モスクワは本当のロシアじゃない / ”Moscow is not real Russia”

「モスクワは本当のロシアではない。」ロシア人と会話していてモスクワのことを語ると大概このフレーズを耳にします。恐らく、「モスクワは本当のロシアではない」って本当?と尋ねると大半のロシア人が頷くはずです。駐在期間の間、休暇になると多くの駐在員の選択肢は、日本食の買い出しも兼ねて日本に帰国する、あるいは距離が近い西欧や、海のある南の地域に出かける、そのいずれかがほとんどであったように思えます。ロシアとは所縁の無かった日本人がモスクワに来ると、それはもうハードシップの高さを訴えると思いますが、お金さえあれば基本的には何不自由なく生活ができて、他人には全く笑顔を見せないと思われていたロシア人も今では笑顔で接客してくれる。街の中でも嫌な思いをすることがほとんどない(むしろ、中央アジアから来ている同じアジア人が露骨に差別されている様子を何度も目にしました)。道を尋ねても特に嫌なこともなく教えてくれる。(逆に、明らかにロシア人ではないこちらに道を尋ねてくるロシア人も何度か遭遇しました。地方からやってきたロシア人なのでしょう。ロシア人にモスクワの道や地下鉄を教えてあげる。何だか不思議な気分でした)ずっとモスクワは住みやすくなったと思います。ただ、ロシア語がどうしても必要となり英語が必要な場面は私はソビエト時代の大変さを知らないので、ソ連・ロシアと長年同じ畑を歩んできた報道、商社マンのようなビジネスマンの方々が持っているであろう数々の面白愉快な話は残念ながら語ることはできません。大学時代に教授がソ連時代の小話を語ってくれたのを一つ覚えているのは除雪車の話。大通りを除雪車が道端の雪を除雪していたそうです、ゆっくり車が動きながらかき集めた雪を後ろに吐き出しているのですが、その吐き出した雪が除雪車が通った後の除雪した場所に降り注いでいるので、結局その除雪車が通った後は再び雪が積もったままになっていた、という話。これがソヴィエトだ。なんて面白く語ってくれば話を覚えています。多少話に尾ひれが付いているかもしれませんが、何だか納得してしまいました。

混沌とはかけ離れた、街も綺麗で国もロシアに比べれば整っているであろうイギリスやドイツ、日本に憧れるロシア人もいれば、「ドイツに行ったけれど、あんなに(何もなくて)つまらない国には住めたもんじゃない!」というロシア人もいる。かつてナチスとの市街戦を繰り広げたヴォルゴグラード(当時はスターリングラード)を訪れた時には、穴だらけの車道がありタクシーも前方要注意。「ここではまだ戦争が続いていて道路が穴だらけなんだ、ハハハ!」と陽気な運転手。自分の街を愛している人でした。なんだかんだロシアのことを悪く言うロシア人がいても、やっぱり自分の祖国を愛している。程度の差はあれどもその愛を、身の回りのロシア人から感じたロシア生活でした。

ロシア生活の間には本当に貴重な旅行ができました。コロナウィルスが拡大して外出規制となる直前までに出かけたモスクワ近郊への小旅行ではモスクワとは違うロシアの別の顔を見ることができました。一生残る大切な思い出です。それ以外にも、ロシアが併合した後のクリミア。空港のかつてのパスポートコントロールがただの無人のボックスとなり、昔は列をなした場所を何も無いかのように通り過ぎて空港をあとにしました。かつては町が完全に崩壊した場所が見事に復興しヨーロッパ最大級の美しいモスクが立っているチェチェン共和国のグロズヌイ。ロシアとの衝突が続き、路上には戦車が並ぶ道路を進んで向かったウクライナのオデッサ。2014年のウクライナ騒乱で数多くの人が無くなったキエフの独立広場、未承認国家である沿ドニエストル共和国やアブハジア共和国、チェルノブイリ原発事故で誰も住まなくなった町へのツアーなどなど。ロシアには中央部には広大な世界遺産の大自然が広がっていますし、極東地域には世界最低気温を記録したサハ共和国の首都ヤクーツク、美しい自然、美しい富士山のような山を構えるカムチャッカ半島。まだまだ出かけたことの無いロシアの魅力がまだまだ残っています。

日本語でロシアの一般生活の様子を探そうとするとリソースに限られると思います。一方でロシア語のサイトとなると検索のハードルが上がります。英語の勉強も兼ねて、英語で紹介されているロシア紹介サイトを訪問することをお勧めします。

偶然見つけた極東に住むこの女性のサイト。”Yeah Russia”

https://www.youtube.com/channel/UCWf43GShTqMDdJN9pICYd2Q

モスクワとは全く異なる極東の街の様子を見ることができます。モスクワを一歩離れると、モスクワ近郊でもこのような風景が車窓に広がります。極東だからこんな様子、ではなくてモスクワとそれ以外の町の落差を見る上でもとても参考になります。

彼女のページでは、他にもお勧めのYoutubeページが紹介されていました。

例えば、こんな以下のページ。”Different Russia “

https://www.youtube.com/channel/UCFFG4euAS7ZoAUYJFQETouA

モスクワの様子やモスクワ近郊での生活を実感することができます。上記のサイトと比較すると日常生活を紹介する点ではテーマが近いように思えますが、また違った都会の雰囲気を存分に感じることができるビデオがたくさん紹介されています。

ちょうどよい駐在期間はどれくらい? / How long is the right period of working as an expat in Russia?

