ロシア人スタッフが言うことを聞いてくれない? / If Russian colleagues don’t listen to me?

モスクワ市内にあるマクドナルド内にて。大きなタッチパネルでオーダーしています。カードで支払いを終えて、レシートに印字された番号がカウンターのモニターに表示されると自分の注文したものが準備できた印です。日本よりもずっとキャッシュレスが進んでおり、大変便利です。とある方がおっしゃっていましたが「情報統制国家になればなるほどキャッシュレス機能が発達しているのだ」と。カード使用履歴から人の行動がすべて把握できるので、確かに指摘の通りかもしれません。

自分の思い通りに物事が進まないとき、ロシア人スタッフが自分の考える通りに行動してくれないとき、どれだけそれを許容できるか、これはもう一生のテーマでしょうね…。

役職からすれば、自分の立場はロシア人スタッフよりも上。彼らは私の指示に対して、こちらが要求するとあればすぐに回答を出すべき。まだ出来ていません、という回答は許されるものではありません。実際にそう言いたくなることも多いですが、そう言ってしまうと決してうまくゆきません。

ロシア人という国民性はかつての帝政ロシア時代、現代においてはPutin大統領のような強い権力者がいて彼らが出す命令に従ってただ行動することを好む。自分で考えることをしたがらない、という話を耳にすることがありますが、それでは自分自身が弱弱しいから部下は従ってくれないのか?いや、むしろ、上司が頼りなくひ弱な人であれば誰がこんな上司についてゆきたいと考えるでしょうか?上司はリーダーシップを発揮するにしても、サーバントリーダーであるにしても部下を導いてくれるという意味で強力な人であるべきなのは万国共通のはずです。

ロシア人スタッフだって色々考えています。それががっかりするレベルであるとしても考えています。もっと考えてくれ!と言いたくなるとしても、根気よく自分が彼らのモデルとなって行動してゆくこと、そして一人でも多くの“フォロワー”をロシア人スタッフの中に作り上げてゆくことが大切なんでしょう。しかしながら、そんなに悠長にスタッフの成長を待っている時間がないのが事実なのですが、それでも一歩ずつ着実に階段を上がってゆきたいです。

長く使用している来客用のカップ、お菓子の出し方、器の変更ができるのではないか議論したことがありました。そんな小さなことでもいざ観察すればもっと違うデザインの器にして印象を変えることができること、自分がお客さんの状況であればどんなお茶の出し方をすると喜ぶだろうか、他社ではどんな風に来客のゲストをもてなしているだろうか、考える要素はいくつかあるでしょう。そのようにちょっとしたことでも、日頃目にする当たり前の日常のことでも考えるよい機会になるのではないか、そう訴えたかったのです。しかし、今でも時に言われるのですが、「XXXsanはあのときお茶の出し方云々どうしようもないことを話すだけで1時間は使った、なのにもっと大切な給料の話にはほとんど時間を割いてくれないじゃないの!」と。言葉足らずでも、もっとお互いの意思疎通がまだまだ必要なようです。

一般的に、世の中のハウツー本では、スタッフが言いたいことを言える雰囲気作りが大切と言われます。その通りです。でも、本当にそれが行き過ぎると今度は皆が疲弊します。みんなが自分に発言力があると思い、思い思いのコメントを言い続け、マネジメントが下す決定にも反対を言い出すようになるとどうでしょうか、収拾がつかなくなります。どこかでバランスが必要です。お互いに自分の持つ「限度のある自由」を理解すべきです。私も「みんなもっと声を大にして自分の意見を述べてくれ、ウェルカムだ」と言いますが、その一方で私自身の意見はすでにあるわけで、彼らに意見を述べられたところで自分の意見と相違した意見が大半を占めてしまうと、今後は自分を苦しめることになります。

社長がYesmanで固めることはよろしくない、社長に言葉を申すような人を周りに置くことが大切である ― これがハウツー本で見る多くの意見だと思います。しかし、自分でマネジメントをしてゆくと、むしろYesmanで固めることの効用も分かってきます。私としては、むしろそれは一つの正解であろうと考えるようになりました。Yesmanで固めることがなぜよくないのか?人間は弱いので自分だけの考えではぶれてしまい正しい回答を見いだせないこと、Yesmanも自分の意見に同調するので誤った方向に会社と社員を導いてしまう可能性があるからでしょう。そんなときに自分に意見をしてくれる人間がいるのは確かに重要です。

しかし一方で、リーダーが全員を正しい方向へ導ける能力を持っているとき、国や会社が非常事態の状況に陥っているとき、有能な独裁者に先をまかせて何が悪いでしょうか?(独裁が危険というのは、どんなに多くの素晴らしい独裁者としても、最後まで正しい判断のもとに民を導く力が限られているからだと思います。)そんなとき、独裁者は自分の周りにいるYesmanを使って迅速に自分の意思を実現させてゆきたいと考えるのが自然でしょうか。

