ロシアの付加価値税 / Value added tax in Russia

バスの中にて。МОСКВА АВТОДОРと背中に書かれたユニフォームを着た男性二人。この格好をしたスタッフを街中で頻繁にみかけます。国有企業で、幹線道路などのインフラ整備を担っている企業です。ホームページを見ると、2030年までの成長戦略をうたっています。すごい、どんな計画なのだろうと思い、Linkをクリックすると”404 Not found”…。

ロシアでは2019年1月1日より付加価値税(Налог на добавленную стоимость, 英語Value Added Tax, VAT)が18%から20%に上がったことが話題となりました。実際にVATの詳細を見てゆくと、10%や0%の場合もあります。

ロシア連邦の税法第164条「税率」に定義されています。

https://base.garant.ru/5167814/fc0f475aca39671aa05ff2fbe93e24ae/

0%

商品を輸出した場合、国際輸送にかかる費用など。私の勤める会社でも関税同盟の国へ輸出の場合、輸出した証拠となる会計書類と共にレターを税務署に提出することで0%付加価値税の適用を受けています。

10%

食品、子供用品、本や定期的に発行される出版物、医療品といったものが10%の適用を受けます。私もすべてを理解できていませんが、食品や子供用だからといってすべてのものが適応されるわけではないようです。164条を見ると、大半の食品(肉、乳製品、卵、野菜、魚など)はこの10%が適用されていますが、たとえばミネラルウォーター、チョコレート、ミカンといったものを最近購入した際には20%課税でした。なぜだか蕎麦は10%となっています。その原材料が10%の対象品だからでしょうか。

なんだか、この10%の項目の中の最下段に、

овощей (включая картофель); 野菜(ジャガイモを含む)

とあることに、へーそうなんだ、と目が留まりました。ジャガイモが野菜とみなされるのか?という疑問に応えてきちんとジャガイモも野菜の一部とみなしますよ、と補足説明を加えているのですね。今回、野菜の定義、じゃがいもが野菜に該当しない可能性がある所以を初めて知ることになりました。

20%

上記以外のケースすべてに適用されます。

ロシアの連邦税務当局のサイトを見ると、ロシア語・英語でサイトが整備されていて(英語版はロシア語版には劣ります)、デザイン・内容もよくサイトを訪れる人のことを考えて作られているな、と感じました。そもそも母国語で読んでいても税金のことは難しいので、ロシア語となると大変難しく感じますが、ポイントを強調した、字体も読みやすいデザインとなっています。

https://www.nalog.ru/rn77/TAXATION/TAXES/NDS/

会社のドライバーと会話したとき、「かつては新年といえば家族、親戚で集まって食べて飲んで楽しいひと時を過ごす時間で新年を楽しみにしていて待ち遠しかった。…今は、新年といえばイコール物価の値上げ。プーチン大統領の新年の挨拶がまるで値上げの合図に聞こえるようで、新年なんか来ても嬉しくない」ということでした。実際、VATの影響は2%ですが、明らかに街中の商品の値段は2%以上上がっている様子です。スタッフからもお店はどこも便乗値上げをしていて生活が苦しくなった、と言われます、つまり、会社も昇給のことを真剣に考えてほしい、と言われているのと同じことです。春の季節となると、人事評価、給与更改と、春の訪れは嬉しいもの神経を使う季節となってきました。

さて、こんな付加価値税の仕組みを調べてみると、その国の政府がどういった考えで国を運営しているのか、そんなことが税金の構造から分かるような気がしています。

自分自身の軸で情報の正しさの判断を / Possess the axis of judging information

赤の広場横の公衆トイレで順番を待つ女性。かつて初めてモスクワに来たとき、どれだけトイレを探すのが大変だったか…あの苦しんだ経験は今ではよい思い出となっています。それにしても何度も経験したくありませんが。今では街中でもトイレの設置数がずいぶんと増えました。

一つ見聞きしたことで全てを判断することがいかに危険なことか。どんなに相手が信用のおける人であっても、自分自身で情報の正確さを確かめること、その他の周りの人からも付加的な情報収集することが大切。

会社の社内でケーキをスタッフに振る舞った時のこと。一人で3つ4つのケーキをお皿に乗せて満面の笑みで歩いているロシア人スタッフを見かけました。それを見た同僚のスタッフがすれ違いざまに「お皿の上がとんでもないことになってるね(つまり、取りすぎじゃないの?と少々驚きのニュアンスで)」と声をかけると、彼女は「エへへ」と笑って何も言わずに席に戻ってゆきました。お前だけの分じゃないのだ、そんなたくさん一人で取るな!と思いつつもその時は別のことで忙しく、後ほど個人的に会話の際に「ケーキには限りがあるのだから、他の人の分も配慮して取ってもらえないかな?」と伝えました。そうすると、「あれは自分のチームのためにまとめて取ってあげたもので自分ひとりの分ではありません。」と。同僚との会話の際に何も言わずに笑って過ごした様子や、日頃からのネガティブな潜在的に自分自身の中にあるスタッフへの評価がそうした、ほんのちょっとしたことから言葉となって現れてしまう危険がある。

