カザフスタンの給与計算 in 2020 /Salary calculation in Kazakhstan 2020

カザフスタンの給与計算は複雑です。2020年からさらに込み入ったものとなりました。そして、それを分かりやすく説明してくれるウェブサイトの少ないこと。ロシア語が母国語でないから困難ではなく、いかに分かりやすく説明するかの視点が足りないからでは…と感じます。そんな中、ロシアでも同業他社に聞けばほとんど会社で導入されているロシアの会計システム「1C(ロシア語読み;アジンエス)」- カザフスタンでも幅広く導入されていると聞きます - をカザフスタンで展開しているのであろう企業のウェブサイトに比較的優しい内容のページを見つけました。この情報を参考にしながらExcelでカザフスタンの給与計算ファイルを作成してみました。

参考リンク

https://pro1c.kz/articles/trud-zarplata-kadry/kak-izmenilsya-raschet-zarabotnoy-platy-v-2020-godu/

(補足)カザフスタンでは2017年から雇用者は従業員の医療保険の負担が開始(ООСМС)。2020年からは従業員自身が医療用者は従業員の医療保険の負担が開始(ВОСМС)。2020年からは従業員自身が医療保険の負担が義務付けられたことで雇用者はこの費用を給与額から控除します。

その他参照情報

https://inbusiness.kz/ru/author_news/osobennosti-nachislenij-oosms-i-vosms-kak-izbezhat-shtrafov

ロシアの給与計算方法を紐解いてみると、きっと歴史的な何かがあるのだと想像します。カザフスタンについてもきっとこの計算式の裏には明確な根拠がある、きっと。ただ、今のところはまだそこまでたどり着いていません。何事もシンプルにするのが一番よいと考えるばかりですが…。

お前の仕事に創造性はあるのか? / Do you have creativity in your job?

「お前の仕事に創造力はあるのか?」これを父親から聞かれたこと、今でもふとしたときに頭の中でこだましています。管理の仕事で創造力があるの? - どちらかと言うと決まった仕事をきっちりとこなす事が要求される管理。創造力はむしろ必要とされない、と考えるのが一般的かもしれません。

ラテラルシンキング - これはまさに今の管理の仕事に重要なことだと思っています。そもそも今の当り前に対して疑問を抱く。根本的に規制事実の確かさに疑いの目を向けて全く新たな価値観を提案する。これは営業やマーケティングのスタッフだけに求められるスキルではありません。

既存の事実に「なぜこれをする必要があるの?」「今行っているこの作業が本当に必要なの?」ロシア人のスタッフと仕事をしていて、このような問いかけができるスタッフが少ないなぁと感じる日々。与えられた仕事をきっちりとこなす。今行っている仕事の作業の中にある無駄を感じないのか、感じても変えようとしないのか継続して行い続けるスタッフ。隣に座って一緒に作業を見て、「なぜこうしないのかな?こうしたらもっと楽になるんじゃない?」と尋ねると、「このようにするように習ったから」と。前提が崩れても言われたことをやり続ける。「こうするように言われたから。」そう答えられると開いた口が塞がらない。この話は、物事の原理原則を発見する、という点とも重複すると思います。前提が崩れた時にその変化に伴って対応が出来るスキル。それを創造力というのか、原則主義で仕事をできる能力というのか。

今の時代、これまで当たり前と思っていたことが覆される時代。コロナウィルスの件で働き方改革がよく取り上げられる現在。企業としてのこれまでの会社としての在り方が問われています。それは今のロシアでも同様です。3月からずっと自宅隔離で仕事をしています。これまでは一定の時間帯にアパートを出発して出社する。決まったルーティンをこなして一日の仕事を始める。それを当たり前と思っていました。今では、理由もなき外出が罰則の対象になる当たり前。許される外出理由は、ゴミ捨て、100m圏内での犬の散歩、最寄りの食料品店、薬局へ出かけることに限られます。(実際、警察も厳密に取り締まっている様子はありません。一人で歩いている、ジョギングをしている人には注意がなされず、複数人で集っているところには車両から警告を発している。そんな光景を目にしています)こんな時だからこそ発揮できる創造力があるはずです。

ロジカルシンキングのスキルを持っているのはホワイトカラーには当たり前。今のホワイトカラーにはさらに次のステップとしてラテラルシンキングのスキルを身に着けることの重要さ。「XXXさん、あなたが去年、これをこのようにすることを指示しました。だから今もそうしています。」と言われると「去年はこういう前提があったのでこういう作業が正しかったのです。でも、今年に入って前提そのものが崩れました。ですから去年の正解を倣って今年も継続してもそれは誤りですよ。」- そのように答えざるをえません。

きっとこの悩みはロシアに限らず日本でもどこでも同じだと思います。既存の前提を疑いの目を持って評価できる、そんなスタッフをもっと育ててゆきたいと思う毎日です。

[給与計算]有給休暇の計算に使用する係数29,3と「平均給与」について考察してみた / Salary calculation : Coefficient (29,3) used for Paid vacation calculation and thinking about Average salary

