スタッフの採用決定、その前にもうワンステップを。/ One more step before deciding to hire staff.

ロシア人スタッフの採用を決定する際には、履歴書(CV / Resume)にある、その人が過去に勤務していた企業の同僚にコンタクトして、一緒に勤務していた彼らからの第三者の評価を得ること。これは欠かさずに行うことをお勧めしたいです。これは自分自身の失敗から得た反省点でもあり、他社に「なぜこちらに連絡してこなかったんだ…」という気持ちからでもあります。

特に、過去に勤務していた企業の中に日系企業があれば、ほとんどのモスクワにオフィスを構える日系企業が入会しているジャパンクラブにコンタクトリストがあるので、その企業に連絡してみる。たとえ面識がない人だとしても、知り合うきっかけにもなるし、聞くのは決して無駄なことではない、と思っています。

ロシアでは、大抵の場合、採用面接に来るスタッフは推薦状を用意しています。自社を退社する場合にも、良好な関係の下で退社するスタッフからは「将来のために必要となるかもしれないので、私の推薦状にサインをお願いします」といって、本人が作成してきたドラフトにサインをしたことが何度がありました。本来は私が内容を考えて書く必要があるのかもしれませんが、現実には本人自身が自分の行ってきた業務や能力を褒め上げる内容を書出し、それがあまりにも事実から外れていない内容であればサインをする、そんな流れでした。

クビにした人材が他の日系企業のマネジャーを務めていると人づてに耳にしたときにはただただ驚くばかり。どんなに口が達者で、履歴書には立派なことを書き上げ、MBAを取得しているからといって実際に仕事ができるか…それは別問題です。面談でも流暢な英語を話し、ロシアに来て間もない日本人駐在員にロシアビジネスを語り納得させ、私を雇えば必ず成果を出しますからご安心ください、と納得させ…いざ採用してみて、さあ仕事ぶりはどうか、と見ていたら、「ん?何か違わないか…でも、それは自分の勘違いだろうか」と自らを納得させようとして、気が付けば取り返しのつかないことに…。

まずはCV / Resumeでその人の経歴を判断し、能力をある程度確認したうえで面接に進むかを決定する。そして実際にロシア人スタッフの人事スタッフが面接で「OK、悪くない」と判断すれば、次のステップへ。英語で会話する時と母国語のロシア語でロシア人同士が会話するときの印象が大きく異なるケースも多々ありました。

さて、この人を真剣に雇用しようかという段階になると、本当にこの人で良いのだろうか、という迷いとの闘い。(厳密にいえば、迷った時点で採用を控えるべき、というのが人事の専門家のアドバイスかもしれません。実際のところ、絶対にこの人を取りたい、という人を採用できる場合は、非常に少ない、というのが事実ではないかと経験から感じています。その多くの理由は会社で出せる給与の条件に合わないケースがほとんどでした)でも、やっぱり「この人と一緒に働いてみたい。この人ならやってくれるのではないか。」という思いがあって次のステップがあるのは絶対です。もしかすると、今の会社の文化に合わないだろうかと思って採用してみたら、今は会社の中核人材になり、とっても貴重なメンバーになる人もいますし、会社が提示できる条件が決して本人の要求するレベルに達しないにも関わらず条件を飲んでくれたスタッフ。そのスタッフは本当に会社のために仕事を惜しまずにサポートしてくれて、休暇中でもチャットで対応方法を教えてくれたり。「私の携帯のバッテリーがなくなっちゃった!旦那の携帯で続けるから待ってね。」と言って、旦那さんの写真が入ったメッセンジャーアプリで会話を継続する何とも言えない違和感…(会社の社内情報をプライベートの携帯でやり取りしていたわけではありません、念のために。)、一方で3ヶ月間の試用期間中に騒ぎを起こし、そのまま去っていただくことになる人も。試用期間を終えるタイミングで契約を締結しないことを伝えると、会社の主要なデータを外付けハードディスクに全て移してしまい、スタッフが「XXXさん、大変です。彼女が会社のデータをすべて消去してしまって、サーバーからデータが消えています!」なんて慌てて状況の深刻さを伝えてきたこともありました。自分の仕事に自信を持っており、それでいてなぜ自分を採用しないのか、納得がいかない、という気持ちが背景にあったのだと思います。

採用は何度やっても難しい。見極める力が訓練されてきたと思いきや、毎回新たな課題と向き合い、失敗もすれば成功もする。もっともっと採用経験をこなせば掴めるのかもしれません。人事の本を読んで実践に移してみたり、経験者の話を参考にしてみたり。そんなことの繰り返しでした。もちろん、毎回ベストを尽くした結果です。

さて、本題に戻りますが、実際に一緒に働いたことがある人から聞く評価は貴重だと思います。日本での転職時の第三者からの客観的な評価をレビューすることはどれほど運用されているのか知りませんが、ロシアでは一般的と理解しています。それに、モスクワの日系企業のコミュニティは決して大きいものではありません。日系企業を好んで回るロシア人もいます。(他方で、日系企業では絶対に働きたくない、という人がいるのも事実)狭いコミュニティだからこそ、お互いに連絡を取り合って、日本企業を”カモにする”ジョーカー人材を引くことだけは避けたいものです。

現在日系企業に勤めていながらにして転職中であった人の勤め先に電話することはありませんでしたが、すでに退職した後であれば、その企業に問い合わせることは可能ですし、候補者が伝えてくれるコンタクト先がたとえその人のことを良いことしか言わないとしても、恐らく、一生懸命に、その人の課題を教えてくださいと言えば、言葉を選んででも伝えてくれるはず。ロシアでは、”お試し期間”が3ヶ月間(社長やマネジメント層であれば6か月間)与えられているからといっても雇用に関しては慎重に、慎重を重ねて慎重に判断を下すことの大切さをお伝えしたいです。