話が脱線しましたが、自分の考える通りに進まないとき、どれだけ自分自身が怒りを抑えられるか、まずはそこがスタート。そこでポロっと以前から潜在的に溜め込んでいた不満を口から出してしまうか、嫌味のたっぷり詰まったメールを書いて送信してしまうか、本当にそこがすべてと感じています。スタッフを評価する際に気を付けるべき「ハロー効果」。どんなに頭で分かっていてもいざというときにはそれが如実に、無意識に表れてしまう、その事実も感じています。マネジメントというのは大変目に見えにくい、数値化しづらい、何とも形容しづらい人間力を試される一種の特殊能力なんではないか、そうも思えてきました。

さて、日系企業という、ロシアでは外資系企業にあたる会社であるがゆえにロシア人スタッフはより自由を感じて自由な発言を行うこともあるのかもしれませんが、この自由な発言が出てくるというのは国にしても会社にしても、成長していることの証拠といってよいのかもしれませんね。

[給与計算]出張旅費の計算 / Salary calculations : Business trip


前回の有給休暇の計算例に引き続いて、今回は出張旅費の計算式の一例を書き出しました。

出張旅費の計算

計算式は

過去12か月分の所得合計 / 過去12か月の勤務日数(カレンダー日数ではありません)

となります。

分母にあたる日数には、病欠(Sick leave / больничный)や有休休暇、他の出張にでかけていた際の日数はカウントされません。ボーナス取得も含まれる所得合計(分子)と分母の日数変動に応じてこの平均給与金額は毎月変動することになります。

貼付の画像はあくまで計算例です。額面100,000RUBのMonthly salaryをもらっているスタッフが1月に3日間の出張に出かける場合にはこの画像にあるように昨年12か月分のデータを用いて、現時点での一日あたりの平均給与を計算します。

最終的に計算された一日あたりの平均給与に出張日数を掛け合わせ、そこから源泉所得税の13%が差し引かれた金額がスタッフの口座に振り込まれる、というわけです。

試行錯誤のロシア人マネジャーの育成 / Russian staff managers development – trial and error

最新型モスクワの地下鉄車両にて。週末の朝にパシャリ。ここには写っていませんが、タッチパネル式の所要時間も表示してくれる乗換案内や携帯を充電できるUSB端子まで付いています。


ロシアの会社で駐在員として働くことの任務の一つに、現地スタッフの育成が含まれるはずです。そして、そのためにはロシア人マネジャーの成長がとても重要なファクターになると体感しています。

結果をすぐに求められること、スタッフを大事に時間をかけて育てる余裕がない中で、どこまで自分でやるべきなのか、どこまで口を挟まずに許容できるのか、その加減を見極めることに苦労しています。毎回が試行錯誤の連続です。

例えばロシアに自社商品を輸入して販売するために必要な、EACと呼ばれる認証。どの法律に基づき我々の商品が認証を得ることが要求されているのか、認証を得るためには何をすべきなのか、必要な商品カテゴリーは何か、所要期間はどれくらいか、輸入後に認証期限が切れてしまった商品を販売し続けても問題ないのか、など多くの質問が出てきます。そこで、「EACについて日本側も(ロシア人の)営業スタッフも日頃会話していれば分かる通りチンプンカンプンなので、理解を深めるために勉強会をしよう、そのための説明資料を作ってくれる?」とロシア人マネジャーに話したとします。

全くEACの理解がない日本のことを考えると、こちらはそもそもEACとは何か?というテーマから入って資料を作りたいと考えます。昔はГОСТというロシアの認証取得が必要であったが、今ではEAEUと呼ばれるユーラシア関税同盟が発足し、そこが定める認証が要求されるようになった…といったくだりです。一方、ロシア人マネジャーは、認証を得るために必要となる具体的なオペレーションフローだけに注目した説明書を作成するかもしれません。最初からお互いの考えるストーリーの共有をしておかないと、後で根本的に作業をやり直す必要もあるかもしれません。もちろん、こちらとしては、ロシア人マネジャーにこちらが考えるレベルでの広い視野で、日本側のことも踏まえて資料作成をしてもらいたい、それが普通だろう、と考えかねません。しかし、私の経験上はそう上手くいくことはまずありませんでした。(いや、今もスタッフと「こらっ、お前が何とかしてくれや。頼むで。」と格闘中です)

そのようなわけで、まずこちらで骨組みを作り込み、それに合わせてロシア人スタッフに内容を詰めてもらいます。そうすると、自分の望んでいるレベルに内容が近づきます。それは自分の望んでいるものであり自分もうれしいです。しかし、次に別のテーマでも同様の必要が生じたとき、再びこのプロセスを繰り返したとします。それがまた次も同様です。それは、マネジャーというよりも、ただのオペレーターの育成にすぎません。

XXX san、ドラフトを作成したのだけど見てもらえますか?XXX sanの指摘はいつもありがたく自分の資料内容をよりよくするのに貴重です、ぜひ今回もチェックしてください。」

そんな言葉はうれしいですが、自分の上司が最後はチェックしてくれるので“ある程度”納得できるレベルで作成すれば大丈夫、という意識がロシア人スタッフに根付いてしまうとどうでしょうか、いつまでたってもロシアの会社が自立できない、いつまでも日本人の上司がいるから彼/彼女に任せておけばいいでしょう、となってしまうかもしれません。