以前に記述した「有給休暇の計算」で取り上げた係数”29,3”という日数の意味は一体何でしょうか、調べてみるとこんな経緯がありました。

ソビエト時代から1992年に至るまで、年間365日から祝日と日曜日を除いて(ソビエト時代は週の仕事日が6日間で日曜日が休日)12か月で割った計算結果、25,4日を使用していました。1992年から2000年までは毎年ロシア労働省が次の年の計算に利用される係数を発表。2001年以降は労働法112条で祝日の数、労働法139条で月の平均日数が以下のように決められてきました。2014年に定められた29,3日は今でも有効で、この基準に基づいて有給休暇の計算の際に29,3を使用します。

Год年間カレンダー日数 / Кол-во дней в году祝日の日数 / Кол-во праздничных дней (ст. 112)ひと月当たりの平均カレンダー日数 / Среднемесячное число календарных дней (ст. 139)
20013651129,6
20043661226,6
20063651229,4
20123661429,4
20143651429,3
参考資料:Среднемесячное число календарных дней: зачем нужен этот показатель и как его применять в программах 1С?

例えば、過去12か月の収入が月給50,000RUBのみであった場合。過去12か月間、全勤務日で仕事に従事したのであれば29,3日を使用しますが、1か月(31日間)だけ休暇を5日間取得した月があったとします。有給休暇の計算に利用されるその月の日数は以下です。

29,3 / 31日 * (31日―5日間)= 24,57日

その結果、導き出される平均給与は(50,000RUB*12か月)/ (29,3日*11か月分+24,57日)= 1,729.75RUB/日

仮にこの時点で未消化有給休暇の日数が20日間あるとすれば、1,729.75RUB*20日間=34,595RUBの引当金が計上されます。(もしこの従業員がこの時点で退職する場合、この金額を会社は退職日に支払う義務がある金額)

もし計算対象の12か月間の間に昇給があったとすると、その昇給率を昇給前の給与にも掛け合わせて収入額を増加させる。それから12か月分の総合日数で割って平均日給を計算する、という手間も必要のようです。システム無くしてはとても追いつかない複雑な計算ロジックに参ってしまいそうになります。

そもそも、なぜロシアの有給休暇(出張時の給与計算も同様)の計算方法は過去12か月分の平均給与を基準に計算されるのか、その発祥はいつか?こういった点に疑問が湧いてきます。一般的に、就業経験が長くなるに伴って収入も上がってゆきます。毎年賞与も入るとさらに収入は増えます。毎年付与される28日間の有給休暇を消化しなければ、未消化分は退職するまで蓄積されますので、ある意味貯蓄のような意味合いを持っています。平均給与は毎月変動するので各従業員の未使用休暇日数が積み重なるにつれて引当金の計上額も増えてゆく。毎月人件費に不測の変動が生じる要因です。

きっと各国の計算式にはその国の歴史や考え方が反映されているはず。ソビエト時代からの計算の歴史を辿ってゆくと面白いに違いありません。こんな興味深い文献を見つけました。

НЕКОТОРЫЕ ВОПРОСЫ ИСЧИСЛЕНИЯ СРЕДНЕГО ЗАРАБОТКА
SOME ASPECTS OF THE ALTERATIONS IN THE LAW OF AVERAGE WAGE CALCULATION

https://cyberleninka.ru/article/n/nekotorye-voprosy-ischisleniya-srednego-zarabotka

私の個人的な意見として、ロシアの労働法はスピードの速い現代ビジネスの展開やフレキシブルな現代社会の働き方にそぐわないものとなっています。例えば毎年12月中旬までに翌年1年間の休暇スケジュールを決めて、その計画に沿って従業員は休暇取得が要求される、というルールであったり、休暇開始日の3日前までに会社は休暇分の給与を従業員口座に振り込まなければならないというルール。完全にソビエト時代の計画経済の名残ではないでしょうか?このようなルール違反の罰則規定があり、それによって余計な負担が管理部門にのしかかり、そのルールを理解しないスタッフから不平不満があがり…一体誰が得をするのでしょうか、このようなルールの見直しがなされることを願っています。

ロシアで仕事をする中で見つけた人事関係のおすすめ本 / Recommended HR books I found while working in Russia

私がロシアに来て人事を経験してみて、決して多くはありませんが自分なりに手にとってよかったと思う本をいくつかあげてみました。

戦略人事のビジョン 制度で縛るな、ストーリーを語れ(八木洋介 金井壽宏)

人事という仕事の全体の概要と人事として取り組むべき仕事を掴むにあたり大変勉強になりました。この本にも出てきますが、GEで大変有名であったナインブロックの評価制度が今では廃止されています。そんな風に、過去には多くの方が高く評価していた制度が時代と共にその地位を失っていくという事実も人事制度の面白い部分だと感じています。

ワーク・ルールズ! / WORK RULES! (Google人事担当上級副社長 Laszlo Bock) 

数年前に一時帰国して本屋に入った時、棚積みされているsyい本が目に飛び込んできました。手に取ってパラパラとめくってみて…。まだ人事とはなんぞや?という初歩の初歩であった私には衝撃を受けた内容でした。その後もロシアに戻ってからもどれだけ読み返したことでしょうか。この本がどれだけ良かったかを人に説明すると、「でもそれはGoogleのような会社だから昨日するのではないの?」と指摘されました。それも確かかもしれません。それでもこの本にある幾つかの内容を実際に実務に取り入れたことは良い経験tのなりました。