駐在の経験を経て今思うこと。会社の規模、内容に依るのですべてのケースに当てはまりませんが、管理業務に従事する駐在員の場合、モスクワに長く駐在することはビジネスパーソンとしての価値を上げるには限界がある、ということです。海外での業務経験、ロシア人スタッフと勤務して感じる文化の違い、言葉や育った背景も全く異なる部下や同僚たちとぶつかりながらもどのように仕事を進めてゆくか、仕事以外の日常生活で体験する初めてのこと、どれもが日本の環境では決して得ることができない体験です。

駐在員として本社から派遣されてきた契約形態であれば、金銭面での待遇は日本で生活するよりも高く、日本の生活水準よりも高くなることがほとんどだと思います。(中には現地のモスクワの子会社で現地採用された日本人もいます。その待遇は駐在員に比べると決して恵まれているわけではないと思われます)給料も貯蓄できて、よい生活環境が保証される生活。しかしそれが七年ともなると、徐々にそこでの業務経験もただ繰り返してゆくことが増えてきます。確かに会社は成長し、それに伴って組織が変わってゆくことを目の当たりにできることは貴重です。新しいポジションを作り、新たな人を採用して仕事を覚えてもらう。徐々に自分自身が抱えていた仕事をロシア人スタッフに委譲してゆく…そういったやりがいは確かにあります。しかしながら、日本の本社でできる仕事はモスクワで経験するやりがいとはまた違った内容の意味でもっともっと大きなものです。駐在員としてモスクワで経験した苦しいこと、辛いことを踏まえて、それをどうしたら改善できるだろうか、どうすれば全世界にいる駐在員や現場で働くローカルスタッフたちのサポートができるだろうか、そんなことを考え、実際に提案して喜んでもらえる。自分の働きが幾つもの海外の子会社の業務改善に役立つことを実感できる喜びがあります。この観点で言うと、自分自身の成長にとってモスクワでの勤務経験は、長すぎると、ある地点を境に自分の成長をストップさせる、そう感じています。大きな理由の一つは、モスクワにある日系企業の規模そのものは小さいものがほとんどであり、その会社で経験できる仕事の規模もそれだけ小さくなってしまうからです。

3年という一定の切りの良いスパンがありますが、3年は大変短すぎました。一通りのことがわかって、自分のやりたいことをできる体制づくりもようやくできつつあったタイミングが来た時にはすでに3年が経過。毎年厳しくなる本社からの管理体制の強化への対応に追われて社内の規定を整備したり、新たに要求されるレポートの整備に追われたり。人事で言えば会社の組織作り、制度作り。人が安定しないことから採用活動が続く。ようやく採用したとしても定着に時間がかかったり、税務調査や社会保険関係の監査が入り対応に追われてしまう。人が不足している期間は自分自身も業務に入ってゆかないといけないためにまた仕事が停滞する…そんなことの繰り返し。自分の思うようにうまくいかないことが多々ありました。現地でお世話になっていた人事部を知る方曰く「あまり長いこと現地にいると本社から忘れられてしまう。自分の会社でのキャリア形成も考えるのであれば子会社に長くいることは決して良いことではない」という言葉が真実を物語っていると思っています。もし会社の土台が整えられている会社であれば、3年という期間が満足できる充実仕事の期間となるかもしれません。他方、私のように苦労の連続の中で経験した7年間というのは、ある意味では長いと言いつつも、会社の底からようやくゼロ地点にたどり着き、そして成長してゆく。そのプロセスを経験する点では適切な期間だったのかもしれませんが…。

自分自身の価値観の軸を何に置くか ー とにかくロシアに関わっていたい、ロシアに居続けたい、あるいはロシアでの業務経験は自分自身の視野を広げるための一期間であり、その間に小さな規模の子会社でマネジメント経験をして更なる自分の成長につなげるなど — これに左右されると思います、そしてこの考えは人それぞれです。正解はありません。あくまで私の主観ですが、一般的な管理業務を担う管理人材で、かつロシアの子会社が小規模のものであるならば、どんなに良い待遇を得るからといって、目の前の待遇ばかりに注目してはならない。そして、将来の自分の成長を忘れてしまうことがないように定期的に今の自分を客観的に観察することを怠ってはいけない。ということだけは言えだろう、と考えています。

モスクワ駐在生活の醍醐味:歴史的なアパートと景観をでの生活 / The joy of living in Moscow: living in the historic apartments and enjoying city landscapes

モスクワの駐在生活でしか経験できない醍醐味の一つは、日本には存在しないモスクワの歴史的なアパートに住むことができる、という点があります。有名なスターリン様式のアパートはまさに他の国では見ることができません。都心の中心部ということで家賃も高く、自分の負担で住むとなると難しいところを会社の補助があるからこそ選択肢に含めることができます。モスクワ駐在の際には歴史的なアパートを検討してみることをぜひお勧めします。ロシアのモスクワ以外の国に居住したことがないので、他の国ではどのような物件があるのかは分かりません。ドイツに駐在していた友人の家や他の西欧の国々を訪れたときに見たアパートは、日本のものとは異なりますが、急に日本から引っ越したとしてもあまり違和感のない雰囲気であった気がします。日本のこれまでの生活で、よく目にした映像や似たような雰囲気のものを実際に生活で経験しているからかもしれません。