一対一で会話している時、「なぜあの子が昇格したのかまったく分かりません!人間的に彼女はまったくそんな資格ないです。」また、「(とあるマネジャーのことについて)彼女のことを部下の誰一人として評価していません。言っていることが分からないし、まるで教師のように指示するけれども部下たちはそんな上司を必要としていない、まるで説教されているようです。その割に実務のことを分かっていないし、部下からは信頼されていません。」と、そんなことを言っている当人が、日常の職場でふと顔を上げてみると、なんとうまいこと、良い笑顔でお互いに会話して楽しそうにやっていることか!あの豹変ぶりには驚くばかりです。いやいや、ちょっと待てよ、一体本当に彼女は相手のことをあんなに悪く言っていたのになんなんだ、と。

よく考えてみると、このように正直な気持ちを私に吐露してくれるのはありがたいことです。こいつには何を言っても口外しないだろう、と思ってくれているのであればのことですが…。しかしながら、最近はこう思います。「このスタッフは敢えて意図的にこの気持ちをこちらに伝えて、自分自身が何らかの行動を取らせようとしているのだろうか?」と。どうしても部下に言われてしまうと、そうか、と。自分が何とかするよ、と言ってあげたくもなります。しかし、経験からすれば、とりわけ女性の場合には聞いてあげることですっきりするケースがほとんどのような気がします。それで自分にできることをしてあげて、それが相手に伝われば十分彼らからの評価がアップ。何もしないとしても、まずは聞いてくれた、ということで合格点。とりわけ、他人のことを悪く言う場合には、たとえそのスタッフとよい関係を保っている仲であったおしても、そのスタッフの指標に乗せられてしまうのではなく、自分自身の指標を軸として冷静に判断することが大切です。

さて、そんなわけで日々あらゆる情報が飛び交うロシアの職場。何だかロシア人部下からいつも逆評価を受けているような気がしてなりません。また、彼らからの感情のこもったフィードバックを受けるときに、その回数、その熱量をもって社内のスタッフ間の雰囲気の危険度合を測るバロメーターとして利用するようにしています。

ロシアビジネスで参考となるメディア / Useful Russian media

春は近い…はず。が、時にマイナス10度近くになる日も。雪が溶けたと思いきや、再び降って積もることも。この写真のように。この週末、おばあちゃんが足元を確かめながらゆったりと歩いていました。天気予報ではこの週半ばの気温はマイナス13度となっています。

Ведомости / Vedomsti

Missionは,”to promptly provide the business community with objective, high-quality and useful information needed for decision making”

Financial TimeとThe Wall Street Journalの世界的に著名なビジネス紙により、真に独立した依存していないビジネス紙をロシアに作ろうというプロジェクトにより1999年に生まれたメディアのようです。定期購読していますが、デザイン、記事内容共に好きです。КАРЬЕРА И МАНЕЛЖИМЕНТというタイトルで、マネジメントスタッフにとって役立つ記事が定期的に掲載されていて実際にその通りに行うかは別としても記事内容は勉強になります。

・部下との気難しいテーマについて議論する際、どうしたら”勝ち”をおさめられるか?

・雇い主はどうしたら従業員に仕事への意味を与え、そして給与を抑えることができるか?

・2019年にはロシアの大企業のうち、どの部署で人材の需要が増えるか?減るか?

など、ここ数日で届いた内容の記事を見ても雇用者にとっては興味深いテーマが続きます。

https://www.vedomosti.ru/

РБК / RBK

日本で言えば、日本経済新聞のロシアバージョンというところでしょうか。上記のVedomostiと合わせて同じく定期購読しています(Kommersantというさらに堅苦しい新聞があります。これも日経に近いものを感じますがただでさえ難しいロシア語。そのうえ難しい記事内容。私にとっては近づきがたく、面白くなく、たまにレストランやカフェで見かけると手にするくらいです)

Velomosti同様にビジネス紙で同じテーマを取り扱っていることもありますが、新聞の記事の見せ方にまだ改善の余地があるように感じます。といってもビジネス紙としてはRBKは欠かせないもので、テレビ番組もあります。コンサルティング会社や銀行などが入ったオフィスに出かけるとRBKをずっとテレビで流しているビルもあります。