人を動かす / How to win Friends and Influence people (Dale Carnegie)

この本はビジネスパーソンにとっては誰しもが聞いたことがある一冊でしょうか。

ずっと昔に読んだきり、すっかり忘れてしまっていましたが、今の自宅隔離が始まる前にオフィスの棚を見返して見つけました。これを機会に改めて読み返しています。人としてありたい姿でいるための原則が載っていて、このジャンルの本はありふれていますが、この本一冊で十分ではないでしょうか。

戦略人事マネジャー / Roadmap to strategic HR: Turning a Great idea into a business reality ( Ralph Christensen)

この本の通りに出来て入れば、何も言うことはありません…人事の役割の在り方と将来的な目標を見据えるうえで勉強になりました。私の勤める会社は戦略人事なんていう以前に従業員の出社時間の管理、社内の書類の整備、身の回りの整頓をすること…そんな初歩的なレベルからスタートですが。 モスクワの多くの日系企業は設立十周年を越えたくらいの若い、小中規模のものが中心です。大企業から駐在員としてやって来ると日本にいた時の感覚で物事を考えてしまう危険があるかもしれません。どんなに本社の制度は立派でも、現実のいまここにいるモスクワの会社はあくまで中小企業であることに変わりはありません。その規模に応じたその会社の成長度合いに応じた人事制度を取り入れることが重要である。それを失敗から学んできました。人事制度は同じことであっても、この会社では正しい。しかし別の会社では間違いというケースが生じます。本に書かれている”正解”をただ受け止めるのでなく、まずは自分の会社の実態をよく把握し、その成熟度合いに応じた相応しい制度が何かを理解すること。それを取り入れて段階的に向上させてゆくこと、この取り組みが重要だな、と。この本について言えば、人事精度のベースが確立された大企業の人事担当者に一層必要な内容であって、私が働くモスクワのような小さな会社には程遠い内容でした。ただし、将来、このような人事制度をこの会社に作ってもらいたい、それがあなたたちの任務ですよ、という願いを込めてロシア人スタッフにも訴えてきましたが、まだまだこれからです。

MBAの人材戦略 / HUMAN RESOURCE CHAMPIONS (by David Ulrich)

(なぜ、この英語のタイトルがこのような日本語のタイトルとなるのか分かりませんでした)

具体的な会社事例が取り上げられている点が有益でした。この本に対する印象も上記の本に対するものと同じです。

なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣4.0 / The Personal Efficiency Program 4th Edition (Kerry Gleeson) これまたひどい日本語訳…と思うのは私だけでしょうか。といってもこれに惹かれて購入したのが私なのですが…

数多くの技術的なノウハウ本を買っては全く身につかず無駄にしてきた私ですが、この本はずっと昔に購入し、その内容を気に入っていて今でも時々目を通しています。ロシア語の翻訳版もモスクワで見つけたので、マネジャーの数だけ購入して全員にプレゼントをしました。きっと役立ってくれていれば嬉しいです。

計画を立てるもののそれに満足しているだけであった私にとって「とにかくすぐやる」ということをこの本を読んで学びました。つべこべ言わずとにかくやること。今でこそ改善されていますが、昔はひどいものでした。他にも週ごとの計画を立てること、他人とのコミュニケーションの取り方。新しいことでも21日間続けるとそれが習慣となること。今こうやって書きながら見返していても改めて学ぶことがあります。書いてあることは決して特別なことではなく原理原則ですが、これを実行し継続することが難しいですね。また、ここでは詳しくは書きませんが、仕事スキルとして他に重要なこととして、このような原則を学んだ後は日々自分のやり方を見つけるために変化を付けて改善してゆくこと、自分の業務に要する時間の見積精度能力を高めること、その仕事をやると決めたらやりきること。これらが仕事をする上で大切だな、と考えています。

HR в борьбе за конкурентное преимуществе (Дейв Ульрих и Уэйн Брокбэнк)

この本David Ulrich氏の本の翻訳版で、中身は大企業向けのような印象です。戦略的な人事部を作り上げてゆく上で必要な内容がぎっしりとロシア語で書かれています。本屋で色々人事に関する書類を漁ってみたなかで、非常に硬い内容ですがこのような本もあってはよいではないかと思いロシア人スタッフにプレゼントしたものの誰も読んでくれませんでした、いまのところは。

Год с Питером Друкером 52 недели тренировки эффективного лидера (Джозеф Мачиариелло)

この本は、ピーター・ドラッカーの教えを毎週1つずつ学習し、1年かけてリーダーとして成長しよう、という試みの本です。コンセプトが面白くて購入してみました。スタッフにぜひやろうよ、と言ったのですが…。いつかは必ず、ロシア人スタッフの力によって取り組んでくれる日がくることを願っています。

ずっとロシアに長いこといるために日本の書店の様子を深く知りませんが、私が思うに現在出版される人事関連の本は技術的な部分に特化しているものが多く、どれだけたくさんの本を読んでも、お金と時間をかける割に得られるものが少ないのではないか、というのが私の考えです。むしろ、古くから存在する古典的なビジネス書に絞り、その内容を反芻するほうが効果的であろう、と私は考えています。