今のモスクワでも現代的なアパートが立っており、現地に住む友人曰く、いまではロシア人でもそういったアパートを好む層が増えているようです。Youtubeでみる現代的なアパートは、現代の生活に適している、内装もシンプルなものが多い印象です。部屋の中を紹介するRoomTourビデオをYoutubeで見るのが好きですが、予算に制約があって、それでも部屋の中をオシャレにデザインしたい人はIKEAを好んで購入しているように感じます。

歴史的なアパートを好き好んで選ぶ人は徐々に少数派になってくるのでしょうか。確かに歴史があっても水回りや部屋の造り、古い電気設備など、古いアパートを好む理由はあまりないでしょう。

Архитектурные излишества

(辞書によれば意味は「建築の装飾過剰」。この名称を付けた背景は分かっていません)

https://www.youtube.com/channel/UCrBrH2HVtIA6-kk42E5m7yw

Youtubeで見つけたこのサイトはおすすめです。モスクワに住んでいて、ここは一体どんな住み心地なのだろうか、と建物を見上げては想っていた建物がまさに紹介されています。全てロシア語ですが、モスクワの街並みやアパート内部の様子、雰囲気がこちらにも伝わってくる、とても綺麗な映像が並んでいます。

例えばこんなアパート。日本では決して見ることができない外観と内部の雰囲気。そして窓から眺める風景。モスクワの中心部に関して言えば、赤の広場を中心に古い建造物が広がっている街並みの景観は一度は経験してみたいものです。

私は7年間のモスクワ生活のうち、3つのアパートを経験しましたが、どうしても仕事柄オフィスに近いところを選ばざるをえませんでした。その理由は不測の事態があるときにはすぐにオフィスに駆け付けられるように、生活の大半が仕事で占められていたためにオフィスへの移動を徒歩圏内にしたかったことです。モスクワの大渋滞は半端ないです。同じように渋滞がひどいと聞く東南アジアを経験しておらず比較できませんが、モスクワはあれだけ多くの車線があり、あれだけ大きな道があるにも関わらず、時間帯によってわずか1km程度を車で通過するのに1時間近くかかったこともありました。冬にもなると、オフィスへの通勤のために片道2時間もかかっている駐在員もいましたので車での移動がいかに恐ろしいものか想像していただけるのではないかなぁと。

きっと次にモスクワに住むことになればじっくりと考えてアパートを選ぶでしょう。最後に住んだアパートは、限られた選択肢の中から1930年に著名な建築家によって設計されたという由緒ある建造物を選び移り住みました。数か月前から物件情報を眺めて気になっていたのですが、しばらく経つと提示価額が下がったことをきっかけに紹介元にコンタクト。そこからスムーズに手続きも進み無事に決定です。建物はスターリン様式のようなもので(Wikipediaによれば、当時世界最大のビルとなる計画であったソビエト宮殿(スターリン死後に計画中止)の最終デザインが固まった年1933年からソビエト建築アカデミーが廃止された1955年の間に建てられた建物をスターリン様式というようです)天井は高く、外観と窓から眺める夕日は最高のものでした。違うアパートにゆけば、そこで見つける新たな最高の景観があるはずなので、終わりの無いテーマですね。オーナーの父親は日本に行ったことがあってとても日本が好きだ、というオーナー。アパート選びにはオーナーがどんな人かも非常に重要なポイントです。

今回紹介したYoutubeでは、モスクワ以外の町も紹介されていて、モスクワとは違う様子も楽しむことができます。そのうちのいくつかは私も休みを利用して出かけたことがあります。早朝にモスクワを列車で出発し2,3時間の距離にある町を散策して夜にはモスクワに戻ってくる。モスクワでの慌ただしい生活を離れて、ゆっくりとした時間が流れる違ったロシアを知ることもまた駐在していたあの日々の醍醐味でした。

モスクワで感じた不要物のリサイクルシステムの素晴らしさ / The great recycling system of unnecessary stuff that I felt in Moscow

日本に帰国して不便を感じることの中に、ゴミ収集日が決まっていること、そしてごみの分別ルールが厳密なことが挙げられます。ずっと日本で生まれ育ってきたので、それが当たり前のはずなので、それが当たり前と言われれば不便を感じないと思いますが、モスクワでの生活を経て戻ってくると、やっぱりこのシステムに不便を感じることはあります。
不要な生ごみやプラスチックごみを収集日まで自宅で管理し続けることは嫌なものです。缶詰の回収日の少なさや、可燃物の収集日を考えたうえで冷蔵庫の中身と相談する必要もありそうです。

ロシアでは、コロナウィルスの感染が始まってから不要な外出が禁止となり、外出が許可される理由の一つにゴミ捨てがありました。ゴミを毎日捨てる口実で外出しながら少し散歩もしつつ。