また、面接から得られる他社の状況はとても貴重でした。組織構造、会社のシステムは何を利用しているのか、それを目的に面接をしていたわけではないですが、管理部門とあっては悩みも組織の構造も似たようなものです。面接を通して得られる欧米系、ロシア企業の特徴も参考にする良い機会となっていました。単に人を採用する目的だけではなく、自分の会社の管理部門の在り方を客観的に観察するうえでも面接の時間は勉強となります。ぜひ、お勧めです。

過剰品質の日本、そのジレンマとその美学 / Japanese Over-quality, its dilemma and its aesthetics

6月上旬にモスクワから帰国して実家で2週間隔離生活をしている時、久しぶりに両親とも過ごす時間が増えて懐かしい話や仕事の話をすることが多くありました。

その中で面白いな、と思った話があります。父親は機械の設計をしています。たとえば、ペットボトルのボトルにプラスチックのパッケージを貼ったり、薬品や文房具の小箱を組み立てられる、そんな工場の生産ラインの中に位置する機械の設計をしています。ラベルを1分間にどれだけ正確に多く貼り付けられるか、箱を組み立てられるか、スピードと正確性とそれを達成するための製造コストとの闘いのようです。

面白いのは、日本で相手にするお客さんは、どんな小さなしわであっても欠陥品とみなされてしまうそうです。となると、そのしわが発生しない方法を解決すべく、さらに時間と労力をかけて解決策を考える。それだけ機械の生産コストも高くなる。製造工程で、しわの発生が許されない、それは日本の価値観からすれば当たり前のように思えます。

例えば中国などのアジアのライバル会社が2,000万円で製作できるものが、日本では2,X00万円する。そうすると価格面で勝てない。そしてそこまでの高品質をアジアのお客さんは求めていないという。高品質を追求することは大切だけど、お客さんはそこまで気にしない。そのジレンマに陥っている気もします。

一方で、ロシアでは日本車が目に見えない部分にまでこだわって丁寧に製造しているか、車を分解したときにその仕事の丁寧さに感動した、という絶賛の言葉をビジネスパートナーからいただいたこともありました。

今の仕事でも同様で、たとえば仕事でエクセルファイルを利用して作成するレポート類について。罫線がどこかでちょっとしたところで縦一本欠けていたり、破線の種類が隣同士で異なっていることに気が付いたとき。自分では気持ち悪いので一つ一つのシートで問題がないかを確認する。この資料を受け取る人は、印刷をしない限りそこまで気にしない可能性が高い。今はテレワークになっていっそう紙に印刷する機会が減りました。きっと多少の線の統一がなくても問題ないはず、とおもいつつも、一方では自分自身はそこまでやらないと納得できない、やりたいんだ、という気持ちが湧いてくる。そんな部分に時間を割いていると他の仕事が溜まることに。

資料の受け手がどう感じるかを想像しながら、”もっと見栄えをよくしなければ”、とか、”もし罫線を気にせずに提出すれば、だれかはきっと私のことを「細かい部分に気が付かない奴だ」というマイナス評価をするだろうなぁ”、なんてことを別の自分がつぶやいている。

この資料は、どこまで詳細を気にして作成すべきなのか…一律の正解がないので難しいところですが、「お客さんはそこまでの高品質を気にしていない」「お客さんはそこまで気にしない」という点は、仕事の本質を見失わないためにも面白い観点だな、と感じました。相手のことを常に意識するが故の日本の美学と言えるのでしょうか。悪く言ってしまえば、独りよがりの美学なのかもしれませんが、こんな美学こそが世界に誇る日本という独特のイメージや文化を作り上げるのに役立っているのかもしれないですね。

最近入った回転ずし店でみかけたプラスチックボトルの醤油。特別な構造になっているために、ボトルをかたむけても醤油が一気に出てこないようです。ボトルに小さな空気穴が施されており、きっとそれが機能しているのでしょうか。私は、このボトルは醤油が一気に出てしまうことを防ぐ画期的なものです!とでも言うかのようにその機能が強調されている醤油のボトルをみて、「誰がそこまで気にするのだろう?そこにこだわる人がどれだけいるのだろうか?」というのが初めて見たときに素直に感じた気持ちです。もっとシンプルなボトルの構造にして、原価を下げてお客さんに提供できるほうがお客さんに喜ばれるのではないだろうか、とも思ったり。モスクワでは、いまだにガラス瓶にはいった醤油が店頭に並んでいます。昔ながらの懐かしいガラス製の醤油。それはそれで雰囲気があってよいのではないでしょうか?

二度とやってこない情熱を駐在期間にぶつけてみて / Hit a passion for the job that never comes again during a period of working in Russia

いつも考えます、なぜ橋本氏は都構想計画にもう一度挑戦しようと思わないのだろう?って。もう一度トライすれば、初めは反対していた人たちの中から賛同者が生まれて、遂には実現する可能性があるかもしれないのに、と。

勝手に私は自分自身の気持ちに重ねて想像するのですが、もうあの情熱は二度とやってこない、自分の想いをかけて注いだ情熱が一度破れてしまった後、再度チャレンジする情熱を呼び起こすのは大変難しい。これが橋本氏が政治の道とは違う道を歩んでいる理由なのかな、と。チャレンジを行わない理由なのではないかと。