私はときたま掲載されるベンチャー企業を起こして成功している経営者の方々の記事を楽しみにしています。不正がまかり通っていてグレーなこと無しにはビジネスが成功しないと聞くロシア。その方々たちがどのようにしてここまで成功されているのかは分かりませんが、どのようにビジネスのきっかけとなるアイディアを見つけたのか、そのあとどのように苦労を重ねて今に至ったのか、そんな内容を読んでいるとこれまた勉強になります。

https://www.rbc.ru/

RT

取引先のロシア人の方からこのRTは中立的な立場からニュースを書いているメディアなのでバランスが取れていると薦められました。ただ、会社のスタッフにそのことを伝えるときっぱりと否定されました。ロシア政府によって運営されている企業なので、確かに政府寄りのメディアと言えそうです。英語版でも読むことができます。

https://www.rt.com/

Meduza

これはラトヴィアの首都リガを拠点にしたオンライン紙。歴史をかいつまんで読んでみたところ、Galina Timchenkoという方をトップとして2014年に打ち立てられたメディア。かつて彼女が勤務していたLenta.ruのポジションをPutin大統領に近い人物Alexander Mamut氏によって追われ、彼女とともに勤務していた約20人のジャーナリストを中心にスタートしたようです。見方によっては反政府的なメディア?と一見思えるかもしれないけれど、ロシア人の同僚に聞くと、記事の内容はバランスが取れている、とのことでした。最近読んだ記事では、ロシアの国会では現在、インターネットを遮断する可能性をめぐる法律が議論されている、とのこと。同僚がMeduzaの記事ページを開き、ロシアが世界から孤立するかもしれない!そうしたらとんでもないことになる!とニュースを共有してくれました。

https://meduza.io/

Moscow Times

オランダ出身の方によって1992年に設立されたWeekly紙。世界各国からの駐在員なら誰しもがこのメディアをチェックしているのでは…と思うのですがいかがでしょうか。かつてはよく街中のレストランやホテルなどでフリーの紙版を目にし、英語の勉強も兼ねて読んでいましたが、今はOnlineだけになったような気がします。英語でロシアの情報を入手することができます。

https://www.themoscowtimes.com/

春の訪れ、マースレニッツァ / Coming of Spring, Maslenitsa

3月2日(土)の晩、クレムリン赤の広場に入る手前の場所にて。まるでおとぎの国のような世界。

3月1日、ロシアでは“Масленица(Maslenitsa)”が始まりました。このマースレニッツァは一週間続くようですが一体これが何かというと、この単語、「マースレニッツァ」で詳しい説明が載っているサイトを検索するのが一番早いです。詳しくやそちらへ。…という自分自身もこれを機会に幾つかサイトを読んでみて勉強になりました。

もともとはロシアがキリスト教を受け入れる前からあった春分の日の前に行う春の訪れを祝う異教徒の祝祭だというのが一般的な理解と思われます。あるロシア語サイトでは「多くの人はマースレニッツァがもともと異教徒の祝祭であると誤って理解している。正教会員にとってこのイベントは別の意味を持つ。この週はВеликий пост(ポスト、正教会では「大斎」。英語でLent、辞書によれば<キリスト教>四旬節、受難節)に備えるための時期」なんだと。

一方で別のサイトを見ると、「(異教徒であった祖先たちは)太陽をあがめ、春の訪れを神に請い、人々自身も暖かい日々が少しでも早く来るように努力をした、それを表すのがこのイベントの伝統的な行事、人形(冷たい冬を表す)を火で燃やすこと(火は地球の熱を表している)で大地が眠りから覚めて、再び大地が穀物で潤うように願った」ようだ。

このイベントの時期、丸いクレープ生地のようなロシア伝統の食べ物(ブリニィ複数形блины)を食べる習慣がありますが、これは太陽を表しているようです。そして、「この時期にたくさんのブリニィを焼けば焼くほど、この春に家族がより豊かになり幸せになるといわれている」そうです。

この時期は肉や乳製品を控える40日間。私たちの会社のスタッフの中にもこれを守る人と守らない人で分かれます。食事に一緒に出掛ける際には、守る人は守る人で食事を制限しますし、守らない人はこのポストを守る人に敬意を示しつつも食事は特に気にせずにいつも通りのような気がします。街中のレストランはこのポスト専用のメニューを準備して、ポストを守る方々をサポートしています。

ロシアがキリスト教を受け入れたときに過去から続く異教の習慣をうまく取り込んだ、というのが一番正しい理解だと考えています。宗教心があることは立派で、こういった習慣を守っている人たちに敬意を表したいですし、こういった時期にロシア人と日本人の宗教、神様に対する認識の違いについても思いめぐらす良い時間ともなっています。

参考URL:

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%96%8E_(%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A)

https://dailyhoro.ru/article/maslenitsa-istoriya-i-traditsii-prazdnika/?from=related_slider

https://dailyhoro.ru/article/pochemu-na-maslenitsu-szhigayut-chuchelo-i-pekut-blinyi-narodnyie-poverya-i-obyichai/?from=related_slider

