1円を稼ぐことの難しさが分かるときっと行動が変わる / If you find it difficult to earn 1 yen, your behavior will surely change.

モスクワの路上で演奏している人のすごさ。それしか収入の手段がないからかもしれないけれど、少しでも行動することへの尊敬。演奏のレベルは別として、できる限りお金を置くようにしていました。””Спасибо!(ありがとう)”と笑顔と共に返してくれる言葉に、こちらも嬉しくなってきます。

ロシアに駐在する前にはお金のことをほとんど考えていませんでした。自分のお金の管理もしていませんでしたし、投資活動もほとんど行っておらず、現在までの日経平均株価の推移を見ると、もし日本にいたらどれだけ資産を増やせたのだろう、と考えてしまうことも。過去のチャート推移を観察できる今だからこそ、そう言えるのかもしれませんが。

会社で聞く「これからこのビジネスでマネタイズしてゆきたい」っていう言葉は、本当にお金を稼いだことがない人が容易に使うべき言葉ではないのでは、と思う。これは私の実感ですが、定期的にお金が振り込まれるサラリーマンである自分は、1円の価値の重要性を心から理解できていなかったからこそ、お金に対する理解、認識をきちんと持たなければいけないと痛く感じるようになりました。(と言っても、なかなか自分で稼ぐことを経験していないサラリーマンは、会社のブランドを利用してお金を回してゆくビジネスを経験できるチャンスがある点では恵まれており、損益は仮に赤字としても、収入を得る、という意味では実のところマネタイズは容易なのかもしれません)

先日、初めて約200円の収入を受領しました。このブログを購読してくださった方が、このブログ内で私が紹介した商品をリンク経由で購入してくださったからです。本当にありがたく、感謝の気持ちです。このお金は — 自分のビジネスとは言えるものではありませんが — 少なくとも自分で何かをして、それによってお金の動きが生まれて収入が発生した、というプロセスを通して得た初めての収入でした。サラリーマンである自分自身にはこれまで一度も経験のないことでした。今、お金を得るために路上でパフォーマンスを始める勇気がありませんが、今の自分にできることに挑戦してゆくことから得られる何かがあるのだろうなと思います。

今は駐在生活の頃よりもずっと自分のための時間に費やせる時間が増えたこともあって、以前には考えなかったことにも目を向けるようになりました。自分の仕事に打ち込むことは大切ですが、ふとした時にそれによって失っていた多くのものに気づかされることもあります。お金に対する知識もその一つ。どれだけ自分自身に金融知識が無いか、給与明細に載っている税金の計算ロジックを理解できていないか、自分の貯蓄が増えているとしても価値は相対的に減っていたのかなどを考えさせられます。投資と投機の違い、サラリーマンにとっては投資信託が良い選択肢であろうこと、老後2000万円問題という言葉を心配するよりも、まずは自分自身を知ることのほうがずっと重要であることなど、インターネット上に多くの教えが載っているので読んでみたり、Youtubeを車の運転をしながら聴いてみたり。「日興フロッギー」というチャンネルに載っていたセミナー収録をしたシリーズ(Session1~4)は、それぞれの専門家によって、大切なポイントが凝縮されたよい情報だなぁ、と感じています。

資産を増やす、という点ではテクニックを学習することも大切ですが、何よりも原則(具体的には、自分自身を知ること、経済や金融の仕組みを学ぶこと。そう言っている私のすぐ横には、全く読んでいなかった本が置いてあり、本棚から引っ張り出して読んでいるところです…)を理解することがずっと重要だと考えています。

もし全く自分の資産管理や資産運用を行っておらずこれから始めよう、という方にとってはお勧めしたい内容です。これは仕事もそうですし(マニュアル通りに行うことは大切ですが、この業務の目的は何かを理解すること)、読んだほうが良い本についても同じだと思います(最新のビジネス書やハウツー本から学べることも多くありますが、古典を読んでもっと深い部分を考察するほうがずっと有益だと思っています)

身の回りには、年齢を重ねてきて自分のポジションの限界を知り、給与が伸びないことに少なからず不安や不満を抱いている人もいると思います。それでいて、家計簿をつけずに自分の出費の現状を把握していない方、あまりにも高額の携帯電話料金の契約をしていてもそのままにしていたり、出社すると一日に何本もコーヒーやジュースを購入したり…。そうした一つ一つの行動にその人のお金に対する考え方が表れているのだろうと思うと人間観察が面白くなるかもしれません。

人事部が研修内容を決めて提供すべき、という前提への違和感 / Feeling of strangeness with fixed thinking that the Human Resources Department should decide and provide training content for employee

ロシアの小さな子会社にいても、日本の大企業にいても感じること。それは自分のスキルアップを無意識か意識してか分からないけれども他人任せにしがちな人が多いということ。

「会社は私たちをどんな風に成長させたいのかが分からない。」「会社は人材育成の方針を定めてそれに沿って私たちに必要なトレーニングを提供すべきだ。」そんな声をスタッフから受けていました。まったくその通りだと思います。一方で、よくよく考えてみると、本当にそれが正しいのだろうか?とも感じていました。残念ながら、モスクワで勤めていた会社の人事部はまだまだ発展段階で、会社が最低限提供すべきトレーニングの内容を検討し、制度として整備して試行錯誤しながら進めている段階でしたので、声を大にして上記の意見に反発することはできませんでした。