私にはロシアに進出している外資系企業での勤務経験がないため比較できませんが、日本の企業ならではの独特の慣習もあるはずです。そのような“ノウハウ”も把握した現地人マネジャーが定着してくれることは現地の会社の成長にとって重要なポイントに違いありません。

どなたかがおっしゃっていたフレーズをいつも思いめぐらしますが、マネジメントはキャンバスのサイズを決めて、そこの絵のドラフトを描き、それを部下に渡すこと。部下(この場合はロシア人マネジャー)はその範囲で自分の好きな色を使って絵を完成させることだ、と。つまりは、我々が何だかきれいな曖昧な言葉で、自分で具体的な完成イメージを持たずに「頼むで。」と言ってもダメなんですね。キャンパスのサイズ、絵の構図を自分で決めること。それは少なくとも駐在員の責務であると。というよりは、今自分がいるポジションの責務であると考え、それが出来るロシア人スタッフがいればその人に取って変わってもらってもよいのでしょうね。

まず、自分自身が具体的な完成形のイメージを持った上で具体的な指示を出すこと。しかし、それをずと続けることは危険であるということ。ロシア人マネジャーが自分の意図通りに動く“オペレーター”となってしまっていないだろうか?と問いただすこと。徐々に彼らのフリーで動ける範囲を広げてゆき、行く行くは自らのアイデアを出し、提案を出し、考えられる解決に向けた現実的な選択肢を持ってきてくれるようになっているか、そうなった時には、彼らの成長が大変微笑ましくなる瞬間になるはずですね。そんな瞬間がどれだけ増えるだろうか、それを目標にして日々ロシア人スタッフとギャーギャーやっています。

[給与計算]有給休暇の計算 / Salary calculation : Paid vacation

ロシアの給与計算ロジックを理解するには大変苦労しています。社内のロシア人スタッフに尋ねても詳細に至るまで的確な答えが得られず悶々としてしまうこともあります。ひたすら唸りながら一歩ずつ理解をしようと努力の毎日です。

有給休暇の計算

シンプルに言えば、計算式は

過去12か月分の所得合計 / 過去12か月分日数*休暇日数

となります。

以下の貼付画像はあくまで計算例です。

額面100,000RUBMonthly salaryをもらっているスタッフが1月時点で5日間の有給休暇を取得しようとすると、昨年12か月分の給与所得データを用いて、現時点における一日あたりの平均給与を計算します。この分母に使用する日数を計算するにあたっては、「29.3」という係数がポイントになっており、

・当月のカレンダー日数=スタッフの実働カレンダー日数 > 29.3を使用

・当月のカレンダー日数>スタッフの実働カレンダー日数 > カレンダー日数/当月の実働カレンダー日数*29.3で導き出された日数を採用

というルールに則っています。後者のケースはスタッフが病欠(Sick leave)や別のVacationを取っていた場合に起こります。その場合は実働日数にカウントされないためです。

分子にあたる所得には給与に加え、ボーナス等、立て替え払いで給与で精算された費用も入ってくるので毎月変動する可能性があります。

最終的に計算された一日あたりの平均給与に休暇日数を掛け合わせ、そこから源泉所得税の13%を差し引かれた金額がスタッフの口座に振り込まれる、というわけです。そして、振り込みは休暇の3日前までに送金しなければならない、というルールもあります。

なお、誤りがありましたら訂正をいたします。またご指摘もいただければ嬉しいです。この情報による何らかの害については責任を負いかねます。

スタッフとの距離感。その測り具合の難しさ / Appropriate distance from Russian colleagues

モスクワ中心部のMetro stationでのライブ演奏。周りのみんなもパフォーマーと一緒に笑顔になって少し足元が踊っていました。夏は路上でのライブ演奏をよく見かけますがさすがに冬は誰もいません。公式に認められたパフォーマー達がこうして所定の場所で演奏をしているようです。


管理業務の責任を担う中で、ロシア人スタッフとの距離感の取り方の難しさをどうしても感じることがあります。管理として全体を束ねて働く以上、人に関する情報はいち早く入ってきます。残念だけどXXをクビにするしかない、そんな話も進行し裏で準備も必要です。残念ながらいつスタッフとの関係がどんな状況になるのかも分かりません。一方で、スタッフとの良好な関係を築きたい、あえて踏み込んでいえば、人間ですので相手から好かれていたい、という気持ちはあります。良好な関係を維持するために日頃できる努力を怠らない一方、いつでもどんな状況になっても冷静な判断を下せるように自分と相手との間にふさわしい距離を保っておくこと。日本人としてロシア人と働く管理業務スタッフは、このバランスにいつも配慮する必要があるだろう、と考えています。