私も7年間、ロシアに駐在している間、会社に残る古い業務フローに疑問を呈し、ロシア人スタッフに促しながら一緒に改善に向かって進もうと努力しましたが、その結果は私自身の思う方法には届かずに終わってしまいました。赴任したばかりの頃は、まず私自身が業務を把握することの忙しさ、そして、仕事へのやる気がない人、私のような新人を(立場上は私が上ですが)見下したような姿勢で会社をよりよくしてゆこうとする努力に対する協力の姿勢がない人、そんなマネジャー達を入れ替えることから始まり。ようやく体制を整えた後、さぁ行くぞ、と先頭に立って提案を進めてゆくものの、変化に対する抵抗、今の現状に何も問題を感じない、というスタッフたち。会社の将来を考えると、この変革は今後も会社に残って仕事をしてゆくであろう本人たちのためになるはずなのに。

私自身は、橋本氏よりもずっとずっと小さな規模の中で会社の制度やスタッフのためになればと思いシステムや業務フローの変化にチャレンジしている。しかし認めてもらえない。本人達のメリットがあるはずだと自分では分かっていても本人たちの意見を尊重していると進まない。意見が割れる。自分の力の至らなさを感じると同時に民主主義のデメリットを感じる。

自由を人に与えることがはたしてよいことなのか?むしろ絶対的な権力のもとでの自由に従うのが正しいのでは、と。

多くの人は変化を嫌う。変革がきっと大切なんだろうと分かってはいても、新たなことへ順応する必要性に対する面倒な気持ち、現在の ー 決してベストではないけれども ー 特段問題もない状況を変えることへの反発、何か変革が必要であれば、私がいなくなってからにして、といった他人事の気持ち、そんなものが相まって、物事が進まない。

大多数の人々にとっての正しさは、マネジメントが考える正解とは異なる。彼らにとっての正解が正しいのであって、どんなに将来を見据えた構想や変化を聞いたところで、それは彼らにとっては正しいことではない。どんなに変えようと思っても変えられない限界がある。もしかするとそれは今ではなくて、10年先にようやく起こりうることなのかもしれません。

自分の想いが伝わらないことに苛立ちと虚無感を感じ、そして自分の中でかつて抱いていた変革への情熱が再び湧き上がることがない。だから、その「時」が過ぎてしまうと、再びチャレンジすることが難しく感じがられ、モチベーションも失われてしまう。モスクワを去る時に、お世話になっていた他社の方から「きっとXXXさんの熱意は現地のスタッフにもきっと伝わっているはずで、それは引き継がれてゆくでしょう」というい言葉をいただいた。そう思いたい。一生懸命にやることで味わった満足感と敗北感。この気持ちは貴重な財産です。そして、なぜ人々の気持ちも分かるようになった気がします。

会社を根本的に変革してゆく時期に民主主義は相応しくない。強力なパワーを持ったリーダーのもとに半ば強制的に全員を動かしてゆくこと。民主主義と独裁制の上手な使い分けが必要なのかもしれません。もし私自身が現地法人の社長になったらどんな風に会社を経営してゆくだろうか?そんなことを考える機会となりました。

水漏れ事件で階下の住民が早朝から押しかけてきた /Residents downstairs rushed to my room from early morning due to water leak

1930年に建築された建物が今でも十分住むに足る、という驚き。そして、内装は立派に装飾されているけれどもこうして水回りのパイプ類を目にすると、いかに建物が古く、修繕を重ねて今に至っているのだろうことが想像できます。

ついにロシアの洗礼 - アパート水漏れ。
モスクワで住んでいたアパートの建築は古く、1930年と聞いています。外見は立派な建築様式で天井も高い。しかし、中身はすっかりおんぼろです。そんなアパートでも修繕を繰り返しながら今も我々のために住居となってくれています。

何度か引っ越しを繰り返して3件目のアパートでしたが、この水漏れ事件が起こるまでの約2年間は何も問題なく過ごしてきました。

そして2020年2月8日(土)の朝7時。ドアのチャイムが鳴りました。眠くて無視していましたが止まることはなく。ドアの穴から外を覗くとご老人夫婦とおぼしき方が。ドアをあけると女性がご立腹の様子で、わめきながらずかずかと土足で私の部屋に入り、バスルームへと入ってゆきました。

どんなに私が悪いからと言っても、他人の家にことわりもなく勝手に入り込むのはどうかと思います。それはないでしょう、というのがぱっと頭に浮かんだ印象ですが怒りは最高潮に達しているようです。

「1月にも同じことがあったのよ。もうどうしてくれるの!?」

2020年の始め、私が日本へ帰国中に水漏れがあったようです。オーナーからメールが入っていて、水漏れがあったために部屋に入ったとの連絡があったことを思い出しました。

写真の通りすっかりわが部屋の水漏れが原因で侵食されている模様。それはないでしょう、というのは下の階の方のセリフかもしれません。思い返せば、金曜日の夜遅くに仕事から帰ってきた時、何かがポタポタと垂れる異常な雰囲気の音がしていたのですが、深夜で一週間の疲れも溜まっていて注意もせずに眠り込んでしまいました。翌朝になってこの女性の怒りはこれだったのか…と。

しばらくして修繕をする男性がやってきました。全体で1時間くらいだったでしょうか、無事に水の漏れも収まりました。アパートのオーナーは「1月のときに修理を担当したあの人が悪い。最後までちゃんと仕事をやらなかったに違いない」と。
怒り心頭の女性の旦那さんの会話を聞いていると、彼の奥さんはどうも裁判を始めることを考えている、という。けれでも、私はそこまでは考えていないから修繕にかかるコストを負担してくれればよいから、と。