また”人事”という仕事は決して人事部に所属しているから、人事部の人間の仕事です、というのは誤りで、どこにいて働こうが必ず仕事は人があって回るもの。一対一の関係が始まるところから人事という仕事はスタートするのであり、決して人事部のみが担う仕事ではないということです。しかし、人事部は会社全体の仕組み作りを整える上で大きなイニシアチブが取れる部署であり、全体を巻き込んでいく上で重要な要であるということは事実です。私の経験からすれば、ロシアで長いこと人事の仕事に携わってきましたが、全体を巻き込む力や意欲を持ったスタッフに出会えることはなかなかそう多くありませんでした(それは会社が採用できる給与のレベルや採用を決定した会社側の問題でもあるのですが)。人事部としてロシアの細かな手間暇のかかる書類作り、最低限の制度作りをやるものの、それを運用していくのは各部門のマネジャーの仕事であって私の仕事ではない、私は人事であるから他の部門の仕事を把握することまでは仕事ではないです、といった線引きをするスタッフが多い印象です。といっても決して拒絶するわけではなく、線引きがある状況から徐々に意識を解いてゆく過程を経て、ようやく戦略的人事、といえる分野のスタートラインに立てるのかもしれません。他の部署が何で困っていて、どんなことをしてあげればより貢献できるだろうか?それは各部門の人や仕事内容をある程度理解できないことには提案できないものですから…。

ロシアは、日本でも同様ですが、会社の人材に関する本は先進的な欧米からの本が多いです。日本は多くの日本人による著書が選択肢として豊富に用意されていますが、ロシア人著者による人材関係の本はずいぶん遅れをとっています。そんなことから、ロシアで人材関係の良書を探そうとすると数が限られること、そもそもこの分野の本自体が少ない。結果として、ロシア人スタッフと人事に関する情報共有、議論をするとなると、英語の文献をオンラインで購入する、Youtubeにある動画をロシア人スタッフと共有することも大切だと思います。母国語ではないため英語で説明する言葉は完全に各人の心に届かないものです。ですから、ロシア人の人事スタッフがどれだけ成長し、周りと共に会社の人事制度を作り上げていけるか、そして全従業員に母国語のロシア語浸透させて行けるか、これが本当の意味でのこれからのチャレンジです。 

自分が上手くいっているときもそうでないときも / When your things are good or not good as you expected

自分が上手くいっているときもそうでないとき

とりわけ上手くいっていないとき

これがその人の人間性を表すのではないでしょうか

人がうまくいっていることを妬んでしまう傾向が誰にもあります。気を付けているつもりでも私もやっぱりあります

そして自分が何だかうまくいっている時には周りのどんなことも気にしなくなっていますヒトというのは面白い生き物だと思います

我々はみな完全ではないので、その時どんなに相手が悪いとしてもそこまで相手を落としこむこと、決してすべきではないです

しかしながら、周りを見渡してみると相手を批判する人、けっこういるのではないでしょうか?

自分だって同じ失敗をしかねません、いつの日にか。そうであれば、自然と人の失敗についても寛容になる要素があるはずです

ロシア人のスタッフでもイコンを机に置いていたり、机のパーティションに飾っているスタッフを見て思いました

ロシア正教会に属しているスタッフで聖書を学んでいると唱える人でも、その行状を見ればその人が必ずしも「人を許すように」という有名な教えを実行できていないのだな、と

知識で知っていることと、知恵となって心に沁み込んでいることとは違うのですね

「相手がわたしに対する態度を変えない限り、私もその人に対する態度を変えない!」そう主張したスタッフがいました。— こんなヒトに幸せな将来はやってこないでしょう

もう10年前くらいでしょうか、日本でタクシーに乗ったときに言っていた運転手の言葉を今でも忘れられません

「人は自分が上手くいっているときには他人に対しても優しくできて親切を示せるけれど、自分が苦しい状況に陥った時に周りにどう振舞えるか、その時にその人の真の人間性が試される」(正確なフレーズは覚えていないのですがこんなことを言っていました)— 深いことばだなぁ、と

とりわけ人の評価を担当するマネジャーの持っているべきスキルを語るとすれば、過去に自らが逆境で苦しんだ経験、そこでもがき苦しみ、解決方法を模索した日々、その問題を解決できたときの喜び — こんな実体験に基づく他人の心を理解する力です

部下との会話をする中で、「あー、これね、うん分かるよ、この課題はそう、難しい場面に直面してどうにもいかなかったよね」— そう言ってくれる上司がいるだけで、どれだけ部下の心は救われるでしょうか

ロシア人スタッフの訓練の場は、日々の自分の仕事の姿勢 / The training for Russian staff is just what I do and show on daily work.