モスクワのゴミの処分は至ってシンプル。いらないものは何でもアパート近くにある収集場所のプラスチック箱に投げ込むだけ。電化製品でも何でもお構いなしに置いてゆきます。そんなロシアのごみ分別ルールは、違う問題があります。まったく分別ルールが整備されていない(現在は整えられつつある)、人々がそんなルールを守らない。なんでもかんでも大きなプラスチックのゴミ収集箱に放り投げる。人が処分する方法も豪快であれば、ゴミ収集車も豪快。

2019年1月より「ゴミ改革」と言われるごみ収集のルール変更があったようですが、生活している中で、大きく変わったことは感じませんでした。今思えば、通りに分別用のゴミ箱が設置されたり、ゴミ収集のプラスチックケースには分別ルールが記載され、生ごみとビン類を分けるなど、図でそれぞれのケースに入れるべきものが示されるなどの変化を感じました。


https://www.orix.co.jp/grp/move_on/entry/2019/08/09/100000

https://www.jetro.go.jp/biznews/2019/01/bcf822c7dfd0a11d.html

どんなに個人的に環境に配慮して分別しても、最後に収集される場所は一つの場所にいく。だから分別しても意味がない、なんていう冗談もよく聞くことがありました。私の見たロシアではまだまだゴミ改革はこれから…そんな印象が残っています。

今回お伝えしたいモスクワで見かけたリサイクルシステムの素晴らしさ。それは、不要なものをあえて見えるところに置いておく。そうすると、しばらく経つと誰かがそれを持ってゆく。お互いに助け合いの精神が働いているのかもしれません。廃棄する側もわざわざ処分業者をアレンジすることも必要ありません。また、夜遅くにはゴミをあさっている人が見られます。人々が処分した不要物を物色しているようです。丁寧に並べられた女性用の靴、不要となったと思われる洋服、そんなものが置いてあります。翌朝にはそれらが無くなっているのを見ると、きっと次にゴミを捨てに来た人か、夜中にゴミを漁っていた人か、誰かがもっていったのでしょう。私も引っ越しの際には、不要となった冬用のコート、洋服、靴といったものを見えやすいところに置いてきました。やっぱり翌日にはなくなっています。誰かに引き継がれて役立っているいいなぁ、そんな風に思っています。

水漏れ事件で階下の住民が早朝から押しかけてきた /Residents downstairs rushed to my room from early morning due to water leak

1930年に建築された建物が今でも十分住むに足る、という驚き。そして、内装は立派に装飾されているけれどもこうして水回りのパイプ類を目にすると、いかに建物が古く、修繕を重ねて今に至っているのだろうことが想像できます。

ついにロシアの洗礼 - アパート水漏れ。
モスクワで住んでいたアパートの建築は古く、1930年と聞いています。外見は立派な建築様式で天井も高い。しかし、中身はすっかりおんぼろです。そんなアパートでも修繕を繰り返しながら今も我々のために住居となってくれています。

何度か引っ越しを繰り返して3件目のアパートでしたが、この水漏れ事件が起こるまでの約2年間は何も問題なく過ごしてきました。

そして2020年2月8日(土)の朝7時。ドアのチャイムが鳴りました。眠くて無視していましたが止まることはなく。ドアの穴から外を覗くとご老人夫婦とおぼしき方が。ドアをあけると女性がご立腹の様子で、わめきながらずかずかと土足で私の部屋に入り、バスルームへと入ってゆきました。

どんなに私が悪いからと言っても、他人の家にことわりもなく勝手に入り込むのはどうかと思います。それはないでしょう、というのがぱっと頭に浮かんだ印象ですが怒りは最高潮に達しているようです。

「1月にも同じことがあったのよ。もうどうしてくれるの!?」

2020年の始め、私が日本へ帰国中に水漏れがあったようです。オーナーからメールが入っていて、水漏れがあったために部屋に入ったとの連絡があったことを思い出しました。

写真の通りすっかりわが部屋の水漏れが原因で侵食されている模様。それはないでしょう、というのは下の階の方のセリフかもしれません。思い返せば、金曜日の夜遅くに仕事から帰ってきた時、何かがポタポタと垂れる異常な雰囲気の音がしていたのですが、深夜で一週間の疲れも溜まっていて注意もせずに眠り込んでしまいました。翌朝になってこの女性の怒りはこれだったのか…と。

しばらくして修繕をする男性がやってきました。全体で1時間くらいだったでしょうか、無事に水の漏れも収まりました。アパートのオーナーは「1月のときに修理を担当したあの人が悪い。最後までちゃんと仕事をやらなかったに違いない」と。
怒り心頭の女性の旦那さんの会話を聞いていると、彼の奥さんはどうも裁判を始めることを考えている、という。けれでも、私はそこまでは考えていないから修繕にかかるコストを負担してくれればよいから、と。

私の思い込みで判断してはなりませんが、このような件で裁判を始めるケースはロシアの場合は決して不思議なことではないのかもしれません。私の友人も、全く同じようなケースで階下の人から訴えられ、弁護士を見つけて協議している、とのことでした。彼女はフルシチョフカと呼ばれる5階建ての古いアパートに住んでいて、いきなり古い水道管が破裂したとのこと。どうやら彼女の家の箇所が破裂したことで階下の家の家具に被害を与えてしまったのだとか。階下の人が怒っており、それなりの賠償をしなければいけないことになりそうだ、という。それでも堂々としていて、まあ仕方ないわ、と言っていました、なんともたくましい。