私の思い込みで判断してはなりませんが、このような件で裁判を始めるケースはロシアの場合は決して不思議なことではないのかもしれません。私の友人も、全く同じようなケースで階下の人から訴えられ、弁護士を見つけて協議している、とのことでした。彼女はフルシチョフカと呼ばれる5階建ての古いアパートに住んでいて、いきなり古い水道管が破裂したとのこと。どうやら彼女の家の箇所が破裂したことで階下の家の家具に被害を与えてしまったのだとか。階下の人が怒っており、それなりの賠償をしなければいけないことになりそうだ、という。それでも堂々としていて、まあ仕方ないわ、と言っていました、なんともたくましい。

私の水漏れと言えば、保険適用をした結果無事に保険会社から補償されました。家は立派でも中身は古く、修繕をしながら長く使用してゆく。近隣住民との関係の大切さ。これはきっと日本と同じなのでしょうね。

モスクワでの勤務7年を振り返って / Looking back on experience of 7 years I spent for work

ただいま家で自宅隔離中。区役所から定期的に電話がかかってきます。「公共交通機関には乗らないでくださいね。」と念押しされます。

それにしても7年間のロシア、モスクワでの生活は想像以上に自分自身の生活スタイル、考え方に影響を与えているようです。近所のドン・キホーテに出かけてみました。日本のモノに溢れている様子と安売りしている食料たちを久々に見てワクワクしてしまいました。いまだに日本円をロシア・ルーブルに換算して価格が高い・安いを判断してしまいます。クレジットカードが使いづらく、現金払いの場所も多く不便も感じます。

ジョギングをしていると、小さな川(残念ながら人工のもの)で川のせせらぎの音を聞いてつい聞き入ってしまいました。モスクワ中心を優雅にゆっくりと流れていたモスクワ川。同じ「川」といってもこうも違うのですね。とにかく日本は暑い。「いやいや、まだ全然暑くないですよ。」と言われても湿度の高さも手伝ってからか、暑さを余計に感じます。体の疲れ、集中力の低さにつながっています。大丈夫。区役所から「コロナウイルスの検査結果は陰性でしたよ。」とお墨付きをもらっています。体調は一応万全です。

そんな日本に戻ってきて、ゆっくりとロシアで学んだこと、感じたこと、考えていることを綴ってゆこうと考えています。

感謝を示さないことも立派な感謝では /Not showing gratitude is also a fine gratitude

この月曜日に、計7年間勤務したモスクワを離れてロンドン経由で日本に帰国しました。モスクワ~東京間の直行便は7月末まで欠航。イギリスには多くのロシア人が住むということで彼ら向けアエロフロートがフライトをアレンジしたという。ロンドンからは日本航空で約11時間。半分も埋まっていなかったのでは、と思える機内では食事時間以外はマスク着用して羽田空港に降り立ちました。

日本航空でのサービス中で感じる素晴らしく、日本のおもてなしの美を表すと思うのですが、着陸近くなると「これから乗務員がご搭乗への感謝を表すために皆さまのもとでうかがいます。」と言って丁寧に挨拶をしてくださいます。以前に搭乗していたモスクワ~東京便でも同様のサービスがあったので、きっとこれはマニュアルにあるものなのだろうと推測します。

ヘッドフォンをして、本を読んで集中していた私。通路に乗務員が来ていることも気に留めずにいると、肩をたたかれました。なんだなんだ?と思うと「今日はご搭乗ありがとうございます。フライトはいかがでしたか?」と流ちょうな日本語を話す外国人の乗務員がそこにいました。「とてもよかったです、ありがとうございます。」とお伝えしましたが、私にとってはむしろ集中を邪魔されたことが不愉快でした。

感謝を示してもそれが果たして相手にとってありがたい感謝なのか、相手の集中を邪魔していないだろうか、相手の状態を邪魔せずに何も言わずに通り過ぎることも立派な感謝の表し方なのでは?と思った瞬間でした。

今振り返っても判断が大変難しいと思います。以前にはこのように声をかけられることはありませんでした。単に、今回は機内の乗客が大変少ないために一人一人に丁寧に声をかけてくださったのかもしれません。「なぜ私には声をかけなかったんだ?」というクレームが後からくるかもしれません。私のように、できる限りこちらの時間を遮ってもらいたくない、という客もいるでしょう。多くの航空会社が自分の国の特徴も考慮しながら特有のサービスを提供しようと切磋琢磨する中であらゆるタイプの機内サービスが生まれているのだと想像します。乗客を乗せて飛ぶ飛行機が始まったのは決して古くないはず、それと同時にスチュワーデスという女性に人気のある職業が生まれて、今では男性も普通に見られるようになってフライトアテンダントと呼ばれる現在。かつては、今普通にみられる機内サービスも大変ありがたく、飛行機に乗ることも憧れであったのかもしれませんが、今も同じようにサービスを提供することが本当に大切なことなのか、そして感謝を一方的に相手に伝えることが、果たして相手への本当の感謝なのだろうか、マニュアルに沿ったおもてなしの気持ちなど要らないなぁ…と思って飛行機を後にしました。

搭乗前には乗客に対して、ホテルで部屋の掃除を頼む・頼まないの選択肢があるように、搭乗前に「わたしにおもてなしは不要です!」「わたしにはぜひ日本式のおもてなしをお願いします!」のチェックマークシートを準備するのはいかがでしょうか?