安全な買い物のための4つのルール;人との距離を1,5m開けること、無料の消毒を利用すること、支払いはカードでお願いします、可能であればマスクをしてください。とのことです。レジ周りの床にはテープが貼っており、それにそってお客さんがレジの順番待ちをしています。マスクをしていない人を見るほうが珍しいくらいに。大きく、ここモスクワの様子も変化しています。

いつも考えてしまいます。なぜこれだけ人材トレーニングを提供する会社が星の数だけあるのか、そしてこうもその結果が表れないのか? つまり、効果がないにも関わらず会社がトレーニングを計画するので、それだけの人材訓練の会社ビジネスが成り立つわけですが…トレーニングをして育てたい人材というのは会社に頼らず自ら動いて自ら自己研鑽に励んでいるのではないか、と言いたいところです。会社として、訓練の場を設けることの必然性について問われれば私は懐疑的です。

最近嬉しいことがありました。寡黙に作業を黙々とするスタッフ。あまり目立たないキャラクターです。でも仕事はきっちりとこなしてくれる物流担当のスタッフです。

メールで質問をしていて、それに対して彼からの返信メール。昔と随分と違います。発展途上ではありますが、ロジカルで短い文章で事実を書いてくれて、Conclusion、として要点をまとめてくれていました。以前のの彼のメールはそんなことはなく。冗長なメールが続き何を言いたいのか、要点を把握するのにも時間がかかる。そんなころと比べると、あれっ、いつの間にこんな書き方になっているんだろう、いつの間に成長したのだろう、とパッとメールを見た時に感じました。

会社のメンバーのメールやり取りを見ていると、下線を付ける、文字を太くする、段落をずらすなどしてメールで読み手に分かりやすい方法を考えていることが見て取れます。それが私の成果だとはとても言いませんが、日頃からそのようなメールを書くことを自ら実践してスタッフにもお願いする。そんな毎日の地道な繰り返しと自らの行動の実践が少しは伝わっている証拠だろうか…なんて都合のよいように解釈をしてしまいました。

自分の訴えたいことを自ら行動して示してゆく。それがいつ実を結ぶのか分かりませんが、実践を継続し続けること。相手に行動で示し続けること。そして相手にその大切さを口で訴えるのは時を選んで。その言動が一致するときに真に伝わる人もいる ― 全員に伝わることはない ― そんな地道な積み重ねこそが本当に大切な人材育成であると思うところです。

「正義」に過ぎることがあってはダメです / If you go too far into “rightousness”, you may just things worse.

これまでのロシア人スタッフにもいたのですが、すべての物事がロジック通りに進まなければ素直に動かない、私の言うことを否定する人、彼らのいう「義」の通りに進まなければことごとく否定する部下がいます。そして、その取扱いが難しいのは、彼らの言い分が正しいからです。だからこそ、それを否定することもできず、否定すると一層さらに突っ込まれます。
あなたの考えは間違っている。であれば私も従わない。と。
このような人間は決して上に立つべきではありませんが、このような人間は部下の立場であるからこそいかようにでも述べることができます(時分自身の利害を中心に語っていればよく、全体の視点で物事を考える必要がない)。そして、このような人も小さな会社では日常業務のオペレーションを担ってもらっている以上、容易に彼らを否定して業務に支障をきたすことがないようにしなければならない。
どんなに話し込んで、彼らの意見を聞こうとしても一向に変わらないことがある。これはどうにもならない事実だと思われます。何を言っても揚げ足をとられる。そして彼らはそれに満足している。他にも多くの課題を抱えているこちらはこの会話をしているだけで疲れてしまう。相手も自分の言い分が聞き入れられないために疲れてくる。私の経験上、去ってもらうしか解決策はないように思えます。
世の中、このような人と一緒にいるとただただ疲れるなあ…と感じるばかりです。
私自身を評価するのはあくまで周りであって自分自身でありませんが、自らとしては日頃からのやり取りを通じて多くのスタッフと包み隠さずのコミュニケーションをできているとします(否定する人からすれば何を言ってもダメです。私の認識もすべては「あなたの勘違いです」といって一蹴されてしまいます。)そんな中でも必ずこのような人が存在する。私自身が相手のためを思って行ったとしても、それが相手にとっては素直に受け止めてもらえない。そのようなジレンマに苦悩することもあります(いまでは「ありました」の過去形となっています)。
会社の規程は非常に重要です。我々の行動は必ずその規定に沿ったものであるべきですが、細かいすべての部分ですべてのことにおいてきっちりと規定を整備し、それに沿って行動しなければならないとすると、それはただただ苦痛でしかありません。Job Descriptionにしても、それに記載がない要求を上司がすれば「これは私のJob Descriptionには記載がないのでやりません」なんていう人間もいました。一方であらゆる可能性を考慮したうえで詳細を排除した記述方法にすると「これでは曖昧過ぎてダメです」という答えが返ってきます。
どれもが正解と思える中でお互いに歩み寄りベストの解決策を見つける。各々がどれだけ相手のことも考えたうえで行動できるか、これが会社で働く上での一番といってもよい重要な点ではないでしょうか。
与えられた目の前にある問題の解決に取り組むことは容易としても(これは部下の仕事を想定して述べています)、自分の置かれた立場、今の会社の状況・規模を理解したうえで判断する課題設定、その課題のレベル、優先順位、どこに落としどころをもってゆくかというバランス・判断を下す立場の私。そのバランスを取るのに苦慮する横では、正論をただただ述べるだけの部下…。
ロシアに赴任したばかりのころ、右も左もわからずに初めて人事を見ることになりました。すべてのことがただただ初めて。部下の人事評価、昇格のルール決めについて昔から勤務していたロシア人人事マネジャーは、「私が知っている他社では、きっちり評価の点数付けができていて、全員不満なくシステム通りに昇格する人も決まってゆく、それに比べてこの会社の評価や昇格のルールはなっていない」と。
長年人事をやっておきながらそのようなとんでもないウソを堂々と語れる…衝撃的でした。今では経験からはっきりとわかりますが、人事制度をつくるのはいたって簡単。すぐにできます。問題はその制度が機能させることがどれだけ難しいことか。点数付けそのものがどれだけ難しいことか、全員素晴らしい評価を取ったら、将来会社には全員課長だらけになるのか?そのような点が人事評価の悩ましいところです。
であれば新しいポジションをどんどん作ってゆけばよいのではないか?なんていう人間もでてきます。そうなると、ロシアにいて接する営業スタッフの名刺を見ていて思いますが、やたらとManagerと名のつく方が多いこと。一体あなたとその横にいる彼、彼女はどちらが偉いんだ?という話になります。
論理で正しいことと実際の会社の管理を担うことは違う。それは経験からでしか理解できないのかもしれません。
`自分の視点で人を判断する。それは自分のレベル。もしもっと広く視点が広がるともっと人として成長して、目の前のことを冷静に判断できるのかもしれません。だからこそその点でいかに早く成長できるか?これがより上にいくために重要な要素だと思っています。
私もどちらかというと「正義感」をもって正しいと思うことを強く主張し、声を荒々しくし、周りも気にせずに声を張り上げていることがありました。今振り返ってみると、どちらかといえば自分の狭い視野に基づいて物事を判断していたのだと感じます。そしてそれが当時の自分のレベルであった、人は自分のレベルに基づいてしか物事を判断できない、ということです。経験を経て、上の立場の考えに近づくにつれて判断基準のレベルも高まる。そうすろと、必ずしも自分の「正義」が決して全体から見れば正しくない、という矛盾に気が付くわけです。その矛盾さを理解したうえで、本当の意味での正しい決断を下せること。それがマネジメントとしてやってゆくために求められている要素であり能力であるのだと、苦しい、まったく思い通りにならない部下との”バトル”を通じて学んできた事柄となっています。