私の水漏れと言えば、保険適用をした結果無事に保険会社から補償されました。家は立派でも中身は古く、修繕をしながら長く使用してゆく。近隣住民との関係の大切さ。これはきっと日本と同じなのでしょうね。

モスクワでの勤務7年を振り返って / Looking back on experience of 7 years I spent for work

ただいま家で自宅隔離中。区役所から定期的に電話がかかってきます。「公共交通機関には乗らないでくださいね。」と念押しされます。

それにしても7年間のロシア、モスクワでの生活は想像以上に自分自身の生活スタイル、考え方に影響を与えているようです。近所のドン・キホーテに出かけてみました。日本のモノに溢れている様子と安売りしている食料たちを久々に見てワクワクしてしまいました。いまだに日本円をロシア・ルーブルに換算して価格が高い・安いを判断してしまいます。クレジットカードが使いづらく、現金払いの場所も多く不便も感じます。

ジョギングをしていると、小さな川(残念ながら人工のもの)で川のせせらぎの音を聞いてつい聞き入ってしまいました。モスクワ中心を優雅にゆっくりと流れていたモスクワ川。同じ「川」といってもこうも違うのですね。とにかく日本は暑い。「いやいや、まだ全然暑くないですよ。」と言われても湿度の高さも手伝ってからか、暑さを余計に感じます。体の疲れ、集中力の低さにつながっています。大丈夫。区役所から「コロナウイルスの検査結果は陰性でしたよ。」とお墨付きをもらっています。体調は一応万全です。

そんな日本に戻ってきて、ゆっくりとロシアで学んだこと、感じたこと、考えていることを綴ってゆこうと考えています。

感謝を示さないことも立派な感謝では /Not showing gratitude is also a fine gratitude

この月曜日に、計7年間勤務したモスクワを離れてロンドン経由で日本に帰国しました。モスクワ~東京間の直行便は7月末まで欠航。イギリスには多くのロシア人が住むということで彼ら向けアエロフロートがフライトをアレンジしたという。ロンドンからは日本航空で約11時間。半分も埋まっていなかったのでは、と思える機内では食事時間以外はマスク着用して羽田空港に降り立ちました。

日本航空でのサービス中で感じる素晴らしく、日本のおもてなしの美を表すと思うのですが、着陸近くなると「これから乗務員がご搭乗への感謝を表すために皆さまのもとでうかがいます。」と言って丁寧に挨拶をしてくださいます。以前に搭乗していたモスクワ~東京便でも同様のサービスがあったので、きっとこれはマニュアルにあるものなのだろうと推測します。

ヘッドフォンをして、本を読んで集中していた私。通路に乗務員が来ていることも気に留めずにいると、肩をたたかれました。なんだなんだ?と思うと「今日はご搭乗ありがとうございます。フライトはいかがでしたか?」と流ちょうな日本語を話す外国人の乗務員がそこにいました。「とてもよかったです、ありがとうございます。」とお伝えしましたが、私にとってはむしろ集中を邪魔されたことが不愉快でした。

感謝を示してもそれが果たして相手にとってありがたい感謝なのか、相手の集中を邪魔していないだろうか、相手の状態を邪魔せずに何も言わずに通り過ぎることも立派な感謝の表し方なのでは?と思った瞬間でした。

今振り返っても判断が大変難しいと思います。以前にはこのように声をかけられることはありませんでした。単に、今回は機内の乗客が大変少ないために一人一人に丁寧に声をかけてくださったのかもしれません。「なぜ私には声をかけなかったんだ?」というクレームが後からくるかもしれません。私のように、できる限りこちらの時間を遮ってもらいたくない、という客もいるでしょう。多くの航空会社が自分の国の特徴も考慮しながら特有のサービスを提供しようと切磋琢磨する中であらゆるタイプの機内サービスが生まれているのだと想像します。乗客を乗せて飛ぶ飛行機が始まったのは決して古くないはず、それと同時にスチュワーデスという女性に人気のある職業が生まれて、今では男性も普通に見られるようになってフライトアテンダントと呼ばれる現在。かつては、今普通にみられる機内サービスも大変ありがたく、飛行機に乗ることも憧れであったのかもしれませんが、今も同じようにサービスを提供することが本当に大切なことなのか、そして感謝を一方的に相手に伝えることが、果たして相手への本当の感謝なのだろうか、マニュアルに沿ったおもてなしの気持ちなど要らないなぁ…と思って飛行機を後にしました。

搭乗前には乗客に対して、ホテルで部屋の掃除を頼む・頼まないの選択肢があるように、搭乗前に「わたしにおもてなしは不要です!」「わたしにはぜひ日本式のおもてなしをお願いします!」のチェックマークシートを準備するのはいかがでしょうか?

私の意見としては、本当の感謝の気持ちを表すのって実はシンプルでは?と感じます。機械的にドリンクを順にサービスすることや食事を渡すことが多く見受けられるフライトアテンダントの皆さん。どれほど疲れる仕事か、想像ができます。それでも「今日も良い天気ですね。」子供と楽しそうにしている家族がいれば「かわいいお子さんですね。」外の風景をカメラでたくさん撮影している乗客がいれば「カメラがお好きなんですか?外の景色もきれいですよね。私がこれまで観てきた景色と比べても五本の指に入りますよ。」なんて言葉をかけられたら会話が弾みませんか?