会社が小規模であれば、スタッフの教育を考えるよりも日本人のトップがいて、その下で家族的な雰囲気を醸し出しながら仲良く日々の仕事を回してゆく。そのような規模の会社もまだ多い印象でしたので、人材教育というものについて深く考える必要がある日系企業も少ないのかもしれません。私の知るところでは、とある会社はアウトソース会社を利用して社員向けの専用サイトを作成し、従業員は年間決められた予算内で用意された訓練を自分で選択できる制度であったり、ロシア企業では、全従業員は週に1時間を必ず自分のスキルアップのための時間に充てることが定められている会社もありました。1年間=52週=52時間は必ず何らかの訓練に費やすこととなっていました。人材育成用の専門部署があり、ちょっとした図書室もあれば、従業員の相談を受けられるような部屋が用意されていました。自分が教育を受けるだけではなく、その1時間を他の社員のためにノウハウを教える講習会を自ら設定することもできます。それによって自分自身の知識を整理して資料を作成し、人前でプレゼンするスキルの訓練となるだけでなく、参加者も同じ社内のスタッフから学習できる。社内人材を活用した良い人材育成制度だなぁ、と感じていました。内容によって得点もつくようで、きっとそのポイント数が評価や昇進の指標に利用されるのかもしれません。

さて、人事部は人に関しての専門家である一方、所詮は一つの部門です。何百人、何千人といる従業員のためにできることは限られています。増して、企業の人事部の皆が従業員全体のことを考えて人材教育を熱心に推し進める人だらけか、というと、きっとそんなことはないはずです。会社全体の必要不可欠な人材育成方針を定めるものの、各人の必要とするスキルアップを深く理解して探し出すことには限界があります、たとえアウトソースの専門家も利用した上でも。これは大小問わずにどの企業についても言えるのではないでしょうか。

上述のスタッフからのコメントについては、最低限のことすら提供できていなかった私たち人事スタッフの責任もあることは否定できませんが、果たして個人でも必要と思う訓練を自ら探して提案していただろうか、と振り返ると疑問です。また、スタッフへのアンケートを取ると要望として挙がってきた訓練内容は最低限の英語スキルの向上、エクセル操作方法の訓練といったもの。そういった内容を会社から提供されることを待っている必要があるのか?自分の業務上必要なことはその場で学び、業務の中で実際に試し、失敗し、修正して学習することで自然と身につくものでしょう…と思う自分がいるのも否定できません。

また、あなたの人生でしょ、自分の成長を考えているのであれば自分の興味のあることを自ら見つけてきて、それを会社の負担でできないのか交渉してみるなどのやり取りができるんじゃないのかな?と。こちらからお願いすると彼らも調べて持ってきます。そういったやり取りをする中でスタッフ自らの力も借りた人材育成制度を皆で作り上げてゆく、そんな形が理想なのかもしれません。

健全なのは各人が自分の成長のために自ら努力してそれを会社がサポートすること。本来、会社はスタッフの成長を引っ張る義務は無いはず。従業員のことを「人財」と表現することは私が新入社員の時代から研修でも、他社のウェブサイトを見ていても目にする言葉ですが、突き詰めてゆくと自分の人生、自分の成長、自分の将来は結局自分で責任を持つしかない。会社は決して期待するほどに自分の必要のすべてをカバーしてくれるわけではないのだから。

これは真実だ、と経験から確信していることは、人は本当に必要だと自分で納得しない限りどんなに学習しても習得できないということ。習得できても期待するほどには成果が出ない。しかし、もし本人がそのスキルを必要だと心から認識するとその成果は莫大なものとなる。言い換えると、会社がどんなに体系的な研修を提供しても多くの人にとっては意味の無いものであって、人事部としてやるべきことをやりました、という事実を積み重ねているだけに終わってしまうのかもしれません。個々の人の心の奥底にある引っかかりをいかに汲み出すか、これは本当に難しいことだと実感しています。

各人が気づいていないのであれば、各人の必要を上司が汲み取り、上司がその必要を人事部にフィードバックをする。と同時にスタッフ個人でも自分に必要だと思う研修内容を調査し、人事部に共有する。人事部は(組織である以上は各人の言う要望をすべて受け入れることは難しいために)一定のルールの中でそのスタッフに研修参加の機会を提供する。人事部が主体となるのではなくて、主体的な人たちを陰で支える。本来あるべき人財育成はきっとそんなスタイルなんだろうな、と思っています。

身近なところで人事業務に携わっている同僚からは「会社の教育制度に不平不満を述べる人に見られる傾向は、会社には色々な制度が用意されているにも関わらずそれらを調べずに、”人事部は何もしてくれない”と受動的な人が多い印象だ。」と聞きました。印象的な言葉です。

今の世の中、待っていても情報が入ってくる世の中、会社でも何となく仕事が回っている世界だとすると、いつの間にか受動的な人を世の中は創り上げてしまっているのでしょうか。人材育成は本当に本当に奥の深い仕事です。