人に期待することの独りよがりとあきらめと納得感 / self-righteousness, resignation and a sense of satisfaction about expecting something from others

ロシア人スタッフのために私として出来ることを行った結果、その相手が成長することを、私のことをよく思ってくれることを期待することは、ただの独りよがりのわがままである、と今では考えるようになりました。

仕事で相手に期待した後の、そのギャップに苦しむのは自分。この長い年月の苦闘の経験から私に言えるのは、人に期待することは逆に自分の独りよがりで勝手なわがままなのではないかと。相手に期待するからこそ、その結果に裏切られて悲しい思いをした記憶があります。この12月の時期には、各社New Year partyを企画するところが多くあります。それは会社の規模によってはホテルやレストランを貸し切って開くところもあれば、少人数でレストランを予約して食事会を開くところ、あるいはパーティ自体を開かない会社様々です。私の働く会社では会場を貸し切り、この日は仕事時間も短縮して大いに皆盛り上がります。とりわけ女性たちの化粧、衣装の気合の入り方には驚くばかりです。それだけのイベントなので、人それぞれの要望が分かれます。多数決を採択しても決まらず、良かれと思って裏で一生懸命に動き、下見して皆にとって良いと思われる選択肢をした…と思いきや、「選択した場所はとても良い場所ではあるけれども、New Year partyは本来、その場所でやるべきではなくて、もっと別のところのほうがよかった。私の周りで聞く限りは”みんな”あまりいい評価をしていない。残念です…。」なんて言われるとがっかりしてしまいます。これを言われた日の晩はかなり真剣に悩みました。自分の決定が果たして良かったのだろうか…と。この抽象的な表現、”みんな”という言葉を簡単に信じることも危険です。わずか3人かもしれず、多くても5,6人かもしれません。誰にとってもベストな選択肢などありえるはずがない。自分のベストを尽くしたらあとはなるようにしかならない、これまた真実を実体験から学んでいます。

言葉の語弊を恐れずに言えば、自分のやるべきことはやるけれども、そのあとは相手次第。自分の考えたとおりに相手が動かなくてそれに期待することもしない。そうすればイライラすることも避けられます。日本人の駐在員がロシア人スタッフの部下について悪く言うのも、こうあるべきだという思いがどこかしらにあり、それが相手のことを悪く言う原因の一つになっているのではないでしょうか。そうなってくると、結局自分の周りにはイエスマンを揃え、イエスマンが全員日本人駐在員の思うままに動くことを良しとする、そうなるはずです。多様性(Diversity)の重要性を会社として訴えながらも、実際には多様性を否定する実際の現場。矛盾が生じますね…。

人に期待しなくなったときに、すっと自分自身の中で納得感ができました。そしてよい結果がでてきたときに、逆に期待していなかった結果に驚き、感謝の気持ちを感じます。それのほうが精神的に健康的なのかもしれません。