ロシア人部下同士の衝突のマネジメント / Solve the conflict between Russian subordinates

金曜日は、スタッフが周りの同僚がだれもいないタイミングを見計らい、つかつかと私のところにやってきて言い放ちました。

「XXXさん、(彼女の上司である)ZZZが来週開催される無料のセミナーに行くのを拒否された。私はこんなに業務ばかりやって、彼女はただTalk, talk, talk。なんでダメなのか理解できません。このAttitudeはフェアじゃない。」と。

何も聞いておらず、いきなり怒り心頭の様子で発しての発言。なんだなんだ、これは何らかの大きな問題に発展するやもしれず…。マネジャーの彼女には一言、あなたの部下が直接こちらに言ってくること自体が不自然ではないか?もう少し話が必要なのでは?とメール。

その後、マネジャーのZZZと直接会話してみると、仕事の優先順位、セミナーの内容からして重要なではないことからセミナーに参加する必要性が無い旨を部下に伝えたようでした。それならそれで正しく、彼女の意見を尊重します。一方で、先日書いたように、正しいことが本当に正しいのか、その判断にはいつも難しさを感じています。どうしても人間なので感情の問題が入ってくることは間違いない。なぜ私ばかり事務作業を延々と忙しくやっていて、ZZZはただしゃべっている(しゃべてっているからといってそのことイコール仕事をしていないと判断すべきではありませんが、ZZZは日頃からしゃべってばかり、というイメージが頭の中できていると、ちょっとしたことでそのイメージが悪感情と共に大げさになりえます)

以前、会社の研修で受けた内容が印象的だったのですが、「人は(この場合は部下)、“何を”言うかではなく、“誰が”言うかで判断する。」とのこと。ずっと昔に先輩社員から「こいつなんだ、とたとえ思ったとしても、その人が発言する内容が正しければ、その人が言うから嫌だ、ではなくて、その発言が正しければそれを受け入れなければダメだぞ。」と教わりました。はて、それが出来る人はどれくらいいるのだろうか…?頭で分かってはいても、実際にそれを行おうとすると、やっぱり人間なのでなかなか難しいことも多くあるのではないでしょうか?自分自身も先輩社員の言葉を思いに留めて努力してきましたが、「この人に言われたくはない…」と思ってしまうケースも事実何度もありました。

人は「うん、この人が言うのだったらその通り、私もそうしよう、従いたい。」ふつうはこのように感じるものだと思います。だからこそ、マネジメントは日頃から、いざというときのために、部下と意見がぶつかったときに、部下同士がぶつかりあったときに決断を下しそれを部下に受け入れてもらう必要があるときのために、「この人の言うことだったら従おう」、そんな風に感じてもらえるように準備をしておくことが必要なんだ、と実務から学んでいます。

あとで、その晩SMSがそのスタッフから飛んできて、「あとでZZZと会話しました。Now everything is OK.」と。日頃からZZZとはぶつかることもあるのですが、どうやらZZZも何がいけなかったのか彼女なりに考えたようで行動してくれたようです。ただ単に、目の前の仕事が忙しいからセミナー参加は不要、セミナーのテーマが私たちには必要のないテーマなので参加不要、と言うだけではなくて、「○○○といったテーマについては特に気になっているので、その内容のテーマのセミナーがあれば教えてね、参加を考えてみるから。」「今は社内の業務が優先なので今はどうしてもオフィスにいてほしい。ただセミナーへの参加はスキルアップのためにも重要だと認識しているので、今の直近で急ぎの課題を終えて来月以降で出席できそうなセミナーを探してみようか。」そんな一言を付け加えてあげればきっと部下も“否定された”とは感じることなく、優しく配慮してくれた上司に感謝を表してくれるのではないか、そんなこともZZZと共有し、お互いにまた一つ勉強をした一日となりました。

ちょっとした一言の大切さ / A few simple words make things big different

今日はちょっとしたことで深く考えさせられることがありました。

お昼過ぎに社用車を利用してオフィスを出発。14:30くらいだろうか、目的地に到着し車を降りてドライバーと別れた。行きのみ車が必要で、帰りは自ら地下鉄で帰宅。(夕方からのモスクワ中心街の渋滞は大変ひどく、歩いたほうが早いのではと思うくらい進まない。場所によっては500mくらい進むのに1時間近くかかった経験もあり、車での移動は大嫌いだ)

