1日1日一歩ずつ。それ以外に成長への秘策はなし / One step a day. No other secret to growth

「先のことを考えるのをやめたんだ。…大事なのは結局”今だ”。今この訓練がどうやったら最高のもんになるかだけを考えることにした」

宇宙兄弟のセリフから。宇宙兄弟、中年オヤジに元気を与えてくれるアニメ。曲もストーリーも大好きです。

モスクワ生活でお世話になっていた、恐らく20歳くらい年上でしょうか、ロシア人女性の友人と久しぶりにチャットでやり取りした時のこと。これまでにも時々ユーモアのある動画を共有してもらっています。

私「こんなに恵まれている日本だけど、ここにはここなりに自分たちの問題で喜びを簡単に失ってしまうことがある。元気をもらってありがとう。」

彼女「Ну…(んー)、それはどこでも一緒。ロシアについて言えば、問題は決して少なくないし。大切なことに時間を費やすこと — (自分にとって価値のある)趣味を持つこと — は問題のことをあまり考えすぎないようにするのに役立つわ。私たちは音楽が好きで劇場の演奏会に出かけたりしているのよ。」と。

思い込みかもしれませんが、趣味なんですか?と聞いたときに、パッと答えが返ってくる人が周りにそれほど多くない気もします。今年の年始に久しぶりに学生時代の友人と会話したときのこと。「ところで、週末は何をやってるの?」という彼からの質問。彼曰く、年を重ねるごとにこの質問にすぐにパッと答えられない傾向があるとか。こちらが何を行っているか答えたところ、「そうやって答えられる、それはつまり充実している証拠だ」ということでした。そうですね…確かに彼の言っていることは当たっている気がします。

先のことを考えずに一歩ずつ、その日にすべき仕事を終わらせる。仕事はいくらでも新しく降ってくるので、いくら時間を費やしてもきりがない。計画した今日の分を終えたら(もちろん、突然降ってくる仕事もありますので、計画通りにいかないことが多いことも少なくありません)、あとは自分のやりたいことも毎日継続してゆく。そんなコツコツとした積み重ねでしか将来の自分の成長はない、それ以外に方法が無いんじゃないかな、と実体験を踏まえて深く思います。

かつて、簿記の勉強をしていたときには、早朝、晩、そして週末はとにかく図書館で勉強。問題を解いた紙は自分の努力を見える化するために溜めておく、なんてことをしていましたが何度も落ちました。(努力してもなかなか結果が出ないものは、きっと自分には向いていないものなのかもしれない、というグサッとくる言葉をどこかで見聞きした記憶があります。振り返ってみると、間違っていると言えない要素もあります。でもそれは、もしかすると単に努力の仕方が誤っているからだったりするかもしれません。自分では気が付かないものの、他の人と会話していて、ふとした時に、あれっ?もしかして自分が当たり前に出来ていることって実はすごいことなのかもしれない、なんて気がつくこともきっとあるはず。)今度は勉強の仕方を変えて、勉強の時間を減らし、他に重要なことに時間を割くきつつも、残りの限られた時間の中で集中して努力した結果…ついに合格。不思議なもので、努力を続けるにしても意味のない努力をしていては自己満足で終わってしまう。ITツールを利用したスケジュール管理もどこかしら自己満足になってしまっていないか注意が必要だな、と思ったものです。そして、他のことにも目を向けて時間を確保することの大切さ。

最近見た面白いYoutubeの動画より。

長期記憶への定着方法のうちの一つである、Interleaving(学習の合間に全く別のことを勉強し再び覚えたい情報に戻る方法)。つまり、記憶を高めるには異なるものを行うことが役立つとか。一つのことをずっと行い続けるよりも、例えば、小休止を置いてちょっとだけギターを弾いてみたり。それでギターが上達するのであれば、頭の切り替えに役立ち、かつ友人たちに喜んでもらえる演奏ができる日も近い! — なんて素晴らしいことでしょう。

「ノートにそれだけ(そんなに沢山)メモを取っているけど、読み返さなかったら意味がないでしょ。」と(決して嫌味ではなく)ベテラン女性に言われた新人時代を思い出します。目に見える形でノートをため続けるのも一つですが、そこから何も学んでいないとすれば…きっと、ノートを取っていることの大きな効用の一つは、書きながら自分の心の中で物事を整理するプロセスなんだと思います。きっと手を動かして書いている過程の中に大きな意味があるのだろうと。脳みそ(論理的な思考)と心(感情)のバランスが、この書く行為を通して徐々に落ち着いてゆく — こうして書いているブロブもその一つ。あまり気が付かないものの、きっと何かのプラスがあるのだと思っています。何よりも、何かを書いていることは、時間が経つことを忘れてしまうくらい好きなことですから…。