すっかりロシア人スタッフに入れ込んでしまって(恋愛感情ではなくあくまで業務上の関係です)、日本人駐在員としての仕事上の遂行に影響を与えかねない影響がでてしまった他社のケースを聞いたことがあります。どんなに部下に好かれたいと思っても、どんなに可愛らしいロシア人スタッフに丸め込まれそうになっても、やはりいつでも正しい判断を下せるように自分の立場を意識しておくこと、そのためにスタッフとの距離感をいつも計測することは欠かせないでしょう。

部下の誕生日

スタッフの誕生日※1はロシアでも重要なイベントです。

※1 ロシア会社の多くが同様の慣習を持つと思いますが、誕生日のスタッフへの周りからのお祝いと祝ってもらったスタッフ自身からみんなへの感謝としてケーキやピザなどを振舞います。スタッフ当人にとっては重要な日です。

同じ部署の親しい間柄の同僚や上司からお祝いの言葉と共にプレゼントを渡します。「私たちのとっても情熱的で、可愛くて、仕事もできて、私たちの太陽のような…(すごい形容の言葉がすらすらと出てくる出てくる)XXX(名前)、あなたと一緒に働けて、毎日あなたの顔が見れてうれしい!誕生日おめでとう!」のようなイメージでお祝いをスタッフがしています。自分の部下のスタッフの誕生日になると、XXXさん、ぜひ一言お願いします、そしてプレゼントを渡してください、と言われることもあります。私はそのような場は一切避けています。スタッフへの感謝の気持ちは山ほどありますが、それを全員の前で言う必要があるのかな、と。後で「XXXさんはあの時そんな言葉を発していたけれど、その数か月後には彼女をクビにした、なんて奴なんだ」なんて言われる可能性があるかもしれません。また、「XXXさんは何でこの人の時にはお祝いのコメントをしていて、別のスタッフの時には会議にこもってお祝いをしないのだ、不公平ではないか」なんて見た事象だけで背景を考えずに勝手な判断を下すスタッフもいるかもしれません。

それであれば自分なりに線引きをして、自分としてすべきこと、しないことをルール化することは大切なんだと考えています。また、人への感謝の伝え方は千差万別。そのスタッフにその都度心から伝えること、旅行に行った時にはスタッフを意識して喜んでもらえそうなお土産をかってみたり、時に仕事中にお菓子を振舞ってあげることなど、そんな場面ごとの気持ちで伝える言葉のほうがずっと大切なのでは、という信条です。

でも考えすぎかもしれませんね。何が正解か分かりません。少なくともこれが自分なりに見出したスタッフとの距離感を保つ方法の一例となっています。

誕生日にまつわる一生忘れない印象的な出来事

誕生日といえば一生忘れることがないであろう経験を時に思い出します。試用期間中※2であったとある女性がいました。

※2 ロシアでは新しい社員を雇う場合には試用期間は3か月(会社責任者、チーフアカウンタントと呼ばれる経理・税務責任者は6か月)となっています。

試用期間の最終日より前に決断をくだし、彼女の採用を見送ることに決定しました。人事スタッフにもその情報を伝えて書類手続きの準備を進めるように指示していたのですが、彼女に試用の終了と結果を伝えるまさにその日が彼女の誕生日でした。

みんなから祝福され、当人もケーキを買ってきて、「みんなありがとう!一緒に働けて嬉しいです、これからもよろしく!ケーキを取ってください」とオフィスのみんなに連絡しているところです。そんな様子を見た時にそれを何でもないかのように眺めている人事スタッフをみて思わず「彼女の試用結果を知っていて彼女が今していることが彼女にとって悲惨なことではないと思わないのか?なんで配慮できなかったの?」と問いただしました。

人事としてすでに彼女の評価結果を知っていて、かつ会社の慣習を知っていれば、この彼女の行動がいかに本人にとって辛いことになるか想像ができて当然ではないだろうか、なぜそこまで配慮できなかったのだろうと悔しくて仕方がなかった、その気持ちは忘れることができません。当時の私はそこまで配慮できるキャパシティもなく、自分自身にも責めるべきところがあったのは認めざるをえません。彼女に残念な結果を伝えたときの悲しい様子、後日彼女に必要な書類を渡す必要があり彼女がオフィスを訪れたときの “XXX sanWhy you didn’t take me ? My work had no mistake, it should be ok. I don’t understand your decision. Now I don’t have job and very hard to live in Moscow with my mother. Why?”という言葉、これも鮮明に覚えています。(会社は慈善団体ではないため能力が我々の要求に適わないスタッフを養えるほどの余裕はなく、その点は仕方のないことですが、自分の試用期間中の彼女へのフィードバックの方法に不足があったことは事実です。この点は別のテーマで書きたいと考えています)

人事として働くのであれば、先を読み、相手のことを配慮して行動してあげるべきではないでしょうか…。私の問いにも「仕方のないことだ」という返答をしてきた、そんな人事スタッフに対する残念さとその人間性の虚しさがその日から自分の心に積もりだしました。

怒りの気持ちは時間を置いて忘れよう / Put aside the feeling of anger 

この週末もどうしても頭にきてしまうことがありました、それはスタッフがやると言っていたことをやらず、かつ進捗の連絡もなく金曜日が終わってしまったこと。

お願いしていたことが木曜日に終わらなかったので、翌日金曜日にやるので待っててください、と。そんなわけで、金曜日にリマインドをして改めてお願いしたにもかかわらず連絡がないのはやはりがっかりします。