私の意見としては、本当の感謝の気持ちを表すのって実はシンプルでは?と感じます。機械的にドリンクを順にサービスすることや食事を渡すことが多く見受けられるフライトアテンダントの皆さん。どれほど疲れる仕事か、想像ができます。それでも「今日も良い天気ですね。」子供と楽しそうにしている家族がいれば「かわいいお子さんですね。」外の風景をカメラでたくさん撮影している乗客がいれば「カメラがお好きなんですか?外の景色もきれいですよね。私がこれまで観てきた景色と比べても五本の指に入りますよ。」なんて言葉をかけられたら会話が弾みませんか?

モスクワでの自宅隔離生活で考える世の中の不公平さ / Thinking about Unfairness in the world during quarantine and staying at home in Moscow

早朝。起きて家の周りを少し散歩しようと、住んでいるアパートの部屋を出て、エレベーターへ向かいます。到着を知らせる若干ヒステリックな甲高い音と共にその扉が開くとアルコールの匂いがプンプンしてくること、あります。明らかにお酒を飲んだ人が乗った後の匂いが閉じ込められていて、それが扉が開くと同時にぽわーっと開放されてゆくイメージ。家にいる時間も長くなり、お酒に溺れてしまう人もいるのではないかと。以前、まだコロナウイルスの蔓延が始まったばかりの頃に乗ったタクシーのドライバーが「こうなったらウォッカを飲むしかないなあ、ははは」と笑い飛ばしていたのを思い出します。あの頃はこれほどまでに長引くとは予想もしていませんでした。

毎日、体を動かすためにも、早朝にほんとにわずかですが家の周りを散歩し、晩にはその日と翌朝に必要な食料を買うために外出をして食料品店に出かけています。お店の前に佇む物乞いの人や、早朝や晩にゴミ箱をあさる人の数が気持ち増えた気がします。

以前私の友人が言っていました。「人の不公平はその生まれた家庭ですでに始まっている」と。生まれた家庭がどのような家庭であるかによって、既にその人はの人生はある程度決まってくるのだと。今、こうしてロシアに住んでいて、その言葉の正しさを感じています。這い上がることができない現実的に越えられないハードルが、恵まれた家庭に生まれてきた人との間に大きな差となって存在している。例えば、私の住むアパートオーナーのご家族はご両親のおかげでしょうか、中心部の立地のよい場所にご両親と、少なくとも2つのアパートを所有しています。そのうちの一つを私が借りています。きっと中心部から1時間ほど離れた場所であれば、この家賃で2か月は十分に暮らせます。社会的に成功している親がいるからといっても、その家庭内が崩壊していて、親子の関係がギクシャクしている家族、子供がゲームばかりして引きこもっている、高い学習塾に通っていても通うことに満足してその結果がついてこない子供、そんな家庭も見てきたので、社会的な成功=金銭的なゆとりがある ― に恵まれていることが常によい結果を生み出すわけではないようです。が、自分の将来に向けて投資ができる余裕の有無は大きな差だなぁ、と思うわけです。

私は本当に恵まれています。駐在員会社のお金で家賃を負担してもらっています、中心部に住んでいるのでかなりの良い値段ですが、その余った資金を自分への投資のために使用できるわけです。自宅隔離になってから、いくつか IT 機器を購入していますし、そこから恩恵と経験を得て、次はもっとこうすればよいだろう、そのためには何が必要だろうか、とさらに先を考えることができます。一方で、スタッフの給与からすれば、それよりもまずは必要な生活費に回そうと考えるかもしれません。

きっと人間の多様性というのは白人も黄色人種も黒人も、それぞれの肌の色、外見、文化などの比較できない違う価値観からなる美しさがあって、それが人間社会全体の美しさを生み出すはずなんでしょう。ところが、なぜだか人の欲が搾取を生み、不公平な世界を生み出し、結果的に肌の色による差別、住む地域での生活レベルの差といった不公平さは人間自ら作り出してしまったものだろうか、なんてことも感じます。砂漠は確かに美しいですし、アラビアンナイトの世界とかではラクダと砂漠は必須なのでしょうが、これほどまでに人が住めない不毛の土地が地上に必要なのか?と。

モスクワの平均給与は9万ルーブル(約13万円 13.05.2020時点)に満たない金額。この平均給与にしても感覚としては高いと思います。一般的に30歳を超えても10万ルーブル満たない給与の人は少なからずいる印象です。10万ルーブルいえば現時点の為替でいけばわずか14万6千円。それで一体自分の生活の野心的な将来を計画できるのか?自分の持ち家を購入できるのか?だからこそ夫婦共働きであったり、親親戚との強力な助け合いがあってこそ生活が成り立つと思います。だからこそとことん会社を利用して経験を蓄え、ビジネススキルを向上させて給与の高いところに転職できるよう目指しなさい、と言っていますが、それは各人の意思決定の問題であり、私は給与も最重要な点でありますが、それと同時にお金だけではない、この会社にいてよかった、会社に行きたい、と思えるような別の価値観をもっと充実させてゆきたいと思っています。といっても、とりわけ地方都市からモスクワに出てきた人は野心的な人が多いようです。モスクワではルームシェアをしていて、いつかは自分だけで住むアパートに住みたい、そう思うのは自然なこと。高い給与の提示を受けると転職してゆく人が一定数います。今も決して高くない給与で働いている地方から出てきたスタッフに尋ねると、親からの仕送りを生活費に回してモスクワの生活費の足しにしているとのことでした。

財政的にゆとりのある人は、余ったお金をより多くの自己投資に使う ― 多くの経験をし、多くのサービスを購入して評価ができる ― 余裕があり、その余裕を持っていない人々との差が広がる一方です。とてつもない財政的な余裕は必要なく、毎月の収入から少しでもそのような投資ができるようなゆとりがある、それだけでも十分だと思います。私は金銭的なゆとりを、おいしい食事ばかり考えることやブランド商品購入、立派な家具、使い切れない機能だらけの電化製品、最新のスマートフォンに費やす、そのような消費は浪費でしかないと考えているので、そのような、自分の将来の価値を増やしてくれるであろう投資に回すことは家計簿をつけてみればできるはずでしょうか。