19:30過ぎにドライバーからロシアで大変ポピュラーに利用されているメッセンジャーアプリ、What’s upに“Извините, а вы когда вы выйдете?”(すみませんが、いつ出発しますか?)とのメッセージ。こちらはしばらく携帯を見ておらず、20時過ぎくらいに気づく。?と思い連絡すると、どうやらこれまで私が降りた場所でずっと待っていたらしい。彼の勤務シフトは午前中なので夕方前には勤務を終えるべきところ、こんな遅くまで待たせてしまうことに。彼は私に連絡してくる頃に夜の勤務シフトのドライバーに交代し、私がまだ建物内にいることを伝えて、夜間担当のドライバーが引き続き私を同じ場所で待っているという。すでに私は建物を出て帰っていることを伝えて勤務を終えてもらった…。

ここで「なぜドライバーは電話してこなかったのか?一本電話すればそれで済んだ話では?」という疑問もあるものの、今回のテーマは、ほんとに小さな一言が後に大きな問題となりうる芽をつむことにつながる、というもの。

社用車を総務スタッフに手配するとき、メールに赤字にて「One wayだけ必要です」と強調したことから問題なく伝わっていると思っていたものの、ドライバーは「その指示は聞いていない」という。手配ミスはこれまでにほとんど無く安心しきっていたこともあるのだが、あのとき、車を降りる時に一言「今日の帰りの車は不要だからね、もう帰っていいよ。」と、その一言をかけられなかったことが心残りとなってしまった。たった一言、まったく時間も取らず、仮に分かりきっていることとしても、もしかしたら50回に1回かもしれないけれど、その一言が役立つことがあるかもしれない。出発するまえの目的地確認、降りる時に何時頃に車を必要とするか、車は要らないのか、それをドライバーと確認することをスタンダードとする。そして、以前にも書いた“自分で決めたスタンダードを守る”の通りに決まったこととしてルーティン化すること。今日はまた一つ学習した。

ところで、この一言でお互いの理解を確認することの大切さ。

オフィス内でももちろん大切なことだけれど、相手によってやり方を考える必要があることも学んでいる。例えば、タイミングの問題。経理スタッフが電卓で計算をしているとき。相手を気遣うならば計算が終わるまで声をかけるのを待つこと。大概計算してきた途中で止まるとやり直しとなってしまう可能性が高い。スタッフ同士で仕事に関する議論をしている最中。いくら上司だからといって自分の権限で会話に割って入って自分のことを優先するのは上司として失格だ(ただし緊急時を除く)。例えば相手の性格の問題。部下によっては仕事中にむやみに声をかけられることを嫌うスタッフがいる。たった一言だからいいでしょう、と思うのだが「XXXさん、私はメールでコンタクトしてもらうほうが集中力が切れないのでうれしいです。メールしてもらえませんか?」と言われてしまう。なので、彼女とは簡単なメールで済ますことも多い。会議のときはきっちりと時間を割いて議論し合うけれども。また、こんなスタッフとは彼女が席を立って歩きだしたタイミングが目に入ったときに声をかけるのが有効だな、と感じている。一方でこちらもちょっとした時間のかからない報告は私が席にいる時には声をかけて、とお願いしているので、スタッフも進捗があれば適宜「XXXさん、この件進捗があって、YYYです。いまZZZからの連絡を待っています。」そんな風に報告してくれる。といっても自分自身も集中力が切れるのを極度に嫌うので頻繁に声をかけられるのはさすがにやめてくれ、と。そんなときは苦笑いしつつも若干しかめっ面をして「…ごめんね、ちょっと今は…。」というと、部下も慣れたもので「あっ、今はまずい…」と思って近づいてこなかったり。あるいはもう席を外す…、だって「席にいるときにはいつでも声をかけていいよ。」と言ったのが自分なので言い訳ができない…。

マネジメント業務は非常に人への気を遣う、まさに現代の日本人の極度なおもてなし精神と同じかそれ以上に大変な仕事なのだ、と感じている今日この頃です。

ロシア人スタッフの息抜きのために / How to release stress from Russian colleagues

私はロシア人スタッフのすぐ近くに席があるので、彼らが何を話しているかが耳に入ってきます。出社してきたばかりの時間帯は「ねえねえ、今朝の地下鉄でこんな変な人がいたの、信じられる?」「昨晩のあのTV番組見た?最高だったよね」「昨日はスメタナをあえて作った料理がおいしくて…今日のお昼はどうしようか?自分で作ってきた?デリバリーを頼む?外に行こうか?」そんな和気あいあいとした定番のテーマが続きます。朝から元気で、もうお昼の話か、なんて幸せそうなんだ、と朝からきりきり舞いのこちらは羨ましく思うばかり。

仕事の時間ともなると色々とトラブルが生じます。お互いにミーティング時に合意していて進んでいると思っていたことが「いや、XXXさんからの情報待ちでした」とか「てっきりこうだと思っていました。」なんてことになるとどうしても気まずくなります。(どこまで部下を信頼して任せておくか、どのように上手にリマインドして正しい方向に向かっているかの確認をするか、いまだに勉強中の毎日です。)突き詰めてゆくとこちらが正しい証拠が残っているケースが多く相手を追及することもできますが、それは長い目でみると避けたほうがよいでしょう。こちらが同様のケースに陥ったときにしっかりとやり返されます。(議事録(протокол)を作成し、お互いに約束したタスクをメールで共有しておくことは有効です)