終業時間前に進捗確認ができる時間があればよいけれど、会議が続く中で事細かに確認をしている余裕がないのが現実です。

今では、このような自分の感情をそのままメールで書き出すことはしなくなりましたが、かつては
攻撃的なメールを書いて痛い失敗をしたことがあります。自分のマネジメントスタイルがコンプライアンス違反だと訴えられてすべてのメール履歴がオープンにされていました。こちらの言いたいことも理にかなっている反面、自分に余裕も無かったこともあり、苛立ちの様子が分かるメールを書き込み、何の良い結果も得られずスタッフとの関係修復も難しくなる始末。ロシアでもAnger control trainingのテーマはよく聞きますし、我々も必要だろうかと検討中です。

当時、自分がたとえ正しいとしても、自分の正当性を語るのではなく、いかに相手に動いてもらえる仕方で物事を進められるのか、それがいかに大切かを学びました。

また、スタッフが約束通りに出来なかった理由に根拠があるケースも実際に十分起こりえます。自分の把握していないところで急な案件が入ってしまい対応が出来なかったのかもしれません。なかなか人でも足りず、想定外のことが日常的に起こる事情もあり、このような可能性も考慮に入れる必要がありそうです。

メールはただでさえ冷たい道具。それに感情を入れようと思ってもどうにもうまく入れられません。!: )を使ってそれなりに表現はできそうですが難しい気がしています。

そんなわけで、怒りの感情がふっと沸き上がったとしても、それを落ち着けることが重要ですね。メールをバーッと書き出してしまったら「おいおい落ち着け、その文章を送っても大丈夫なのか?」ともう一人の自分に話しかけてもらうこと。そもそも何もしないでしばらく待ってみること。一日寝かせるくらいの気持ちでいるのが結果的によいのだと経験から感じています。

今はできる限りメールは事務的な連絡とし、人の気持ちに影響を与えるようなテーマになると必ずメールの筆は置き、会議室で直接会って会話するように意識しています。表情、声のトーン、身振りなど、直接会って会話をすると言葉だけの要素で相手に気持ちを伝えられますし、とても良いですよね。

発した言葉はある種の契約関係の発効

自分でやります、と言っていたことをしないことが大嫌いなことの一つです。発した言葉はそれがある種話した相手への契約でもあると考えています。それを変更する場合には説明書きが必要です。いかに自分の言葉を守ることが重要なことか…。そして難しいことか…。

少なくとも、金曜までにできなかったことは、出来なかったことを責める気持ちはありませんが、出来なかった事情といつまでに対応するか、たったそれだけが欲しかったな…と思ってなりません。定期的にこの思いを伝えているのですがどうにも時間がかかりそうです。決して悪いスタッフではないので何度も根気よく伝えていくしか解決への方法はないのでしょう。そして、自分自身にも同様のことがないように、とわが身を振り返る機会ともなりました。

1つの事実に対する全く違う見方ー長時間労働 / long working hours – different viewpoint

休日である今日、土曜日、日本時間の月曜日朝必着のレポート作成が昨日までに終わらなかったのを気にしてか、Chief Accountantと経理スタッフの2人が自主的に出勤してきてレポートに取り組んでくれました。あとはこちらでやるので問題ない、と昨日言っておいたのだけど、昨晩メールがきて「明日出社して完成させるからまかせて」と。貴重な週末の時間、かつオフィスまで遠いにも関わらず時間をかけてわざわざ来てくれるのを見ると心が温かくなる。でも…あとできっちり休日出勤の手当を請求されるのだろうか…と心配にもなってきた。

(写真)今朝、マイナス十数度の中寒そうにじっとしている鳩(голубь)の一群。写真を撮ろうと立ち止まると、エサをもらえると思ってかすごい勢いでこちらに走りこんできました。


異なる文化において、一つの事実を全く異なる見方で評価をされることを実体験できること。これは海外で勤務することで得られる収穫の一つだと感じています。

例えば、“長時間勤務は良いことか、悪いことか。”

これは労働内容で判断すべきことなのでこの文章だけを見ても判断はできませんが、日本では長時間働いているほどプラスに見られる傾向があるように思われます。

日本で勤務していた時には、その日の仕事が終わっても周りの先輩、上司がもくもくと仕事をしているのを見て退社するのを気兼ねしていたことをよく覚えています。今日やらなくてもよいのにそれを始めてみたり、ある程度時間が経つのを待ってみたり。今思い出すと笑ってしまいますが、当時はそれが普通になっていました。どうしても同調意識が無意識にでも働いてしまうからなのでしょうか。