今のコロナウイルスによる自宅隔離においては、家にインターネットと集中して勉強できる環境がある人もいれば、狭い部屋に複数の家族と住むことで自分の勉強スペースがなかったり、インターネットも自由に使うことができなかったり…明らかに各家庭の状況によって教育への影響も計り知れません。スタッフに「仕事の調子はどう?」と尋ねると、よくても通常の8割ぐらいの成果が出れば十分なくらいだと言っています、あるいははぐらかされてしまったり。 ―レスポンスはよいのでさぼっているわけではないと思っていますが ― 家では子供が騒ぎ仕事に集中がしづらい、アパートも決して広くない家庭が多いはず。その中に他の家族と暮らしていて彼らが会話していたり、テレビを見ていたり…そんな状況を考えると、8割くらいの生産性といわれても納得してしまいます。

世の中の不公正を是正するには一体何が何ができるのか?そんな逆境から這い上がってきた成功者が世の中に存在し、メディアにも取り上げられますが、その裏でどれだけ多くの人が泣いているか…そんな成功者は非常に稀な存在だと思います。普通、そんな苦しい生活が続いてしまうと幻滅的になります。そして、その現在から上がれない人が大勢いるのが当たり前ではないでしょうか。物乞いの人にお金をあげる、でもこの人の明日はどうなるのだろう?この人がそもそもこの状況に陥ってしまった経緯とここから一体どうして再び立ち上がる元気が出てくるのだろうか…?

おぎゃーっと生まれてきてからは、きっと誰しもが笑顔の赤ちゃんでいた時期があったはず。そんな時期がいつまでも長続きするような、そんな世界を ― たとえ一人一人の半径は小さいものですが - できることをしてゆく、それぐらいしかできることはないのかなぁ、との思いに暮れながら、今日も窓の外で日増しに成長している新緑を眺めながら家で過ごしています。

よき管理担当駐在員とは? / What is good administrative Japanese expat?

こうやって以下に”よき管理担当駐在員とは?”を書き出してみると、決して管理担当者に求められるもの、というよりも我々すべての人に求められる要素ですね。そして、これができていれば完全な人間。我々のような不完全な人間にはどうしても到達しえないもの…。それでも、完全さは無理だと理解したうえで日々努力し続けるその姿勢が大切なのかもしれませんね、そう思います。一言でいえば「人間力」。これをどれだけ高めることができるのだろうか?それをだれもが問われている、もちろん、周りの誰もそんなこと日々問いてきません。日々の自分の行動に対して、第三者のもう一人の仮想の自分がこちらを眺めていて、私の行動を評価している、そうやって自問自答の繰り返しです。

・心身の健康がなによりも一番大切 ― メンタルを病むことがないように。このためにも、ただでさえ業務量が多く、さらに時として起こる不測の事態に対処するためにどれだけ一つ一つの仕事を片付けることができるか。そのためのビジネススキル向上の努力が日々欠かせません。

・時間管理 ー 仕事とプライベートのバランスを保つためにも。ここで主に念頭に置いているのはとりわけ他人から求められていない仕事で、自分でやろうと決めた仕事、遅れても周りに迷惑をかけないけれども自分で今日やろうと決めた仕事。その一つ一つに対してかける時間、締切を設定して努力する姿勢。駐在員生活では自らを管理する局面が増えるために自分で自分を自律してゆかなければなりません。それをやらまいと結果的に周りに迷惑をかけないとしても、後で振り返って悔しい思いをするのは自分かもしれません。

・口を慎む ― たとえつい言い返したいことが口まで出てきたとしてもぐっとこらえる。これはとりわけ私にとっての課題です。素直に「はい、わかりました」といって終えればいいところを、そのあとに「でも…」「しかし…」「ただ…」と相手に反論しようとする言葉が自然と出てきてしまう。その多くは建設的な会話の結果を生み出さないもの。イラっとしているとこの点で失敗するリスクが高いです。こちらに正しい言い分があるとしても、今の目の前にある結果の前ではその言い分も対した意味を持たない状況。そんなときに 「でも…」「しかし…」「ただ…」 そういった言葉は無駄に時間を失うだけかもしれません。

・露骨な態度で相手に軽蔑の姿勢を見せないこと ― なぜなんでしょう、人間はどうしても相手を軽蔑したくなることがあります。たとえ相手が間違っていたとしてもそれを軽蔑する必要もないのではないでしょうか。自分だって同じことをいつするかわかりません。みな一緒です。

・日々に感謝すること。自分にないこと、足りないことを悲観するのではなくて、自分の持っていること、恵まれていることに感謝すること。 自分の持っているものを当たり前と思わないことです。人間、どうしてもそれを忘れて自分は何か得そこなっていると思いがちです。

・上司でも誰に対しても、その人の足りない部分ではなくて、自分にはない良い特質に注目するように努力すること

会社で長く働いていると、失礼ですが、仕事の能力が低いとしてもも、社内では重宝されている人がいます。それは人当たりの良さかもしれません。上の階層の方々の言うことを素直に聞いて実行してくれる人かもしれません。たとえ、その人がそれ以上の立場になれない能力の限界があるとしても、その人のいる立場で業務遂行する能力と姿勢があれば上としては満足です。自分の意思を押し殺し、指示されることを的確にこなしてゆくこと、それも立派な能力です。もちろん、それなりの立場にいる方であれば、業務遂行能力だけでは決して満足できるものではありませんが…いずれにせよ、その人が持つ良い部分に常に目を向けること。これがとても大切なことだと感じています。他人に対する批判をするのは、きっと自分の観点で相手を裁いているからなんでしょう。相手は私の物差しでは測りきれないもっと別のすばらしさを持っているのかもしれません。