こちらもふつふつと感じている怒りを抑えて、今後の対応方針をできる限り冷静にスタッフと合意したあとはへこみすぎずに過去は仕方がない、この先で何とかするしかない、と気持ちを切り替え。…遠くのほうで当のスタッフが近くの同僚にこそこそと何かを話し始めたら、きっとそれは「なんで私が悪いのよ、XXXが(こういうときは“さん”があえて(?)省かれる。なによ、あいつは、というスタッフの感情が伝わってきます。なんだかその使い分けがときに愉快でもあります。また、スタッフ同士も冗談で「Maria san」「Elena san」とロシア人スタッフ同士で使いあっていたり。)悪いのよ、ぶつぶつ…」と鬱憤を吐き出しているところ。そのあとまた業務に戻ってくれればOK.そんな光景は見て見ぬふり。むしろストレスを溜めない発散方法のようです。しばらく文句が続いている様子を見る時にはさすがにこちらも「いい加減にしないか!もうその件は話し合ったからそれで十分だろう。」と言ってしまう、いや、言うようにしていますが、そう気持ちのよいものではありません。ただ、自由に発言できることが許されている中にも部下としてのけじめ、制限があることは誰もが覚えていなければなりません。当初は経験もない中での指摘は挑戦でもありましたが、それだけは部下に対して態度で示しています。

さて、他にも重要なことと考えているのはこの点です。スタッフのためにも、会議などが無い日には自分のデスクにいる時間が長くなりそうなとき、あえて自分がいない時間帯を作ってあげて、自由に言いたい放題言える時間を作り出すことがスタッフの息抜きに大切なことだ、ということ。どうしても上司である私が近くにいると思うとスタッフはこそこそと話を始めます。とりわけロシア人女性にとっては話すことが大切。(といってもこれは全世界の女性に共通していることと今では確信していますがいかに。)

思ったことをすぐに口に出す傾向があるロシア人スタッフ。それが口論の原因になることが実際多いのですが、その分ストレスを溜めにくくする効用があるのは確かなんでしょう。(日本人はどうしても我慢しようとする傾向があるので、我慢強いことは美徳ですが、苦しい時には外に吐き出すことは、とりわけストレスがたまりやすい駐在生活では大切なことです。)

採用面接にきたイケメンの男性がいると「見た?あのかっこいい人?(人事スタッフに向かって)どう、面談結果はよかった?(ダメ、との答えに)なんでよ?なんであんなかっこいい人を採用しないのよ?」と盛り上がったり、「給料日いつ?もうお金がない!早く給料日がきますように!」―本当に自由に生きているな…と思うときがあります。

あくまで個人的な感覚でロシアでの経験からしか語れませんが、生活が苦しい環境で暮らす人々ほど、冗談の文化が発展しているような気がしています。ロシアはアネクドート(анекдот)と呼ばれる有名な小話の文化がありますが、インターネットを見ていても現代版の小話が随時更新されているようです。苦しい環境になればなるほど、自虐的に自分のことを笑って楽しむ、他の発展した国のことを滑稽に表現して笑って過ごす、そんな生活上の知恵が大切なのかもしれません。

誰もが正しくもあり正しくないときにどう行動するか? / When everyone thinks I am right but not always true – How to manage them?

誰もが言っていることが正しいのだけれど、それが必ずしも正しくないとき。そのときがマネジメントとしての力量が試されるときではないでしょうか?

例えば其の一

ロシアでは従業員は退職日の2週間前に雇用主に退職願を出すことで退職して去ってゆくことが可能です。雇い主としてはその2週間後までに後任を見つけることは非常に難しいです。2週間の間に未整備であった引継ぎ事項マニュアルを書き出してもらい、急いで人材紹介会社に人材紹介をお願いしたのちは日々電話をかけて「候補者は見つかりましたか?」と問い続ける。面接を繰り返すもそう欲しい人材にすぐに巡り合えることは決して簡単なことではありません。そうして2週間が経った後は、残ったスタッフに後任が見つかるまでは抜けたスタッフの分の仕事を一時的にカバーしてくれるようにお願いするしかありません。

「それは私のJob Descriptionには書いてありません。もし追加の業務をするのであればその分の給与を払ってください。」そんなことを言うスタッフもいました。字義どおりに捉えるとそれは正しいことであり批判することができません。しかし、もしそれで「はい、分かりました」となれば、今度はこれまで長期で病気になっていたスタッフの分を文句言わずにカバーしてくれていた他のスタッフへの対価支払いはなぜ支払わなかったのか?何も言われなかったから考えずにいたのか?どうしても時としてお願いせざるを得ない緊急の仕事への対価支払いは?…考え出すときりがなくなります。