とある週末のタクシードライバーとの会話 / Conversation with taxi drivers on weekends

コロナウイルスにより外出制限が課せられてからというもの、私用での遠出は週に2回までに制限。毎回、事前に電子パスをオンラインで取得してから出かけています。外出制限がある状況でも我が家の周りではお構いなしにジョギング、サイクリング、散歩をする人々がいる中、果たしてどれだけの人が電子パスを取得してから外出しているのだろうか、という疑念は晴れません。そんな私も、ジムが一時的にクローズされてしまった現在、ほぼ毎日ジョギングをして気晴らしと運動不足を解消するようにしています。

遠出の際にタクシーを利用すると毎回ドライバーに電子パスの有無を確認されてから搭乗開始。今の状況をどう捉えているのか?毎回ドライバーに話しかけて意見を聞いてみるのですが、それがまた興味深い。

ドライバー其の一:

「みんな、”渋滞をなくしてくれ(モスクワの日常生活における渋滞は日本の比ではない)。街に人が多すぎる、自分だけものにさせてくれ”っていう結果がこれだよ。言った通りに願いが叶っているよ。」(そういって、全く渋滞の無い、誰も歩いていない通りを指さした)…自分だけが外を歩いてよい、という状況は残念ながら叶っていないけれど、ほんとにそう。これほど日常の大通りからこれほど車が減った光景をみたことは記憶にないです。

ドライバー其の二:

「今のこの状況は神様が我々人間に与えている試練だよ。神を信じる人にはこの試練を乗り越える動機があってきっと大丈夫、この先によい未来が待っているという希望を持っているから。そうでない人にとってはただただ辛いだけだな。」(神様は人間を不公平なく愛しているはずで、なぜ人間に試練をわざわざ与えないといけないのでしょう?)

ドライバー其の三(珍しく女性ドライバーに):

「今の世の中、人間は自分たちが本来いるべき立場を超えてしまった。その罰が今の現状よ。人はますます自分のことだけ考えて悪くなっていっている。今、自分たちの間違いを認識して反省する時期にきているのだわ。お金なんてどれだけたくさんあっても幸せには関係ないの、衣食住が整っている。それで満足しないといけないわ。」(本当にその通りだと思います)

ドライバー其の四

「人生、自分は生きている、というその現実を楽しまないと。しばらく旅行に行ってたんだけど、そこで人生を楽しまないといけない、ということを学んだんだ。コロナウイルスで苦しくてもそれをどう捉えるかは人それぞれ。苦しい苦しいと言っていれば辛くなってくるけれども、例えば太陽があって緑豊かなこの自然の恵みを見てみたらハッピーじゃない?(今日は天気悪いで嫌になりますよね、という問いかけに)いや、また太陽がでることを喜べるんだからこの天気だって悪いもんじゃないよ」(まだ20代と思われる若い男性、こんなに明るい姿勢で生活していれば、こんなコロナウイルスの現実も大したことではなさそうですね。素晴らしい)

モスクワでの自宅隔離生活で考える世の中の不公平さ / Thinking about Unfairness in the world during quarantine and staying at home in Moscow

早朝。起きて家の周りを少し散歩しようと、住んでいるアパートの部屋を出て、エレベーターへ向かいます。到着を知らせる若干ヒステリックな甲高い音と共にその扉が開くとアルコールの匂いがプンプンしてくること、あります。明らかにお酒を飲んだ人が乗った後の匂いが閉じ込められていて、それが扉が開くと同時にぽわーっと開放されてゆくイメージ。家にいる時間も長くなり、お酒に溺れてしまう人もいるのではないかと。以前、まだコロナウイルスの蔓延が始まったばかりの頃に乗ったタクシーのドライバーが「こうなったらウォッカを飲むしかないなあ、ははは」と笑い飛ばしていたのを思い出します。あの頃はこれほどまでに長引くとは予想もしていませんでした。

毎日、体を動かすためにも、早朝にほんとにわずかですが家の周りを散歩し、晩にはその日と翌朝に必要な食料を買うために外出をして食料品店に出かけています。お店の前に佇む物乞いの人や、早朝や晩にゴミ箱をあさる人の数が気持ち増えた気がします。

以前私の友人が言っていました。「人の不公平はその生まれた家庭ですでに始まっている」と。生まれた家庭がどのような家庭であるかによって、既にその人はの人生はある程度決まってくるのだと。今、こうしてロシアに住んでいて、その言葉の正しさを感じています。這い上がることができない現実的に越えられないハードルが、恵まれた家庭に生まれてきた人との間に大きな差となって存在している。例えば、私の住むアパートオーナーのご家族はご両親のおかげでしょうか、中心部の立地のよい場所にご両親と、少なくとも2つのアパートを所有しています。そのうちの一つを私が借りています。きっと中心部から1時間ほど離れた場所であれば、この家賃で2か月は十分に暮らせます。社会的に成功している親がいるからといっても、その家庭内が崩壊していて、親子の関係がギクシャクしている家族、子供がゲームばかりして引きこもっている、高い学習塾に通っていても通うことに満足してその結果がついてこない子供、そんな家庭も見てきたので、社会的な成功=金銭的なゆとりがある ― に恵まれていることが常によい結果を生み出すわけではないようです。が、自分の将来に向けて投資ができる余裕の有無は大きな差だなぁ、と思うわけです。

