モスクワのアパートのルームツアー / Как живут другие

モスクワでアパートメントを借りる時には家具付きのアパートに入り、数限られた候補の中から間取りや、気に入った家具があるのか、最低限これを、あれを足してくれないかと交渉して追加してもらったり。自分好みにぴったりの物件に当たることは少ないのかもしれませんが着任してから1~2か月の間に決めてアパートに入居することになるのが一般的かと思われます。駐在している間に計3つのアパートに住んだ経験からすると、オーナーによっては日常生活の中で発生するトラブル対応が異なりますので生活のしやすさも変わってきますし、隣人は選べない。集合住宅ならではの難しさも感じました。きっとこれはどの国に行っても同じことかもしれません。

私がモスクワにいた時には日系企業でアパートメントを紹介、契約をサポートしてくれる仲介業者がいて日本語で対応するサービスを展開していました。ロシアにも同様の企業がいますし、インターネット上でアパートメントを探すのも非常に容易となっています。日系企業のサービスには残念ながら満足できず(アパートの契約延長時期が過ぎてしばらく経ってから「そろそろ契約更新の時期ですがサポート必要であればご連絡ください。」との手紙。こちらはすでに直接オーナーと連絡して契約更新済みなんだけど…。別の時には駐在員アパートを契約解除する際、契約書に明記されているにも関わらずデポジットの返却に一向に応じないオーナーとトラブルが生じました。期待していたサポートもいただくことができず、結局自らオーナーとやり取りすることに…。ドイツにいるというので、きちんと時差も考えて早朝を避けて電話したつもりが「こっちは朝の何時だと思っているんだ!いい加減にしろ!」と怒鳴れたことも思い出されます。こっちだってお金を返してくれと言ってるんだ、それだけだ、ちゃんと契約書に記載があるじゃないか!と言い返してみたり。ドキドキしながらも度胸試しの良い訓練となりました。)、結果的にアパートメントを探すのは、可能であれば自分で直接行い(どんな物件があるのだろう、と楽しみながら行うのが重要です)、会社スタッフのサポートを得ながら契約を進める。これが一番満足のゆく、効率的な方法であったな、と感じています。

モスクワに住んでいてのトラブルの例としては、以下のような出来事がありました。

すでに眠りにつこうとしてベッドに横になっていた23時過ぎ。いきなり上の階から部屋の中でバンドの練習か?!、と思われる音が。明らかにマイクを通した女性のボーカルの歌が聞こえてくる。しばらくすると別の隣人と思われる女性の怒り狂った声。どう考えてもこの時間にこのボリュームで遠慮なく…それは無いよな、と。ロシア人の友人宅に遊びに行った時には、上の隣人が夜中に大音量で音楽をかけていて、歌詞もとても子供に聞かせたくないようなものだったと。ということで数回警察を呼んだことがある、と言ってました。その家族はモスクワ生活にうんざりの様子で今ではすでに別の国に引っ越しましたが、同じロシア人と言ってもモスクワに憧れてやってくる者もいれば去る者もいる。モスクワに対する反応は様々です。引っ越した2件目のアパートメントでは部屋に入るには、まず隣人との共通の扉があり、それを抜けると左右にそれぞれの住人が住む部屋への扉がありました。お隣のおばあちゃんは、初めての挨拶で緑茶を渡すと大変喜んでくれて、いきなり自分の部屋の中をくまなく案内して見せてくれました。「ここはキッチン、こっちはリビング。いつもここの椅子に座ってゆったりしているのよ…」どんな会話があったか具体的には忘れてしまいましたが、ロシアではよく見かけましたが、冷蔵庫には旅行先の街で購入した(あるいはお土産でもらったであろう)マグネット、所狭しと並んでいるモノの数と少し匂うキッチン。そんなロシアの庶民的なといっていいのでしょうか、そんな生活を垣間見たものでした。その後はすっかり顔を合わせることもなく1,2年後だったか過ぎました。とある日、友人を連れて部屋に戻ると、いきなり「(共有の入り口の扉を指して)ドアが壊れた、どうしてくれるの、あんたがやったに違いない!どうしてくれるんだ!」といったすごい剣幕で罵倒されました。かつてニコニコして部屋の中を見せてくれたおばあちゃんとは思えないくらいに怒り狂った様子です。友人が「まあまあ落ち着いてください。」といって何とかなだめていましたが、こちらもいきなり言いがかりをつけられると怒りたくもなります。「気にしちゃダメだ、こういうのはどこにでもいるから落ち着け」と。私たちはその場をうまく切り抜けましたが、その次の更新時には次のアパートに出ることにした一つのきっかけともなりました。

新たな仕事に不慣れな中、同時並行でアパートを探すことは決して容易なことではありませんが、せっかくのロシア生活。可能であれば色々な物件をチェックしてみることはモスクワのアパート事情を知る上でも貴重な経験となるに違いありません。