こういった風にJob Descriptionを持ち出して自らの業務以外のことを拒否するスタッフは幸いにも決して多くないはずです。どれだけ他のスタッフの心をつかんでおくことができるか、彼らにうまく入ってもらって説得してもらえるのか。また、彼らを束ねるロシア人マネジャーのサポートをどれだけもらえるか、日頃からの関係づくりが重要であるかを感じる瞬間です。また、お互いが困っているときに相手をサポートし合おう、という雰囲気を会社文化として気づき上げることができるのであれば、徐々に、時間はかかりますが、その文化になじめないスタッフは淘汰されてゆく…経験からそう感じています。そしてその過程で苦しんでいる間は先が見えないもの。もがき続けながら多くの場数を経験し、人間としても成長してゆく — それが唯一の先を切り開く道の気がしています。多くの賢人の方々がおっしゃっている通りだなと、深く頷いています。

例えば其の二

こちらはお客さんの要望どおりに商品を指定された住所に出荷をして引き渡したものの、相手会社内の理由で送り先アドレスが2つに分かれていた場合。私たちの商品引き渡し状には一つの届け先住所に全数量が掲載されていることから相手側の倉庫スタッフは数量が違う、といってクレームが届く。いや、それはおたくの社内の問題でしょう、私たちとの契約書には届け先住所は一つしか載っていないのだから。でも、今度は私たちの側の問題もあり、クレームへの回答が出来ていなかった。契約書を見ると「クレームに対する回答を10日間以内に行わなかった場合にはクレームに合意したこととみなす」との条項があり、相手はそこを突いてくる。私たちの側:(経理、物流)私たちは契約書通りにミスなく処理をしていて、なぜ相手のクレームを認めたことにしなければならないのか?私たちは悪くない!(営業スタッフ)経理・物流スタッフと相手会社との間でどうしてよいのか分からない…。相手の会社はこの件を理由に支払いをしてこない。支払いがなければ売掛金の滞留扱いとなり私たちも次の出荷を止めざるを得ない。そんな悪循環に。誰もが苦笑いして「なんでこんな単純なことの解決にこれだけの時間がかかるの?」と。

誰もが正しいのだけど、それではどうしようもないとき。実務上はこんなケースがどの会社でも多いのではないでしょうか?

そんな時に全員を集めて話し合い、命令をして指示を強制的に聞いてもらうのか、うまく説得できるように協調的な姿勢で臨むのか、多少は頓珍漢なことを言いながら、部下に軽くあしらわれながら「分かったわよ、私がやるからまかせて」と言わせることができるか。やり方はそのとき、相手の性格、状況によってあらゆる方法が正解となりえますが目的はただ一つ、現状の問題を速やかに解決すること。日頃からのコミュニケーションで培ってきた関係性が力を発揮するところと思われます。

こんなこと当事者間で解決してよ…と言いたくもなるのですが、こういった日々起こる些細なできことから学ぶマネジメント方法への経験が多くあります。

体調がすぐれないとき、でも仕事にゆかなくては / Being ill, but when you have to go to work

気温の寒暖差も激しいモスクワ。どうしても体調不良のときがやってきます。今年の冬は幸いにも今のところ風邪も引かず元気にやっていますが、この週末は土曜日の晩に食べた魚が悪かったのか軽い食中毒になってしまったようでお腹の調子がひどく、手にもしびれが残った状態がずっと続きました。日曜日はずっと眠り込むことに。せっかくの貴重な日曜日が…。こんな状態で月曜日を迎える時の心境について書き出してみました。

体調が完全にダメなとき。

ひたすら寝る以外に方法がないです。病院にいって診察を受け、薬をもらう、というのもありますが、ここではあくまで自宅療養を念頭に置いて書いています。

体調がダメなんだけど決して動けないわけではないとき、でも余裕があれば休みたいとき。

多くの場合、休める余裕がないことがほとんど。決して自分がいなければ会社の事務は回らない、自分が何とかしなければ!などという過度な自意識はないものの、現実的に起こる、規定では定めきれない日常のあらゆる問題を解決するにあたっては自分自身がいなければ不都合が起こることも生じます。そんな時でも、いかに今日休めるかの理屈を頭の中で考えだします。携帯で今日の予定をチェックし、「OK,今日は来客もない、社内会議のみだから何とかなるだろう」「仕掛事項も明日以降に延ばせば何とか今日は問題ないだろうか」と、可能な理由を頭の中でぽかぽかと浮かび上がらせてゆきます。そして「あと10分寝よう、そうすれば少しは気分もすぐれるだろうか」目覚ましがなると再び「いや、あともう10分…」と。そして仕舞いにはもうこれ以上決断を遅らせることができない時間がやってきます。そして、そんな日にどうしてもオフィスに行かざるをえない事情が起こったり。