ロシア人スタッフの人材育成と日本人マネジメントの責任の関係 / The relation between Human Resources (Russian staff) development and the responsibility of Japanese managements

私が、長年ロシアに勤務する中での「人材育成」に関して悪戦苦闘、試行錯誤から得た結論。それは、「日々の自分の発言とそれに矛盾しない行動がスタッフ自身の育成に繋がる。」これしかないんだろうな、と今の時点では結論付けています。
きっとこれが真実であるからこそ、会社はマネジメント以上の能力以上には成長しない、という会社の成長について語る際に何度と無く耳にするこの表現は、まさに的確な表現だなぁ、と思うばかりです。

これから記載することは、「えっ、こんなレベルなんですか?」と、 長年日本で仕事をしている人から 言われておかしくないのかもしれませんが、実際に私が日々直面してきたことはこのような状況です。そして、裏を返すと、日本の大企業に詰まっている、世代をわたって引き継がれてきている日常業務のノウハウの標準レベルの高さ、浸透度合いの高さについて改めて素晴らしい・・・ただただそう感じるのです。

たとえば、大量の書類の束を見るも無残なくらいに引き伸ばされた痛いげなゼムクリップ(Paperclip)を見て、「こういった量がある時にはこれに見合ったターンクリップ(Binder clip, Foldback clip)を使いなさい」とか。サプライヤーへの支払い承認申請書を持参して口頭で説明するスタッフに対して、「要点をまず申請用紙に記入してくるように。その口頭説明を後で誰が覚えている?もし私たちが退職したあと、この二人の会話がどこにも残っていなかったら後の人たちが申請履歴を見ても分からないでしょう。」とか。Excelファイルを作成する際には、(全てではないですが)きちんと印刷プレビューにて、自分の作成したファイルが正しい印刷用範囲内に収まっているかを確認すること。その上で他者に送信をするように。」など。そういった日常的に出会う小さなことです。

あるいは、時間管理。遅刻しないこと、仕事時間に関する生産性を高めるようにスタッフに日ごろから訴えているのであれば、私たちが出社時間を守るのは当たり前ですが、それ以外には予定の会議に時間通りに参加することを意識すること(残念ながら数分の遅刻が時々やむを得ず起こりえるのですが・・・)、どうしても時間をずらす必要が出る時には、次に待っているスタッフにショートメールを伝えて会議の時間変更をお願いすること、とか。私の時間だけではなく、次に控えている他のスタッフの時間をむやみに浪費してしまうことがないように意識が必要だと思っています。

Excelについて言えば 、Excelに未熟なスタッフでも最低限取り扱えるであろう必要最低限名関数を利用したファイルを作成し、それを実務で使うように共有してゆく。そうすると、面白いことにロシア人スタッフなりにそのファイルを自分たちに合うように改良して、実務の中でそれが発展してゆきます。そしてその関数を覚えてくれるスタッフがでてきます。(しかしながら、そのファイルが滅茶苦茶なことになっていないか、時々チェックを入れることが重要です。さもなければ、勝手にファイルを一層難しくしてしまっているケースもあり・・・。なぜ仕事を簡単にするべくこのファイルを共有したのに、こうも勝手に仕事を難しくしているんだ・・・?と。これも悩みの一つです)

結局、このように自分自身の一つ一つの行動がロシア人スタッフの間に伝わってゆき、例えば最初の例でいえば「承認を得るためには事前にXXをやっておかなければダメなんだ」と、スタッフが形から入ることでそれが常識となり、それを自然に行えるようになってゆく。人によってその習得度は大きく異なるのですが、結局のところそれがスタッフのビジネススキル習得のための 最短距離の 方法なんだと。この結論に至っています。

まだまだその他にも改善点は残っています。Emailでのコミュニケーションがチャット状態になっていて、多くの従業員がCCに入っており、関係ない人ばかりなのに全員にメールを送り続ける現象 ― 「もうやめてくれ!」と全員に伝えてもやめない人間がおり、それがきっかけでまた続く ― そんな直らない点もあるのですが・・・。

そして、このような基礎的な事柄を自然とスタッフが出来るようになったときに、次のステップとして「なぜ?」という問いかけです。これができない人が多いことに驚きます。

  • 言われたことはできるけれども、自分でその理由を考えようとしない。
  • 言われたからやる。おかしいと思っても私は気にしない。
  • 日本人のマネジメントが言っていることで文句を言わずに聞いておいたほうが楽だから。
  • 何かこのやり方に間違いがあっても責任は日本人マネジメントだから、私には関係ない

そんな要素も皆無とは言えないのでしょうが、よいチーム関係を築いている間柄で、お互いに発言をし合える環境にあることを前提とするならば、「なぜ、これをやらなければならないのか?もっと他によい方法があるのではないか?」日本人マネジメントから多くの知識、経験をスタッフに共有することが多いとしても完璧ではありません。スタッフのほうがもっとよいアイディアを持っていることが実際にあります。その問いかけをどれだけ各人の中に生むことができるか。 さらに試行錯誤は続いています・・・。

人材へのトレーニングは本当に必要なのか? / Does Company really need training for employees?