私は本当に恵まれています。駐在員会社のお金で家賃を負担してもらっています、中心部に住んでいるのでかなりの良い値段ですが、その余った資金を自分への投資のために使用できるわけです。自宅隔離になってから、いくつか IT 機器を購入していますし、そこから恩恵と経験を得て、次はもっとこうすればよいだろう、そのためには何が必要だろうか、とさらに先を考えることができます。一方で、スタッフの給与からすれば、それよりもまずは必要な生活費に回そうと考えるかもしれません。

きっと人間の多様性というのは白人も黄色人種も黒人も、それぞれの肌の色、外見、文化などの比較できない違う価値観からなる美しさがあって、それが人間社会全体の美しさを生み出すはずなんでしょう。ところが、なぜだか人の欲が搾取を生み、不公平な世界を生み出し、結果的に肌の色による差別、住む地域での生活レベルの差といった不公平さは人間自ら作り出してしまったものだろうか、なんてことも感じます。砂漠は確かに美しいですし、アラビアンナイトの世界とかではラクダと砂漠は必須なのでしょうが、これほどまでに人が住めない不毛の土地が地上に必要なのか?と。

モスクワの平均給与は9万ルーブル(約13万円 13.05.2020時点)に満たない金額。この平均給与にしても感覚としては高いと思います。一般的に30歳を超えても10万ルーブル満たない給与の人は少なからずいる印象です。10万ルーブルいえば現時点の為替でいけばわずか14万6千円。それで一体自分の生活の野心的な将来を計画できるのか?自分の持ち家を購入できるのか?だからこそ夫婦共働きであったり、親親戚との強力な助け合いがあってこそ生活が成り立つと思います。だからこそとことん会社を利用して経験を蓄え、ビジネススキルを向上させて給与の高いところに転職できるよう目指しなさい、と言っていますが、それは各人の意思決定の問題であり、私は給与も最重要な点でありますが、それと同時にお金だけではない、この会社にいてよかった、会社に行きたい、と思えるような別の価値観をもっと充実させてゆきたいと思っています。といっても、とりわけ地方都市からモスクワに出てきた人は野心的な人が多いようです。モスクワではルームシェアをしていて、いつかは自分だけで住むアパートに住みたい、そう思うのは自然なこと。高い給与の提示を受けると転職してゆく人が一定数います。今も決して高くない給与で働いている地方から出てきたスタッフに尋ねると、親からの仕送りを生活費に回してモスクワの生活費の足しにしているとのことでした。

財政的にゆとりのある人は、余ったお金をより多くの自己投資に使う ― 多くの経験をし、多くのサービスを購入して評価ができる ― 余裕があり、その余裕を持っていない人々との差が広がる一方です。とてつもない財政的な余裕は必要なく、毎月の収入から少しでもそのような投資ができるようなゆとりがある、それだけでも十分だと思います。私は金銭的なゆとりを、おいしい食事ばかり考えることやブランド商品購入、立派な家具、使い切れない機能だらけの電化製品、最新のスマートフォンに費やす、そのような消費は浪費でしかないと考えているので、そのような、自分の将来の価値を増やしてくれるであろう投資に回すことは家計簿をつけてみればできるはずでしょうか。

今のコロナウイルスによる自宅隔離においては、家にインターネットと集中して勉強できる環境がある人もいれば、狭い部屋に複数の家族と住むことで自分の勉強スペースがなかったり、インターネットも自由に使うことができなかったり…明らかに各家庭の状況によって教育への影響も計り知れません。スタッフに「仕事の調子はどう?」と尋ねると、よくても通常の8割ぐらいの成果が出れば十分なくらいだと言っています、あるいははぐらかされてしまったり。 ―レスポンスはよいのでさぼっているわけではないと思っていますが ― 家では子供が騒ぎ仕事に集中がしづらい、アパートも決して広くない家庭が多いはず。その中に他の家族と暮らしていて彼らが会話していたり、テレビを見ていたり…そんな状況を考えると、8割くらいの生産性といわれても納得してしまいます。

世の中の不公正を是正するには一体何が何ができるのか?そんな逆境から這い上がってきた成功者が世の中に存在し、メディアにも取り上げられますが、その裏でどれだけ多くの人が泣いているか…そんな成功者は非常に稀な存在だと思います。普通、そんな苦しい生活が続いてしまうと幻滅的になります。そして、その現在から上がれない人が大勢いるのが当たり前ではないでしょうか。物乞いの人にお金をあげる、でもこの人の明日はどうなるのだろう?この人がそもそもこの状況に陥ってしまった経緯とここから一体どうして再び立ち上がる元気が出てくるのだろうか…?