「よし、半日だけでもいこう、それでダメであれば帰ろう」、そう思って準備をしてオフィスへ。今日という日は100点は無理なので、頑張って80点が取れればよいではないか、という気持ちで。このダメな日にどれだけ最低限の合格点でまとめきれるか、それだけを心に考えて…。

まずは動き出す

この体調がすぐれないんだけれども、決して身体が動かないわけではない、動けるのであれば動きたい、そんなときは、自分の気持ちの在り方に強く依存されるな、といつも感じます。昔母親世代の女性から一言いただいたアドバイスを頭に焼き付けています。「どうしてもやる気が起こらないことがあるでしょう。その時はね、とにかく動くことよ!動いてみるとだんだん身体が動き出してくるから、とにかくダメなときには動いてみなさい!」と。この女性はずっと女手一つで娘さんを育ててきたたくましい女性で、その笑顔で語っていたこのアドバイスには非常に説得力がありました。そう、「えいや」と気持ちを決めて起き出し、まずは動き出す。少しでもよいから動いてみよう、それから考えよう」とポジティブに動けば、自然と身体がリズムに乗って何とか一日を切り抜けることができる。身体も動いていると調子が上向いてくるのか身体の違和感もなくなってくる。「今日はやっぱりだめだ…」という気持ちが強くなると、やっぱり身体もダメになってひどいときにはさらに体調が悪くなってしまうことも。体調が悪いことだけに注意してしまってもよろしくないようで、体調が悪い状態でありつつも仕事に集中することで痛みを少しは忘れることができる。人の心は不思議で強いパワーを持つんだな、と感じさせてくれます。

今日も何とか乗り切りましたが、体調不良のときには休息をとるのが一番です…。そして休息を取れるようにロシア人スタッフと業務を共有し、仕事の理解をしてもらい、会社を担ってもらえるようにすること。まだ長い道のりですが、それを目指して日々励んでいます。 ただ、風邪をひき、周りにうつしてしまいかねないときにはもちろん仕事の影響も重要ですが、周りへの風邪をうつしてしまいかねない悪影響を最優先に考えています。そして、体調がすぐれないときほど日本食のありがたみを強く感じます。

[VBA] VBA学習から得られるもの / Benefit to learn VBA

VBA学習の際、謙虚さが重要。先週末は4時間パソコンとにらめっこして色々試してみるものの進展なし。翌日はやり方を変更。3時間でそれなりの形にもってゆくことができた。

インターネット上にあらゆる種類のサンプルが準備されている。まずは素直にサンプルに従って一度コードを書いて動かしてみる。それから少しずつ自分の欲する形にできるように変化をつけ、テストしてどのようにプログラムが動くのかを見ること。そうやって経験値を積むことが、一見すると遠回りに思えるこの道が一番必要なプロセスなのではないだろうか、とそう思う。

私はプログラミング、という点ではド素人でまったく詳しくないところから始めた段階なのでまだまだ分からないことが多いのだけれど、こんな面白いものがあるのかぁ、と久々にワクワクするものを見つけたような、そんな気持ちにさせてくれます。

自分で何かを作る楽しみ、それが自分の希望通りに動くこと、業務の効率化に役立ち、周りの皆に喜んでもらえる。モノを作るとなると材料を揃えるところから始めなくてはならないけれど、VBAはパソコンさえあればいつでもどこでもOK。

上手くいかないことのほうがまだまだ多くて挫折したくなるんだけれど、これができたら周りのスタッフに喜んでもらえるはず、もっと業務を効率化できるはず、と考えて何とか踏みとどまっています。

また、プログラミングは論理的思考(Logical thinking)を鍛える上でも役立っていると感じています。もしXXXであればYYY、そうでなければZZZなど、正確に論理立てて書かなければ動いてくれない、一つ言葉が間違っていても全く別物とシステムは判断して書いたプログラムが動いてくれない。人間であれば多少間違って発音しても相手は推察して理解してくれるのに…。それはそれで時にイライラすることもあります。

また、一つの目的にに対して異なるアプローチがあり、幾つもやり方がある中でどのようにプログラミングするか、そこに人の経験や性格が表れる、そんなことも見て取れるのが面白いなぁと感じています。なかなか年を取ってくると、新しいことにゼロから取り組むことがおっくうになってきて、手を出しづらくなるのが一般的でしょうか、そうしたことから少しでも離れていて、いつも新しいことにオープンでいることの大切さをVBA学習を通して学んでいます。以前であれば全く分からなくて難しいと感じていたことも、毎日継続して続けることで自然とその難しさのハードルが下がっているように思えてくること、それもまた喜びのひと時です。