言葉を正しく選ぶことの大切さ /правильно подбирать слова

このところ、モスクワに住んでいる、とても立派な息子さん二人を育てているロシア人のご主人と定期的に会話する機会があります。画面上に写る3人の様子が大変仲の良いものだったので、その秘訣を訪ねたところ、「いつもそう上手くいくもんじゃないよ。」と笑いながら話してくれました。といっても、人間関係で大切なこと、それは「言葉選びだ」ということでした。言葉は発してしまったら元に戻れない。発言する前に自分の言葉を選ぶ必要がある(”правильно подбирать слова”)、ということ。頭では分かっているけれど、自分自身よりもずっと人生経験を重ねてきた方の言葉にはずっしりとした重みを感じました。

Harvard Business Reviewの記事にこんなものがありました。

https://hbr.org/2021/06/words-and-phrases-to-avoid-in-a-difficult-conversation

Don’t assume your viewpoint is obvious(自分の見方がはっきりしていてクリアである、と思い込んではダメ)

そもそも、世の中には白か黒かはっきりしている状況はそれほど多くないし、どんなに自分では明白である、と思っていても、他の人たちは同じ物事を異なる仕方で見ていることは至って当然のこと。(確かにロシア人のベテラン人事コンサルの方に同じようなことを言われたことがあったなぁ…と当時を振り返って思い出します)

Don’t exaggerate(誇張して話してはダメ)

「あなたはいつも~」「あなたは決して~」(イライラしているとつい口から出てきてしまう言葉かもしれませんね)

Don’t tell others what they should do(”~すべき”と言ってはダメ)

IT会社を経営している女性経営者に言われたことで覚えているのは、「他人に対して絶対に”You should”という言葉を言うべきではない」、というもの。「他人の行動をこちらが決めつけることはだめだ。相手に行動を促す仕方で発言すべし」ということでしたが(そうはいっても、仕事上は上司の立場からそうする必要があることも事実ではあると思われますが)、この記事ともつながるものがあります。言語が異なるとはいえ、人間関係を良好にするために言葉を選ぶことがどれほど大切なことか。アメリカで勤務したことはありませんが、きっとあのような世界でも良い人間関係を他人と築けるひとは、きっと常に自分の発言する言葉選びに注意しているのだと思います。

Don’t blame others for your feelings(自分の気分を他人のせいにしてはダメ)

明らかに意図的な行為でない限り、誰だって「私がこんな気分になっているのはあなたのせいだ!」なんて言われて気分を害しない人はいないはずです。(自分自身を振り返ってみて、ロシア人の人事スタッフとの会話が紛糾してイライラしていた時の失敗があります。話し合いを終えてから、感情を抑えることができてたと思いましたが、「(会議室で仕事を続けたいので)一人にさせてくれ」と言うところ、「部屋から出ていけ」と悪意のある言葉がポロっと出てきてしまったことがありました。)

Don’t challenge someone’s character or integrity(相手のキャラクターやインテグリティを否定してはダメ)

これだけは決してしてはならないこと。かつて苦しんだ経験があります。あの感情はなんと表現してよいのか…同じことを他の人にしてはならない、と誓いました。

(”Integrity”は、簡単に訳すことができない難しい言葉です…)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jabes/26/0/26_article07/_pdf/-char/ja

Don’t say “It’s not personal”(”これは個人的なことではない”というのはダメ)

著者の言葉をそのまま借りると、「”これは個人的なことではないから”、とか、”自分のこととして受け取らないでください”、と誰かが言う時、それを発言する人は、(そのことが)相手にとって非常に個人的なものだと(無意識のうちに)理解して発言しています。」これもまた然り。

こうして、改めて考えてみると、世界中のどこでも真実は一つ。言葉の持つ力は恐ろしく、言葉一つで相手との関係をすぐに壊してしまう恐ろしい側面を持っている、ということ。遠回しに言うことを日本は好む、欧米社会でははっきりと相手に伝えることを好む、という潜在的な認識がどこか心の中にあるかもしれませんが、実際はそうでもないのかも。ロシアにいた7年間、相手の気分を害する可能性がある事柄は、直接言うことを避ける傾向を感じました。これは、ロシアで仕事をするまで持っていた自分の想像とのギャップであり、意外な発見でした。もう少し直接伝えることに気後れすることなく発言する人たちなのかな、と思っていたので…。

程度の差こそあれど、結局人は皆一緒なのかな、と思います。そして、年齢を重ねるごとに周りの人は、こちらの誤まりを指摘することなく、心の中で思うに留める…だからこそいつも人から何でも言ってもらえる人間でいられる謙虚さ、いつも自分で自分を理解し続ける習慣が大切なんだと、毎回の失敗から学んでいます。

