングを見つけられずに遠慮がちになってしまうことも…。努力して声をかける、何らかの仕事の話をもって近寄ってみたり。その時々で相手の様子もみつつアプローチしている。挨拶―これは一番シンプルで、とっても重要なコミュニケーションツール。

・自分が自分の仕事に集中しているときに声をかけられたときに必ず手を止めて、身体と顔を相手に向けること

”Excuse me, XXX san, could you give me signature?”, “I have a question.”, “XXX san, sorry, could you tell me?” このような会話が続くと、「なんだよ、まったく。そんなことで時間取るなよ、こっちに聞くなよ…」と心で思ってしまう→顔に出る→相手に伝わる→気まずくなる。これが常に続く場合は、会社運営に根本的な問題があると思われるが、こういったケースはどうしても起こる。気軽に聞ける雰囲気づくりが重要と感じている。誰かが自分の席に来た時には、手を止める。身体ごと相手に向ける、相手の目を見て話す。この基本を大切にしてゆきたい。このことの大切さは先輩社員に教わり、貴重な教訓となっている。相手のために自らの時間を捧げること―とっても重要なリスペクト。

・第三者との会話に同席するロシア人スタッフの面前で不在の部下ついて発言する際の注意

例えば、社外の方とのミーティングで、「わが社には優秀なスタッフがいて、HRのSpecialistは非常に優秀ですよ、よくやってくれています。」と言う。けれども、その場にHRのマネジャーが同席していて、彼女には日頃から「いつもありがとう、You are great、仕事に感謝しているよ」と自分は伝えていなかったとする。横で座っている彼女の心境はどうだろうか?「私の部下のSpecialistは優秀って言っているけれども、自分のことは一度もほめてくれていない…。」そんなことでがっかりさせてしまう可能性があるのではないだろうか。これは自分自身の場合にそのように感じることであり、他人にどう思うか直接聞いたことはない。相手の感情に傷つけてしまうのではないか、そう自分で感じていることで日頃から自分の言動に気を付けようと意識している。

・自分の中にバイアスが無意識にできているのだ、という事実を認識し、それをできる限りコントロールすること

日頃から多くの時間をスタッフと接していると、自然と自分の心の中に各スタッフに対するバイアスが出来る。彼女はいつも仕事が丁寧、彼は仕事が遅い、いつも何か間違いが多い、など。でも時に自分のバイアスを前提に相手のことを決めつけてしまうと判断を誤り大事に至る。
受付のソファに長いこと掛けているゲストがいる。気になっていたけれど、しばらくして会議室をのぞくと営業マネジャー、スタッフと彼女が面談をしているようだ。会議室の予定を見ると確かに面談らしき事由でBookingされている。HRマネジャーが見当たらず、HRスタッフに「なぜHRスタッフが同席していないんだ?」と聞くと、「私は面談があるなんて聞いていない」という(またか、というバイアス)。しばらくしてマネジャーが戻ってきたので、「なぜHRが面談に入らないの?通常、人事面談はHRが入るものでしょう、ずっとあなたが席を外していたから彼らは先に始めてしまったのでは?もっと営業とコミュニケーションを密に取らないと」という(いつもこうなんだから、というバイアス)。この時点ですでにHRに対するネガティブな、また、営業スタッフにはHRのサポートが無く申し訳ない、という決めつけができてしまっている。なぜならば、必要採用数が複数ある現状で、営業スタッフから人事スタッフはどうも我々をサポートしてくれていないようだ、何とかしてもらえないか?というフィードバックを一度ならず受けていること、自分自身も何かと人事スタッフと仕事のコミュニケーションがうまくいっていないことが重なっていた、そんなことが前提となっていた。でもよく確認すると、その面談は採用とは違うものであったというオチ。