私の勝手な見解ですが、街中で綺麗な恰好をしている男性、女性、スタイルも良いので普通に見てもとても素敵に見えますが、彼らの一体どれだけの人たちが本当に裕福に生活しているのかはいつも疑問に思っていました。劇場で綺麗に着飾った様子の人たちを見ても、その大半は家に帰ると貧しい部類の生活をしている人が多いのではないかと、そう思ってなりません。私も付き合っているロシア人の大半は決して裕福ではなく、仕事もない、という人も少なからずいましたが、それでもたくましく生きている姿が印象に残っています。むしろ裕福に生活している不自由のない日本人の生活よりもずっと彼らの毎日の生活がたくましく見えることもありました。

以下は時々チェックしているロシアのルームツアーのYoutubeチャンネル。

この動画は一例です。庶民的な内容でやり取りが面白くて見入ってしまう。なんだか微笑ましいです。限られた予算の中でどれだけ自分好みのスタイルに整えたかを伺えます。

一方、以下のYoutubeチャンネルはエレガントな様子。ここまでお金を出せる人は少ないに違いありません。果たしてこんなアパートメントを購入するにはどれだけの収入が必要なのか、どれだけのローンを組む必要があるのだろうか…限られた人に許された選択肢ではないかと想像しながら眺めています。

このチャンネルオーナーの夫婦のルームツアーの様子。とても素敵なアパートメントの様子が紹介されています。

駐車場に車を停める際に分かる、自分の権利と適度な人間関係 / Parking your car in the parking lot can tell you having the good balance between own rights and good relationships with others

小さな会社になればなるほど、そこで働く人たちの人間関係は時として辛いものとなることはご想像の通りです。駐在員であれば、小さな会社の中でさらに小さな小さな日本人社会という囲いの中で生きています。駐在してから初めての本社出張の際には、本社で子会社を管轄する部長に個別に呼ばれ、「人間関係は大丈夫?社長とはうまくいっている?いつも本社に出張する駐在員に必ずこの点を確認しているんだ」と。上手くゆかずに精神的に辛い思いをしてしまう人もいるようでした。幸いにも私は人間関係には恵まれており、また、営業系の駐在員が多い中で管理部門の責任を持つ立場である、という点で日本人の囲いから外れて自由に仕事ができていた気がします。日本人だからこその悩みを語り合い、耳を傾ける場も大切と思いますが、同じ人間といつも一緒に語っていても得るものは限られます。同じ日本人といっても適度に付き合いのバランスを取ることは大切だと思います、不要と思われる付き合いは断っていました。日本の階層社会で生きる会社員としてそれが正解なのかは分かりませんが…。自分の気持ちに正直でいる。それが心を病まない最善の方法だと信じています。

さて、ロシア人スタッフも狭いコミュニティの中で働いています。きっと、会社の雰囲気に合わない人間は自然に会社を離れていくからだと思いますが、社内で働いているロシア人スタッフはそれぞれに自分の居場所を見つけていたようです。毎回新しいスタッフが入社してくると、どのように既存の仲間と知り合い、自分の居場所を見つけてゆくのか興味深く観察していましたが、人それぞれ。一人でいることを好むスタッフはランチを社内の休憩スペースで取ったり、外に食べに行ったり。昼食の時間はフレキシブルでしたので、仲の良いスタッフ同士でランチを取る場合には時間を決めて皆でランチを楽しく取っていたり。朝から「今日はデリバリーのランチを食べよう!」といって「私は何を注文しようかなぁ」と仕事中に盛り上がっていたり。「(スタッフ共有の)冷蔵庫に入れていた、私のものを誰か勝手に取ったでしょ!ひどい!」なんて怒り心頭のメールが社内全員宛てに飛んできたこともありましたが…。小さな会社での人間社会を観察することも良い勉強となりました。

狭い世界での上手な人間関係を築くにはどうすればよいのか?駐車場で車を停める時、そのヒントがあった気がしました。私の駐車スペースは両側を別の住人の車に挟まれています。そのスペースに車を停める時、お隣の車がやたらとこちらのスペースに寄っていたり、別の日には離れていたり。お互いに白線の内側が自分のスペースなのでその空間をどう使うかは自由です。しかし、もしこちらと相手の車のスペースが白線を境に近づきすぎていればお互いに心地よいものではありません。車を乗り降りする時には窮屈になり、相手の車にドアをぶつけないかと神経を使います。そんな時には白線から離して車を停める。相手の車が今日は白線から離れていればこちらは白線に近づけて停めてもOK。線の中が自分の権利。でも、その日によって相手がこちらに近づきすぎている時もあればそうでないときも。そんな時には相手との距離感によってその白線の間の自分の立ち位置を調整する。人それぞれが白線の内側をどう利用するかは自分の権利であり、自由である。相手がどうであろうと関係ない。そう言ってしまうと、それは正論ですが、小さな人間社会で生きてゆくにはどこかで行き詰まってしまう気がします。権利ばかり主張してしまうと相手が車に乗る時に苦労する。自分が先に停めた場合、きっと相手も自分の停めている距離に合わせて調整してくれているかもしれません。

全く止まっていない時には逆にどうしよう、なんて思ってしまうことだってあります。基準がないから自分の権利を存分に利用することができる反面、合わせるところが無いから逆にそれに戸惑いを感じることも。人間は必ずしも完全な自由があるよりも、他人との関係から自分の在り方を探るほうが容易なのかもしれません。

こんなことを車を停める中で感じたものでした。