朝早くから出社していたので、そうすると遅く残るほどに退社時間が遅くなり、残業対象時間も増えます。しかしながらその通りに残業時間を申請することもなく、申請する退社時間は実際の退社時間よりもだいぶ早くし、残業時間もつけずにいました。遊んでいたわけではないものの、かといって残業時間をつけるには抵抗がある、そんなことが標準となっていた気がします。今となっては自分のポリシーに沿って日々の退社時間をコントロールできるようになりました。それでも、周りに配慮をする、というのは日本で生まれ育ち、身についた美徳だと認識しています。これは大切にしたい点です。

さて、ロシア人スタッフに言わせると、長時間労働=能力が低い人、という認識があるようです。私たちの会社のロシア人スタッフは我々日本人を慕ってくれていて、逆に憐れんでくれていますが…。長時間の会議、細かい資料作り、やたらと多い資料の数、レポートの数、それらの多くが理解できないようです。そしてそれらが長時間労働の元凶とも言えるでしょうか。率直に言わせてもらいますと、長いことロシアで働く中で私にも理解できません。レポートの数を増やし、情報収集をすることが目的化していないでしょうか。大切なのは不確実な状況での意思判断、決断力、行動ではないでしょうか。

長時間労働を改善するにあたっては、自ら改善できることと、自分の力が及ばない2つに分けられますが、後者についてはどうしようもありません。定期的に自分の意見を本社にフィードバックしていますが、それを変えられないことについて考え込んでも意味の無いことであり、前者に集中するのみです。

 

長時間労働解決の第一歩

自分自身の心の中にオフィスを少しでも早く離れるべき理由を持つこと。この動機づけを持つことが長時間労働の第一歩。それが私の結論です。なぜ愛する家族が自分を待っているのにいつまでも仕事をしなくてはいけないのか、自分の趣味にかける時間が欲しいのになぜいつまでも職場に留まっているのか、美味しい晩御飯を食べたいのになぜ2122時までこうして菓子パンをかじって延々と作業を続けなければいけないのか…まず、自分の中に動機づけを持つこと。これがなければ長時間労働という問題提起自体が問題ではなくなり、長時間労働自体が正しいこととなるのではないでしょうか。仕事を効率的にこなす方法、業務内容の見直しなどのテクニカルな部分はその次です。まずは一番大切なのはなぜ長時間働く(オフィスに留まる)ことを改善すべきなのか、ということをよく理解することからなんだと考えています。

仕事が趣味、生きがい、という方の気持ちも分かるつもりです。仕事で得られる達成感、成功、周りから得られる評価に代わるものはなかなかありません。問題を解決してゆく過程をとてもエンジョイしています。それはある意味中毒になります。自分自身、かつては仕事が絶対。そう思っていましたが、ロシアに来てから考え方が変わりました。

仕事は決してオフィスに座っている時にしかできないことではなく、むしろ、違うことをしているとき、例えば友人との会話から、ただ無駄に思えるような時間を街や綺麗な公園を散歩したり、モスクワ川を眺めたりしているとき、ジムで出会う常連の仲間との会話などから得られるヒントが現状を打開するきっかけになることが何度もありました。

マネジャーという役割は目の前のことだけではなく、将来に向けた布石を打つこと。そのために視野を広げてゆくことが大切です。オフィスに座って作業に集中するのは部下の仕事。自分は彼らのことをケアする責任がある中で、会社の先を見て行動することへの責任も担っている。それを考えると、毎日家と職場の行き来を繰り返しているだけの人がマネジャーなのかというと疑問です。

ノウハウ本でも言われていることですが、仕事以外の教養を持つことの大切さ。人間として成長してゆくためには、仕事の成功だけでは不十分だ、ということを実感させられています。今のロシアで流行っていること、世界の動き、街の人々の様子、ホットなトピック…、職場に座っているだけではなかなか手に入りません。スタッフとの雑談、週末にロシア人の友人との団欒、そういった時間がとても貴重になっています。

そう考えると、これらのことはロシアであろうと他国、日本であろうと真実であって、つまりどの国で働いていようと大きな違いはないのだ、原理原則は同じなんですね。この点をすっと理解できた時、肩の荷が軽くなった気がしたのを覚えています。ロシアは複雑、理解が難しい、という点は正しくもあり間違いでもあるような気がします。一つずつかみ砕いてゆくと決して日本のそれと大きな違いはありません。

残念ながら諸事情により定期的に週末もオフィスで残務を行う必要もあるのですが、長時間労働自体はやはり悪だという信条を持っています。慢性的に長時間労働を行う必要がある場合には、仮にその人自身に能力があるとしても、仕事の任せ方が悪かったり、ロシア人スタッフを信じていないがゆえに自分で全てをみないと気が済まない、職務を部下に任せることが下手である自らの責任なのかもしれません。また、そういった人材が育っていないがゆえに駐在員が長時間勤務せざるをえないのかもしれません。いずれにしても何らかの問題があるのは確かです。