・”自分のための逃げ場”を常に意識した言動をすること

これは結局、自分の言動によく注意を払う、ということ。あとで自分の非が判明するときに、日頃から自分が常に相手に寄り添える関係を持っていないと修復が難しくなる。多くの可能性で単なる自分の勘違い、状況の把握不足による誤解であったケースが多くあり、不必要に関係を一時的に悪くしてしまうことがあった。上記のバイアスの例も然り。何かを言葉にする前に可能な限り時間を取って熟考することで余計な発言を抑えられる。時間がない場合でも、批判的な言葉は避けて事実確認から入ることで雰囲気を悪化させないこと。相手に傾聴すること(とりわけ女性は話が長くなる傾向もあり次から次へと話を繰り出すので、よく遮ってしまうこともあり反省もあるのだが…)。入社早々に退社してしまった女性に「この会社は、余計な一言を発言する人が多いように感じる。言わなくてもいいのに。それも退社の理由の一つ」と言われたことがある。人は自分のほうが正しい、相手よりも上である、それを見せるために、あるいは自らのプライドのためにそのような発言をしたがる傾向にあるのだろうか。不思議な生き物だ…人間というのは。
この注意によって、いつか別の機会に自分が苦しんでいると、スタッフが率先して助けてくれる。そんな場に遭遇するときに自分の日頃の言動の大切さを学び続けている。

・何か叱責と取られてしまう発言をする際、発言する前に時間をとってよく熟考すること。感情のままに動いてしまうと関係が気まずくなり修復に時間を要する。

これは上記と重複する点。自分の言動に気を付けることで防げる。でも気を付けていないといつの間にか過ちをおかしている自分がいる。

・相手を自分と対等の一人の人間として敬い、自分(会社)の決定がその人だけでなく、その人の家族・親戚にまで影響を及ぼすのだ、という認識を持つこと。

残念ながら日々多くの要件を抱えている中で、一つ一つの問題を同様に扱うゆとりがなくなってしまうことが多い。どこかしらで自分はボスで相手は部下、という上下関係を無意識に持っていることも事実。こんな例があった「他のスタッフの行動で私の感情が非常に害された、この状況で今後毎日会社にくることは気持ちとして難しい、会社としての対応案を教えてくれないでしょうか」とのメール。こちらからすれば「率直に伝えてくれてありがとう、分かりました。今週中に話し合おう」と回答。木曜日の業務時間も終わったころに、帰りがけに当人がやってきて、「まだ話し合いの時間を教えてもらっていなけれども、今週中って約束しましたよね」と言われる。「分かった、分かった、約束は守るよ」と回答しても、相手の顔を見ると「私のことをその程度にしか考えていないのね」という感情が明らか。自分自身の他の業務の優先順位もあり日時設定できていなかった点は自分の誤り。このようなアクションの遅れによって問題を余計に複雑にしてしまうことにもなりかねない。どこかしら無意識に自分の行動に自分の心の優先順位が表れてしまう、恐ろしいことにそれが顔にも出てくると元に戻すのは大変だ…。

このテーマは大げさだけど、ただ、少なくとも10人以上のスタッフにクビを宣告して去ってもらった実体験からすると、相手をリスペクトするというのはこういうことだと思う。その人の収入に依存している、自分の知らない彼・彼女の関係者がどれだけいるのだろうか、彼らの生活にクビという決断がどれだけ影響を与えるのだろうか、そこにまで責任を持てるはずもないけれど、少なくともそんなことを考えてゆきたい。そうすればおのずから日頃の相手に対する接し方が変わってくるはず。それは相手の人間性までは否定することなしに、なぜクビになるのかを可能な限り当人に理解してもらう努力、これはクビを言い渡す面談時ではなく、日頃からの接し方にかかっていると言って過言でないということ。だからこそ、相手の仕事に対する日々のフィードバック(”それいいね、ありがとう”、”それはあかんよ、頑張っている姿勢は感謝するけど評価できない”など)、時には適切に口論も辞さずに叱ることが(ほめて伸ばす、という風潮には素直に賛成しかねる。必ずしも良い効果を生み出さない結果を見てきたので、どのようにほめるか、何をほめるかがカギだろう)相手の納得感を高めるためにとっても大切なことなんだと体験している。

このように書き出してみると、多くの企業で抱える人のトラブルの内容は万国共通であり、いかに小さな問題であってもその問題を受けた上位の人間がどれほど相手をリスペクトできるのか、その問題から逃げずに対応するかという真摯さが求められているのだろう。リスペクトの元になるのは他人に対する”愛”だろうか。何だか非常に堅苦しいけれども、いかに他人を愛せるか、そうすればリスペクトも自然と培われるはず…これが今の時代のマネジメントに要求されていることだと認識している。実行するのは本当に大変で、人間は不完全なので常にできるなんて約束は無理だけれど、それを自然と身に着けられる、そんな人間になれるように努力してゆきたいといつも思う。