仕事を忙しくしているのは自分ではないかという疑い / Suspicion that you are the one who keeps you busy

仕事は忙しい。でもその中身が健全なものか、不毛な忙しさか、自分で冷静になって熟考することが重要だなぁ、と感じています。

見ていると、仕事の多くが不毛な忙しさで大半の気がします。そういえば何年も前ですが、東証一部の立派な大企業の経営企画に勤めていた友人は「社長向けの報告用に作成するプレゼンテーションが更新される度に回ってくるんだけど、なんと、その更新回数がXX回だった。それもグラフの位置を変えたり、言葉遣いを変えるためだけに。社内向けの資料にそれだけの時間をかけているっていったい…」と言っていました。(回数の記憶が曖昧となってしまったのですが、それは多すぎるなぁ、という印象だったことだけは覚えています)

私がロシアに来たばかりで右も左も分からない昔の話ですが、本社に提出する分量も多くない業績報告書の最終確認のために全駐在員が揃って会議室にこもり、気が付けば4時間近くが経過していました。今もよく覚えています。4時間近く座って、時には沈黙も続きながらのてにをは直し。現地のスタッフを育成し、業務を現地化してゆこう、と言っても実態は日本人で固まる。これは安心感がありますが、長期的に見ると会社とロシア人スタッフにとっては弊害でしかないでしょう。会議がようやく終わって外にでたところ、とあるロシア人スタッフから「いったいそれだけ会議室にこもってどんな会議なんでしょうか…Unbelievable」と言われました。私も同感です。その後、改善提案をしてそんな会議の方法もようやく過去のものとなりましたが…

何事も、今自分が行っている業務はどれほどの重要な意味を持つのだろうか?自分の勝手な思い込みで業務に重みを与えているだけではないか?そのように自己吟味することの大切さを噛みしめています。(以前に読んだ、”High Output Management” by Andrew S. Grove(昔のインテル社CEOの著書で経営書の中では大変有名な本のようです)では、”レポートは情報を伝える方法というよりは、”自己規律訓練”の”手段”なのである。レポートを”書くこと”は重要だが、読むことは重要でないことが多い”という興味深い指摘がありました。確かにその通りだなぁ、と思います。時間をかけるべきレポートの取捨選択は必要ではあるのでしょうが…)

というのは、自身の抱える仕事に取り掛かるにあたって、その仕事の重要さの位置づけと時間の掛け方について考えずに進めてしまうケースが多いように感じられるからです。

さて、不毛というのは自分の不注意、自分で生み出してしまった忙しさのことも意味しています。今回主に書きたいテーマです。後から降りかかってくる、「なんで当初お願いした内容と違う仕事をしているの?欲しい数字はこれじゃないんだけど…」スタッフが持ってくる報告にそう言いたくなることがあります。その元を辿っていくと「仕事を頼んだあのとき、このポイントで気が歪んでいたな、ここできっちりと自分の欲しい具体的な数値を説明せずに曖昧にお願いしてしまっていたな」といったケースが見つかります。そして、さらに、それが繰り返されることも。後で振り返ると、あ、やっぱり自分だ。またやってしまった、と。忙しさのせいにしてはいけませんし、こちらのお願いする意図をわかってくれよぉ、と部下のせいにしてもいけない。(でも人間なのでそんな気持ちもあります)

Emailでも口頭での説明でも、とにもかくにも具体的に、誰が?何を?いつまでに?どうして?具体的に書いてロシア人スタッフに渡す。このことの大切さを何度も何度も強く訴えたいです。

自分自身が考えていることは相手にまず100%のレベルでは伝わりません。ロシアで働く場合には言葉の問題もあります。同じ日本語で仕事をしていても誤解が発生しますし、ロシアで勤務していても、見ているとやっぱりロシア人スタッフ同士でも勘違いが生じているのを見ると面白いです。どこの国でもなんら変わりはありませんでした。

また、給与変更やポジションに関する人事関係のニュースなど、少々相手の意にそぐわない内容を伝える場では、気兼ねして言葉遣いも弱まり、一層相手との会話の理解に誤解が生まれるリスクがあります。きっちりと文書にして相手との面談に臨むべきでしょう。例えば、こちらはグロス金額で伝えたはずが、相手はそれを手取り金額と理解しており、あとで契約書を更新する段階になって「いや、これは自分の聞いていた金額と違う」なんてこともあり得ます。そこからまた不毛なネガティブな話し合いのための”不毛な仕事”が発生します。

自分自身の抱える仕事をいかに時間をかけずに処理できるか、空いた時間でいかに将来のための投資の仕事時間に費やせるか。これが重要だと思ってます。必要のないところは手を抜く。例えば、増える一方の報告書。それでいて依頼者はレポートを読み込まないことが多い。一体そんなレポートの完成度を高めたところでどれほどの意味があるのか?その完成度を高めるために熱意を燃やして周りに強要するならば、それは、その人の自己中心的なエゴでしかないのだろうと。そのレポートに要求される完成度のレベルをまず把握することが大切です。

仕事を一生懸命に時間をかけて、残業してでも行うから素晴らしい、という価値観はありえません。これは、限られた私の経験からしか判断できませんが、労働時間が長い=一生懸命に努力していて素晴らしい、という風潮を事実見てきています。

周りからの評価が自身のKPIではなく、自身の持つ固有の時間を大切にすることであるならば、いかに自分の時間をかけずに課題をクリアできるかが優先順位となってきます。例えば資料作り。見やすい、きれいな色付け、線の種類を揃える。そういった類のことは社内向けであれば妥協すべきだと思います。コメントも過去資料に似たものがあれば流用できます。フォント、サイズを揃える、印刷の際には画面内に収まるだろうかと、Page previewでチェックする(相手が印刷をするかもしれないので)そのような最低限のことを守ればあとはとりわけ過度な注意を払うことは不要であろうと。そう思います。

社内メールであれば、句読点もそんなに重要でしょうか?そんなことも思います。自宅勤務が続くモスクワ。メールを音声入力で作成することが増えた現在 — 音声入力だと、句読点が入らない(方法を知りません) — そんなことを考えたりしています。

今の時代、結果的に仕事の反応も早くなり、結果的に評価される可能性が高まるかもしれませんね。自分の時間を最優先に考えて行動する。それが結果として会社と自身の両者にとって益がある、面白いです。

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ロシアのモスクワにある日系企業の管理部門に7年間勤務した後、現在は日本で働く会社員です。モスクワでロシア人と一緒に日々仕事をする中で、私たち日本人が経験するアドミ業務についての情報、課題、考えなどを少しでも多くの方々と共有したい、アドバイスをいただければ、と思いブログをはじめました。 経理、労働法や人事制度の仕組み作り、ITスキルを応用した仕事スキル向上、EAC認証などの幅広い管理課題に取り組んでいます。 とりわけチームビルディング、部下とのコミュニケーション、モチベーションアップ、という課題は世界共通だと認識しています。そんな話題も中心テーマの一つです。

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