長時間労働の理由が自分自身の能力の問題である場合、それは自分なりに努力するしか方法がないでしょうね…。このように書いている自分自身、今でも毎日溜息をつきながら努力中です…。上記の強い動機があるからこそ、努力すべきテクニカルな部分に注目するようになります。メールの短縮入力機能(日本語・英語共に)、タスク管理手法の改善(例えば、エクセルのマクロ機能を勉強して、それを活用して時間短縮、効率性アップを試みる)、部下とのコミュニケーション方法の改善(One on one meetingは絶対に欠かせません、日頃から感謝を示すことも大切です。)、IT関係の情報を入手すること(今の世の中ITの知識無しにビジネス界を生きることは不可能だと知るようになりました)、資料作成の際には今後も使用できる形で整備し、会社制度の中に組み込んでゆくことを意識することで今の作業が2にも3にもなるように意識すること。などなど、難しいことも事実あるのですが、多くの失敗を通じ、今も繰り返す失敗を通じて学んでいるところです。

年をとればとるほどに学習にかける時間が一層多くなっているかもしれません…。でもそんな人生が楽しいです。

駐在員の役割、マネジャーの役割 /The role of Stationed staff in Russia, the role of Manager

昨年11月に赤の広場で撮影したSnapshot。この天気とこの独特な輝き。圧倒的な存在感を見せつけています。


ロシアに赴任して、小さい会社ながら初めて部下を持って失敗を重ねながらここまで働いてきた中で言えることは、”信頼ができて、仕事をきちんと回してくれる現地スタッフマネジャーを持つことがどれだけ重要か”、ということです。

当たり前と言われてしまえばそうなのですが、実際に毎日の業務に従事する中で自分の常識観念を覆されてきた中でこのことの大切さを肌感覚で、ずっしりと受け止めています。

人によって考えるマネジャーという仕事への捉え方は人により随分と異なるようです。

複雑に思えるロシアの給与計算ロジックを把握していないローカルスタッフ(細かい計算はアウトソース会社に依頼しているのだから、正しく計算した結果を提出するのが彼らの仕事で自分たちの仕事ではない、らしい)。部下は大人なのだから、彼らがやると言ったことは彼らが提出するのを待つべきだ(部下がやるといったことがすべてその通りに出てきたらマネジャーは要らないでしょう…なぜ定期的なOneon -One meetingが重要なのか分かってください)。問題があれば部下はいつでも私のところに来ればよい、いつでも何かあれば聞いてね、と言っているのだから(いやいや、待っていても部下全員がすべて起こっている問題をオープンにあなたのところにオープンに話にきてくれると思っていますか?悪い知らせほど上にあがってくるのに時間がかかかることは事実でしょう)。

上記のようなコメントを聞くと、正直がっかりしてしまいます、本当に悲しいです。そんな中、結論として私がたどり着いた解決方法は二つのみです。良い給与を出してでもそれだけの能力がある人を採用すること。あるいは、現在の仲間への不満を感じつつも彼らの(出来る範囲での)成長にかけること。極論としてこれ以外にはないのではないでしょうか?

どちらを選択するか?現実的にどうかというと、大概の企業は後者を選択するしかないのではないでしょうか。何よりも自分と一緒に働いてくれているロシア人スタッフに悪い人がいないこと、彼らは彼らなりに今の自分としてできることをやってくれている。それを見ると、どのようにして彼らにもっと成長できるチャンスがあるのか、どうやったらよりよく彼らの部下の仕事を管理してゆけるのか、気付きを与えてあげることが駐在員として働く我々の責務かもしれません。つまるところ、自分自身がモデルとなり、先頭に立って行動で示してゆくことが求められているのだと。

自分自身が先頭に立ってモデルとなること。それだけマネジャーという役割の重要さを身に染みて感じています。

この年始の休み中に、2年間ビジネススクールで勉強してMBAを取得し、世界でもトップクラスのOil companyに就職した方と会話する機会がありました。「今の世の中優秀なマネジャーが求められている。Specialistは見つかる。けれども、それらの人を束ねられる優秀なマネジャーが必要なんだ、MBAというのはマネジメントという目に見えないソフトスキルを持っていることを証明するもの。それを学ぶのがMBAなんだ。MBAホルダーはマネジメントのSpecialist。」というお話は興味深かったです。それを考えると、今経験していることはビジネススクールではないもののOJTスクールなるものでひたすらお尻をひっぱたかれつつ心身で学ぶ学習の場となっているのかもしれません。

当初は、自分自身の役割はロシアと本社の間の橋渡し役であり、実際に現地の細かいルールまで把握することは困難のため、スタッフに教えてもらいつつ要所を抑えていればよい、との考えでした。しかしながら、ロシア人マネジャーがしっかりとDetailを把握するに至るまでは、そして、完全に業務を把握することが自分の責務だという認識を持つに至るまでには、自分自身もMindを変えてがっつりとロシアと組み合い、実務を勉強してロシア人スタッフと共に成長してゆくしかない、と考えるように至った今更です。正解のないマネジメントという業務の奥深さもひしひしと感じています。

自分がロシアを去るまでに、自分と同じ気持ちを共有してくれるロシア人スタッフを一人でも多く見出すこと、それが今の自分の目標となっています。

“本物の自分”と“メールの自分”が同じでいること / Be myself when you write e-mail

ロシアの店頭で販売されているタバコ達。ここまでグロテスクな写真を見ていても何とも思わないのだろうか…禁煙を勧めても「私から私の楽しみを奪わないで、あなたには関係のないことよ」と言う人も。