言語の面白いところは、学べば学ぶほどに奥が深く、意味も分かると発言に慎重になってきて、結局言いたいことを言えなくなってしまうことがあるってことです。もしかしたら、知識をそこまでインプットしないほうがずばずばと発言できるのかもしれません。とはいえ、最後には言葉は相手の心とのコミュニケーションであり、相手のことを知りたいと思うからこそ言葉を学んでゆく。知れば知るほどに相手の気持ちが分かるようになってきて一層言葉を選ぶようになる。また、日本語で聞いたときには心に響かないものでも、ロシア語で短くもストレートに心に刺さるものがあることも。言葉の奥深さであると同時に、外国語学習の醍醐味の一つかもしれません。

Жизнь как по нотам / 美しいメロディを奏でる素敵な人生を(我流解釈)

昔の日記ノートを整理していると出てきた、当時切り抜いて保存していた新聞記事より。中身は読んでいなかったけれど、きっと、当時はそのタイトルと文章に散りばめられた音符との洒落た文章構成に魅了されてノートに保存していたんだろうと思います。

ロシア中部に位置する都市ウファにある、子供のための芸術学校の校長先生が寄稿した記事。2018年が成功裏に終わった実り豊かな年であったことを語っている記事で、その内容に特筆すべきものはないのですが、ドレミファソラシド(До, Ре, Ми, Фа, Соль, Ля, Си, До)が太字で記事の中に散りばめられています。何だか素敵な発想ですよね。そう思って、インターネットで検索してみると同じような発想で書かれた詩、動画などがヒットしましたので決して珍しくないようです。

Все успехи и достижения складываются из кропотливого, ежедневного труда учавщихся и их наставников. Случаются и победы, и маленькие неудачи. И это естественно – весь творчество, подобно черным и белым клавишам рояля, являет собой гармоничый аккорд.

すべての成功と成果は、生徒一人一人と先生たちが一生懸命に日々積み重ねてきた努力の賜物。うまくいったこともあれば、ちょっとした失敗もあります。 これは当然のこと。それらすべての”創作物”は、ピアノの黒鍵と白鍵のように調和のとれた和音となっています。

とか、

Пусть новый 2019 год подарит нам не меньше событий и эмоций, которые выстроятся в прекрасном звучании любимых ДО, РЕ, МИ, ФА, СОЛЬ, ЛЯ, СИ

新しい年、2019年が私たちのために、愛しくて美しい響きを奏でるドレミファソラシ…の音となって一層の出来事と熱い気持ちを与えてくれますように。

など。音楽と掛け合わせた文章表現が素敵だな、と思います。

ロシア語の辞書を見ると、”как по нотам”の意味は、Как по нотам (разг.) — без неожиданных затруднений; как было подготовлено. Всё прошло, как по нотам.(kartaslov.ruより)とあり、「予想外の困難もなく、すべてが前もって準備されていたかのよう」な意味となっていて、必ずしも音符の意味を持つнотаの意味とは関係がなさそうです。

とっても短いこの表現ですが、その意味するところは深いなぁ、と思いながら色々と調べていました。率直に言って、いまだに100%の理解に至っていないのですが、この記事について言えば、上記の意味と共に、ドレミファソラシドの美しい音から成る音楽とをかけ合わせて「子供たちが芸術学校で学んだことは、これからの人生においても大きな役割を果たし、素晴らしい人生を送ることに役立つに違いありません。」と言っているのかな、と理解しました。(面白い方法だな、と思った学習方法をYoutuberの方が言っていたのを思い出しますが、全く分からない言語が出てきたら、それをGoogleの検索ボックスに貼付し、検索結果を画像で表示させるそうです。そうすると、頭の中にイメージで入ってくるので、そのイメージを意識して脳に納得させることが有効だ、とのこと。)

(参考記事)

Детская школа искусств – не кружок
по интересам, а «увертюра» к взрослой жизни

ところで、Youtubeでこんな面白い動画を見つけました。音楽を演奏することがどれだけ脳にとって有益か、ということ。音楽を演奏している時、脳の中では花火が飛び交っているようです。外国語の勉強もボケ防止に役立つ、なんてことも聞いたことがあります。音楽、言語…、言葉も音楽の一種と思いますので、きっと両者の結びつきは深いものと信じています。ふと目を上げると、壁際では長いこと埃を被っているしまったギターが部屋の飾りと化しています。今年こそは、と憧れのジャズギターを練習しようと決意して、時は既に3月…。

以下の動画は、ユーモア溢れるロシアの先生による”Жизнь как по нотам”