おぎゃーっと生まれてきてからは、きっと誰しもが笑顔の赤ちゃんでいた時期があったはず。そんな時期がいつまでも長続きするような、そんな世界を ― たとえ一人一人の半径は小さいものですが - できることをしてゆく、それぐらいしかできることはないのかなぁ、との思いに暮れながら、今日も窓の外で日増しに成長している新緑を眺めながら家で過ごしています。

お金への接し方 / The way we treat money

この自宅隔離の間、プライベートで溜まっていることを整理し、自身の欠けている点を見直す良い機会となっています。

この週末から一層人の動きが少なくなり、車の量も減っています。通りをパトロールする警察車が目立つようになった気がします。通りを散歩している人やジョギングしている人も見かけますが、警察車両が自宅隔離をするように、とのアナウンスを大きな音量で流しています。04.04から罰金も科せられることが決まっています。お昼過ぎ、ゴミ捨て、買い物とジョギングをかけ合わせて外に出かけると、ゆっくりと後ろから警察車両が近づいてきて、こちらをじっと怖い顔をして通り過ぎていきました。実はアパートを出た時に警察車が止まっているのに遠目でみえたのでそちらのほうを見ずにしれっと違う方向に向けて歩き出したのですが、それが見つかったのでしょうか…。食料品を購入のためにお店へ行くと、店員はマスクに手袋。そして頭からヘルメットのようなものまで被ってレジ業務をしています。「日本人はなんであんなにもマスクをしているんだい?」なんて小馬鹿に」していたロシア人がこうもマスクをして歩いている姿を見ると今回の事の大きさを感じます。そして通りを歩く人の数はすっかり少なくなりました。

さて、お金への接し方について考えさせられるこの機会。
日本人は、お金の話をすると否定的な傾向がある、という話を聞くことがありますがお金に執着することと、無頓着でいること、その両方の危険なことを。
2015年の為替暴落時には、日々の仕事に追われて全く心に余裕もなかった私は、会社の資金繰りと為替の変動悪化の様子を常にチェックし続けていました。その一方で大切な私自身のRUB口座のことは全く手を付けておらず、その後当時のキャッシュは諸々と海外への旅行等で使用したため、結果的には40万円近くの給与を失ったことになります。ロシア人スタッフは、RUBからドルやユーロに定期的に変えて為替リスクを避けるように気を付けているスタッフがいます。為替の動きにも敏感です。

海外への旅行のために、格安でとれる半年以上先の航空券を買うためにチケットの価格に目を走らせている人がいます。

おそらく日本と一緒で、海外にでかけない人はRUBしか必要としないので、為替の動向に注意を払わないのでしょう。しかしながらモスクワのオフィスのロシア人スタッフは若い世代で、海外への旅行を楽しみとしており、彼らにとって為替問題は実質給与の減少を意味するので大問題です。

現在すっかり利用していないメールアドレスを整理していて気が付いたのですが、自動引き落としされるパソコンのセキュリティソフト費用を毎年支払い続けていたことに気が付きました。

一昨日は、近所のスーパーに出かけたとき、マイバッグを持参することを忘れてしまいました。袋の料金はわずか5RUB。10円にも満たないものです。それでも、日頃からマイバッグを持参しており、明らかに自分で避けることができたものに対してお金を払うこと、嫌なことです。

事前に自分で避けることができたはずなのに、自分の不手際で現金の引き落としに取られてしまう手数料。これも嫌なことです。

一方で、何年もログインしていなかったオンラインバンクの口座を見ると、知らない間に溜まっているお金。

  • 使用する複数のメールアドレスを目的別に集約し、定期的にチェックすること
  • 毎日家計簿をつけること>絶対に記録すること自体を込み入ったものにしないこと。とにかく続けることが重要。実は、こう書いている私自身、続いたためしがありません。この4月から始めたばかり。毎回購入の際には、本当に要るのか要らないのか、よく吟味したうえで購入しているつもりで、だからこそ結果的に使い方に問題はない、なんて思っていましたが、Excelで簡単に他の日常の記録と合わせて、毎日の出入金を記録しています。
  • 自分自身の持っている銀行口座の定期的な残高確認と出入金の確認をすること

こんな基本に改めて戻らなければ。そんなことを自宅隔離(на карантине)の第一週で感じています。

そして、このようにお金のことを知ると、今度は「あの時なんでこうしておかなかったのだろう、そうすれば〇〇〇円節約できたのに、なぜ長い外国生活で全くお金の運用をしなかったのだろう…。そうすれば今よりもあといくら資産が増えていただろうか。」といったマイナスの考えが浮かんできます。精神によくありません。

一般的に、駐在員として勤務している日系企業であれば、手当も考慮されているはずで、生活上何ら不自由する心配はありませんが、自分自身の仕事に集中するあまりに自分自身の資金状況の確認をないがしろにすることの危険。そして、お金のことを知るが故に生まれるマイナスの考え。その双方の中で上手なバランスを取ることの大切さと難しさ。お金への接し方について考える機会となりました。

スマートフォンのカメラが一層綺麗になりました、処理スピード0,1秒早くなりました、デザインが一層かっこよくなりました。そして周りの同僚も買っています。さあ君も!そんな宣伝文句や周りの動きに揺られて、「次のモデルを買わないと取り残されちゃう、クレジットは何か月分組んで買えば毎月の出費額も何とかなりそうだ…。」そうやってお金の地獄にはまってゆきます。

自分の持っている、あるもので足りた生活をすること。お金は増やすことが目的ではなくって、自分の生活に必要なお金を把握し、それに必要なお金のレベルを維持すること。背伸びはしない。現実をよく見ること。

それが何よりも一番の大切なお金への接し方ではないでしょうか?