大抵何かしらの想定外のことが起こる、安寧とした日々からほど遠い毎日を過ごす中、最終的に大切なことはロシア人スタッフとの信頼関係だと考えています。本社とローカルスタッフの間に立ち、どちらの意向も理解した上での微妙なバランスを取る神経戦を闘う中、どうしても問題は生じます。

「(給与が低いとの不満から)あなたたちはいいSalaryをもらって、会社の近くに住んで立派なアパートに暮らしている、それに比べて私たちのSalaryを少し上げることは決して大きな影響がないはずでしょう?どれだけ遠くから通う大変さ、物価の上昇で生活が大変になるか、何も分からないのですか?」

「(言語が違うことからどうしても生じうる誤解から)何を指示されているのかわかりません、もっと英語を分かりやすく書いてもらえませんか?文法に間違いが多くて理解するのが難しいです。」

など、日常的に素直な意見をぶつけられることがあります。もちろん、こちらにも言い分はあります。いかに多くの業務量と責任を背負って仕事をしているかを説明することもできますが、そのような返答はきっと相手に何も伝わらないでしょう。むしろ、意見をよく聞いて、率直な意見をくれることに感謝していることを伝えるのが最善ではないでしょうか(相手が女性スタッフの場合は特にそうです)。また、このような意見を受けた時にどれだけ自分が苛立ちを隠せないか、自分の心拍数がどれだけ高まっているかを感じることで自分のその時点での“人間力パラメータ”を計測するチャンスかもしれません。以前には同じ状況で言い返していたのに、今では多少笑顔で受け止められている自分がいる時には、ちょっぴり嬉しくなる瞬間に違いありませんね。

このような会話ができること自体、相手もこちらには正直に言ってもよい、と思ってくれている証拠と解釈しています。常に言われると決して気持ち良いものではありませんが、お互いに思っていることを相手のためを考え、言葉を選び相手を敬った仕方で言うのであればそれは正しいことでしょう。

それで、信頼関係を築くにあたり、きっと些細でちょっとしたことですが、“本物の自分”と“メールの自分”との間に温度差がないことが大切ではないか、と感じています。日頃自分が決して感情をあらわにする人柄ではなく、「ありがとう」の言い方も「ありがとう!」ではなくて「(ゆったりとした、でも何とか心を込めた)ありがとう。」であるにも関わらず、メールでは頻繁に「ありがとう!You are great!」と言ってたら「この人は一体どんな性格なのだろう?」と訝しげに思われても仕方ないかもしれません。そんな風に感じているので、自分の書く言葉が自分自身を体現しているだろうか、と客観的に見直すよう努力中です。

それにしてもロシア人スタッフはよくメールに!マークを付けてきます。XXX san!!Good morning!!といった風に。そのようにしたほうが見栄えもよいかもしれません。しかしながら、その使用が常態化するときに!マークを使う意味合いが薄れてしまうのではないかな、と感じながら自らのコミュニケーションスキルを日々勉強しているところです。皆さんはどう考えていらっしゃいますか?

 

声のトーンを一定に―信頼を得る一歩 / Keep tone of voice – the step to win the trust from Russian colleagues


今晩のモスクワは明日の朝にかけてマイナス20度まで冷え込む見込み。雄大なモスクワ川も今晩は身を引き締めてすっかり凍えています。


ロシア人スタッフとの会話の際の声のトーンと、母国語である日本語で会話する時の電話や日本人の上司との会話のトーンが大きく異なる人がどの会社でもいるのではないでしょうか。大概日本語で話す会話のほうが高くなるものと思われます。無意識のうちに、自分の声を意識せずにいると、ロシア人スタッフから「どこからそんな声が出てくるの?」「なんでこうもこの人は声が変わるんだ!?」と驚きの目で見つめられることが想像されます。

自分自身が表裏の無い人間であることをロシア人スタッフに示すためにも、声のトーンを一定に保つことは信頼を得る上で大切なポイントだと考えています。(必要な怒りを表す時には違うトーンになったほうが良い場合もあるはずですが、それには触れません)

常に一定の声トーンを保って会話することは大切なことでしょう。安心度、信頼を得やすい声のトーンは低めであり、できる限り低いトーンで話すほうがよい、というノウハウを聞いたことがあります。しかし、生まれながらに持った声を無理やり変えること自体が本来の自分を失うことになりかねません。むしろ敢えてその声を高くすることなく、自分なりの自然に話すトーンを一定に保ったほうがより自然だと考えられます。

社内で人と会話するとき、電話をするとき、仮に周りに誰もいないように感じても、いつでも自分の会話する声のトーンを周りに聞かれているのだ、常に見られているのだと意識することの重要性を感じています。そしてそういった要素も考慮されて自分自身への評価が彼らの中で形成されている。このことを日々意識することが外国人としてロシア人スタッフの中で働く日本人にとって重要なことではないでしょうか。