・素の自分でいること。自分のの能力以上のものを無理して見せようとしないこと。疲れるし周りにもばれています。

・素直に間違いを認めて謝ること - 人間、完璧な人はいません。歳をとればとるほどに、立場が上になればなるほどに人に謝ることがしづらくなってきます。

・素直に人に「ありがとう」と感謝すること。忙しくしていると、年齢を重ねてくると、素直に「ありがとう」と言うことができなくなってくるような気がします。

・自分をいつも他人よりも下に置くこと。自分が優秀な人であれば、何もしなくても相手は尊敬の念をもって私たちを上にしてくれます。世の中には、見栄えだけでの自らを人より上に見せようとする見せかけの人がいかに多いこと。

・部下の成長を素直に喜ぶこと。自分が負けたなぁ、という場面があります。日頃がみがみ言っている相手にやられた~という場面があったとしても素直に部下が成長して自分より高い成果を出すことを素直に部下と共に喜びましょう

・素直に部下の指摘を受けれいること。たとえ苦々しい感情を抱いたとしても。指摘してくれるような関係作りを日頃からしておくことが大切です。裸の王様にならないように…。

・部下の提案を喜んで聞いてあげること。忙しいと話を聞くよりもまず自分の考えで勝手に決めて進めてしまうことが多くなりがちです。正直に言えば、何でも話を聞いていれば良いものでもなく、聞いてあげてもその希望に添えないことから逆にがっかりさせてしまうことが起こり得ます。それでも、部下の話を聞く準備をいつもしておくことが重要です。

・何か自分の部署の部下による失敗があった時には、単に部下のせいにして自分の責任から逃れないこと。私は自分自身の身を守らなければ本当に自分の立場が危うくなるほどの場面に遭遇したことがありません。ここで述べるのは私が日常業務で出くわす部下の失敗の数々のことです。ただ単に相手を責めるのではなく、「OK,状況は分かった。どこが失敗だったとおもう?」「次回はどうすればこれを防げるかね、改善策は?」と将来に意識を向けて会話を発展させてゆくこと。怒りにかられるとなかなか冷静になれないものですが怒りを爆発させても状況が何も好転しないことを経験から学習してきました…。

・日本人として本社の意向、日本人トップマネジメントの意向に従うことが求められますが、ロシア人スタッフにどれだけ寄り添ってあげることができるか。

これは本社からは容易に理解してもらえないものですが、現地で働く自分自身としてはとても大切なことの一つと言えます。ロシア人スタッフの信頼を得ること、これなくしては日頃の仕事が順当に運びません。ときに彼らの前で日本人同士がぶつかることも大切ではないでしょうか。私の自分自身をコントロールする能力の欠如もあったのですが、これまで、あえてロシア人スタッフの前で日本人同士で意見をぶつけることを見せようとしてきました。それが信頼につながっているのかどうかはわかりません。ただし、意見を言うべきときには上司に向かってでも堂々と自分の意見を伝えることの大切さを強く訴えたいと思います。そのうえで上司の決定に従わなければなりません。また、ロシア人スタッフに寄り添おうと思うあまりに仕事上の判断・決断に影響を及ぼすことがあってはなりません。必ずスタッフとの間には超えてはいけない親しみの境界があることを、これも失敗を通して経験から学んできました。

本のジャンルが映し出す国民性 / The online book shop shows the national character ?

とある旅行先で乗ったバスの中での一コマ。どこの国でも女の子は同じだな、と微笑ましくなる光景でした。

モスクワのように都会であっても、日本のようにふんだんに本の揃っており手に取ってパラパラと本をめくりながら時間が経つことを忘れてしまうような書店はほぼありません。その分インターネット上のオンラインショップや海賊版がより一般的なのかもしれません。

必要な本はインターネット経由で確認するしかなく、以下のインターネットのオンライン購読を購読しています。きっと他にも素晴らしいサイトがあると思うのですが、これらを好んで利用している現状です。

Kindle(日本語)… 毎月の購読料を支払えば読み放題となるのは嬉しいです、読み放題の本に制限があるのは…ビジネスとして理解できます。

SCRIBD (英語) … ロシア人スタッフに仕事上大切だと思うビジネスの知識を共有しようと思うと、大概の本は英語で発行されているものが多いため、色々と探している中でこのサイトにたどり着きました。購読料は高いな…と感じますが(先月は850RUB、日本円にして約1,500円/月の購読料)、英語で発行されている本を幅広く見ることができ、ダウンロード・Audio bookとして聞くことができるのはよい点です。スタッフのスキルアップに繋げようと、ここで見つける本を適宜共有しています。なかなか英語ではスタッフの理解をがっちりつかむには難しいものがあるな…というのが正直な気持ちです。

ЛитРес(ロシア語)… ロシア語の本を探していて、比較的このサイトを見ることが多いです。といってもロシア語であれば、ロシア人スタッフに尋ねて良いサイトを教えてもらうことが最善でしょうね。

さて、それぞれのサイトにあるジャンルを見ていて、その国の国民性が見えてくるのだろうか、と感じることがあります。

日本

マンガは日本の特徴ですが、それに負けず日本はテクニック向上や会社での対人関係に重きを置いたテーマが特に多いのではないか、と感じています。1日30分を続けなさい!、仕事が早い人は何が違うのか、朝4:30に起きる~、XXの法則、人から好かれて人生成功するためには、雑談力を上げるためには、プレゼンテーション能力の向上、パワーポイント資料の作成方法などなど、このようなジャンルの本が他の英語、ロシア語サイトと比較して多いように感じます。