これはその会社のレベル、置かれている状況によって答えが異なる…というのが正解でしょうか?会社でこれまで受けた研修は私にとっては一つ一つに収穫があったので意味がある、というのは間違いないです。ただ、人事部は体系的に入社XX年目研修、新任課長研修などの定例的に組織された、決まったレールに則って企画される研修後に、その効果の振り返りを行うべきでしょう。大半の人は、その場の雰囲気を楽しみ、その中で語られることをなるほどなるほど、と聞いて、何だか賢くなったように感じる…が、後になるとその気持ちも忘れてしまう…そんなもの。人事部がどのように人材教育を計画しているのか私には分かりませんが、これまで参加してきた研修は、いずれも研修後のフォローが無く、ただ参加しただけ、という印象でした。むしろ、研修の一番の目的と効果は、同期の仲間と久々に会って近況を報告しあうことなのではないか、と思ってしまいます。研修の中身は忘れてしまったとしても共に語り合ったことは覚えている、という。

あまりアイコンタクトもしない、積極的な姿勢がない講師の方でムムム・・・と想った研修がかつてありました。こんな講師もいるのかぁ…と思っていた二日間の研修。その最後に「私の経験から言えることは…何事も自分で判断した決定について、その判断した理由をきちんと自分で語れるようにしておくことが大切だ、ということです…。」という言葉は一生忘れません。毎日と言ってよいくらい、決断するときにこの言葉を思い起こします。

ロシアにいるために参加できず、その代わりに受け取ったDVD録画で代理参加した研修内容で語っていた講師の言葉、「人は何を言うかではなく、誰が言うか、が重要だ。」「自分のやりたいこと(Want)と、会社のやるべき仕事(Must)を近づけてゆく努力と行動をすること。」これも響いています。

研修、というのは1日から数日間詰め込んでも、結果としてほとんどのことを覚えていない人が大半。そんなものなのかもしれません。そして、人事部の目標として研修を開催することが目的化していないだろうか?というのはいつも念頭においておくべきだと感じています。私自身、ロシアに来てから初めて人事の仕事に従事し、今では主にその仕事に時間を費やしているのですが、ロシア人スタッフに対する研修プログラムを考える時に悩みに悩みます。(率直に部下から「こんな忙しい時期になんでそんなことを、人事の目標達成のために開催するだけでしょう?」と言われてしまいました。

研修とは、日常とは異なる場で、忙しい日常の中から隔離された場所で、日頃時間を取って考えることができないテーマについて時間を取って考え、お互いに意見を発言し、客観的に自分を振り返る。かつ、日頃仕事ではお互いに交流が少ないスタッフ同士がコーヒーブレイクやランチの時間を含めて一緒に語り合う場。それを提供できれば成功なんだろうか、という、前半にも書いた結論にたどり着きました。

みな、なぜ?という疑問が自分で起こらない限り、どんなに会社が教育しても意味がないと感じます。研修で心に残る言葉は、日頃からそのことを考えているからこそ引っかかる。考えていない人にとっては「そうなんだぁ。」程度で終わってしまう。会社として何としてもこの研修によってスタッフを成長させなければダメなんだ、成長しない人間は許さない、なんていう独りよがりの期待は逆効果ですし、そんなことに労力をかける必要もないのでしょう。

そのようなわけで、スタッフにとって必要だと思われる研修テーマを一生懸命考えて準備して提供をすることは必須ですが、その一方で、誤解を恐れずにいうと、その結果にまったく期待もしていません。わたしの人生ではなく、それぞれの人生、価値観に依存することもあるので、人事として考えた効果が決して想定した通りには上がらない。むしろそれが普通なのでしょう。これぐらい覚めていないと余計にギクシャクしてしまう気がする。それが今の私の至った結論です。

面白いことに、例えば、時間の効率化を必要としていない人に対して仕事の効率化の研修を企画しても意味がない、ということ。なぜこれだけExcelのショートカットを覚えなければいけないのか?それはそれだけカバーしなければならない業務が多いから。でも業務量もスキルも低いスペシャリストのレベルで、彼・彼女が特に何も不自由なく自身の仕事をカバーできているとすれば、なぜわざわざそんなショートカットを覚える必要があるのか?と言われてしまいます。そうです、決してショートカットを覚える必要がない、という彼らの理論も正しいです。

そして何よりも、自分自身で意欲のある人間は、人事部による研修制度などなくとも勝手に自ら教材を探し出し、自分の負担でどんどん勉強し成長してゆく、という事実。

それ以外の人々にとっては、成長する、というその必要性がなければ「なぜ?」という疑問がわかず、その疑問がわく人も実は全員ではない、という事実。期待をしすぎることは結局自分の独りよがりのわがままであって自己中心的な考え方なのだろうと、繰り返しになりますがそのように考えるに至りました。

採用コストと研修コストの費用対効果についても考えさせられる要素です。この点は採用に関する記事で後日書きたいところですが、この点については世の中の人事部のスタッフであれば必読書ではないかと思うGoogle人事の方による「Work Rules!!」(by Laszlo Bock)が考えるよい題材となりました。