アメリカ

ビジネス関係といえば、伝記やリーダーシップといったものが目に入ってきます。そして個々人の成長に関するジャンルではHappiness、Psychology…アメリカというビジネスの先端を行く社会に住む人々が疲れてしまっているがゆえにこのようなジャンルがとりわけ必要とされているのでは、と思ってしまいます。

ロシア

物語の本が圧倒的に好まれて読まれているのではないでしょうか、そしてビジネス書に関してはほとんどロシア人著者による良書がないと感じています。大体書店で見る本は欧米系の著者のロシア語翻訳版です。その点で、日本では欧米系の翻訳もあれば、日本人著者によるビジネス書も多くあり、ビジネスジャンルに関しては恵まれているのではないでしょうか。ロシアはせめてもう少しロシア語によるビジネス書、それももっと読者に楽しく読ませるような本の内容構成が必要です。お堅い内容が一層お堅い文章構成となっていれば、どんなに内容がよいとしても自然と本を閉じてしまう…。一方でロシアは世界に誇る長編作品も存在し、そういったものに囲まれて育ってきた人々が主要なロシア企業のポストを担っているとすれば、欧米系や日本のビジネスマンとは異なる感覚を持った人々を中心としたビジネス界に、若き新たな視点を持った若い世代が入り混じってゆく。そんな過程にあるのかもしれません。ロシアの書店を数年間見ているだけでも少しずつ本の質、デザイン、内容が変わってゆくのを見ることができるのは面白いことです。

一を見聞きして十を想像する感度を / Being sensitive to be quick on the uptake

永田音響設計(http://www.nagata.co.jp/sakuhin/concert_halls.html)の音響設計家豊田泰久氏によって音響設計されたコンサートホール「ザリャージエ」。とても素敵なホールのデザインでした。気になるのは、この方が設計された有名なハンブルグにあるホール”Elbphilharmonie”の音響が決して高い評価を受けていない、という記事(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/60008)。私は音楽に疎いため判断はできませんが、このモスクワの現代的なホールの音響に対する評価はどのようなものなのでしょうか。静寂の中にサーっと走る空調設備の音?が耳障りであったのが残念です。

今晩、2018年9月にオープンしたクレムリンのすぐ横に位置するコンサートホール「ザリャージエ(Концертный зал «Зарядье»)にピアノ演奏を聴きに出かけてきました。

「お客様にお願い申し上げます。携帯電話の電源はマナーモードの設定にしていただけますようよろしくお願いいたします。」

いつも演奏会前には必ず聞くフレーズです。すでに日本での記憶が薄いのですが、少なくとも私の経験からすると、モスクワで訪れた演奏会では最低一回は演奏会中に携帯電話が鳴り出すように感じられます。今日は二回ありました。それも、ピアノが静かに余韻を残して演奏を終える曲の最後の部分でいきなり鳴り出したので周りも失笑…。雰囲気が台無しに。

不思議に思うのですが、なぜ演奏会が始まる前のアナウンスで注意を聴いたときに自分の携帯電話を確認しないのでしょうか?

アナウンスの注意を全く聞いていない。

アナウンスを聞いても自分の携帯は問題ない、と決めてかかっている。

演奏会で自分の携帯が鳴ったとしても演奏の妨げにはならない、という価値観を持っている。

と、いくつか理由がありますが、仕事でも全く同じことが言えます。何度注意しても使用後の会議室ではケーブル、椅子が滅茶苦茶なカオスのままとなっている。昼食スペースがゴミと使用したあとの汚い食器が散乱したままとなっている。総務スタッフが何度注意しても、です。ほんのちょっとした原則、「もし、自分が相手の立場で同じことをされたらどう思うか?」「もし次の人がこの状態で来たらこのカオスを見てどう思うだろうか?」、そんなことを想像してみればよいのに、と思うのです。総務スタッフも立派に、定期的にメールでリマインドをしていますが、それだけでは一向に改善されるとは思えません。罰則規定を設けるべきか?それも根本的な解決とはなりません。根気よく、ことあるごとに目についたときに本人に直接注意し、原理原則を合わせて伝えることで改善されてゆくことを待つしかないと考えています。

少なくとも、私の周りには改善を期待できるロシア人スタッフしかいないので、あとは彼らにきっかけを与えられるように、自分に賛同してくれるロシア人スタッフのサポートを得ながら毎日さらに良い会社となるように闘っているところです。

私自身、数多くの失敗を行ってきました。失敗した後には、なぜもっと前にこの潜在的なリスクを正しく認識していなかったのだろう…あの時にアクションをとっていればこんなことにはならなかったのに…と反省し、悔しく思うことだらけです。自社で起きていなくても他社で発生した問題を耳にしたとき、新聞を読んでいて事件が発生したとき、セミナーに参加してはっと思うことを感じたとき。今はたとえ社内で問題が起こっていないとしても、そのようなきっかけを得たときに、“はて、自社は果たして大丈夫だろうか?”と一歩立ち止まって考え、自分自身で納得するためにも自社の状態を振り返ってみることが大切です。この感度をどれだけ高く保つことができるか、ロシアで働く管理責任者としての重要な能力である、とあらゆる失敗を経て今はっきりと断言できます。不完全な人間なので避けることはできませんが、あの悔しさ、悲しさはできる限りもう二度と経験したくはありません…。