(ロシア人 + 日本人)/ 2 = 完璧? / (Russian + Japanese) / 2 = Perfect?

最近、ベラルーシの友人とZoomで定期的に会話しています。首都ミンスクから離れた地方都市に住んでいることもあってか、インターネットが不安定なこともあるようですが、今起こっているベラルーシでの現政権に対する抗議行動の喧騒からは離れて、比較的静かな生活を送ることができているのだとか。

ロシアにいて尋ねられる質問の一つに、「中国人、韓国人、日本人の見分けがつくか?」というものがありました。我々日本人が、ロシア人、ベラルーシ人、ウクライナ人の見分けがつくのか?という質問をロシア人にするのと同じかもしれません。外見が似てはいても、国民性が異なるというのは両者で共通するテーマと思います。

ベラルーシ人の彼に言わせると、ベラルーシの人はロシア人よりもおとなしく、直接的な物言いを避ける傾向にあるようです。Ты догадайся о чем я думаю. (こっちがどう思っているか分かってくれよ。)なんてよく言ったりする。相手に言いたいことを直接言わずに、でもこちらの思っていることを分かってほしいために遠回しに言うことがある。ロシア人とベラルーシ人の中間がベストだね、ということでした。これはあくまで個人の意見であるため、これでもって全国民性の定義はできませんので真実は分かりません。ただ、複数の人から同じことを聞くので、決して個人的な思い込みではなさそうです。Youtubeでは綺麗に日本語を操るネイティブの方々が語る様々な動画があるので、きっとそういったネイティブの方の意見も十分な説得力があると思います。私自身、ロシア人と日本人の性格を足して2で割ったら、きっと良いバランスになるだろうな、と思っています。

その友人の妹がドイツに行き、帰国して言ったことは「ドイツは本当に素晴らしい国だ。よく整備された国。けれども、人々は今の経済が悪くなることを恐れている、仕事を失ってしまわないか怖がっている」と。恐らく日本でも同じように大なり小なり同じような認識を持っているのではないでしょうか。私自身、帰国して客観的に自分の生活環境を見て特に感じるのは、今の安定したやり方、環境を守ろうという意識が強いこと。今の状態でも課題はあるけれども、でも大きな問題ではないはず、そんな雰囲気かもしれません。変化、というものに対してなかなか良いイメージがない。きっと日本がというよりも、どの国でも変化というものには敏感でしょうか。とりわけ、「日本は安定していてすごい。」とロシアの人の多くが訴える日本の”良さ”。その安定さを否定的に見ることはよくないのかもしれません。どうしてもその危険性ばかりに目をやってしまうのですが…。

今の状況を問題視しないとすれば、きっと、それはその人の環境がそれだけ整備されているからなのかもしれません。やっぱり日本はすごい。たまにおかしな光景を目にしてショックを覚えることもありますが — つい最近、朝のマクドナルドで座っていたら、注文をしているおばあちゃんの声が向こうから聞こえていましたが、突然声を張り上げて、「こ・こ・で・食・べ・て・ゆ・く・の。私はいつもそうなの!」しばらく沈黙のあと、「あなた今笑ったわね!見えないところで笑うならまだしも、人の前で笑うなんておかしいじゃないの!なぜ笑ったの!」と。その後も冷静に対応している店員とのやり取りの後、そのおばあちゃんのところに店員が注文品を持ってくると、「この400円泥棒!」と捨て台詞を吐き捨てるように浴びせていました。何があったかよく分からないのですが朝から強烈…。赤信号でも関係なくゆっくりと横断歩道を渡るおじいちゃん。それをじれったそうに待つ青信号側のドライバー。高齢化社会の日本は恐ろしい時代に突入してゆくものだと、そんな断片を感じました。 — これだけの経済大国を作り上げた日本。一方で、同じ時間に世界の別の場所で起こっていることとのギャップに少々戸惑いを覚えます。静かに人々が暮らしているように思えた、あののどかな雰囲気のベラルーシで今起こっていること、ロシアでも反プーチンの代表的な人物であるナヴァリニィ氏の呼びかけた反政府活動により各地で大きな暴動が起き(モスクワに駐在している人曰く、デモが起こっているのは局地的なものであり、その場所以外は落ち着いているという)、ナヴァリニィ氏の組織に所属してこの反政府活動を扇動したとして知り合いの息子さんは現在自宅軟禁状況だという。友人の母親はコロナウィルスで亡くなり、お世話になっていたご夫婦や友人の奥さんは共にコロナウィルスで重症となり救急治療室に入っていた、身近なところでもこんな様子を耳にしています。

ロシアはこれまでも、今も、きっと将来も安定、という時代が来るとはとても想像ができませんし、経済的にも家族、親戚同士で助け合わないと生活が難しい状況。だからこそ、今の時代においては逆に強いのかもしれません。元々安定した土壌がない中で、なんとか日々の生活をやり繰りしてゆかなければならず、政府にも頼れず、信じれるのは自分のみ。そんな環境にいれば、これからますます不透明さを増すであろう世界においてもショックも少なく立ち向かえるのかもしれません。これまでは決まったことを一生懸命にやっていれば、会社も成長し、自分の生活が向上し、国も成長してゆくことを実感できたはずが、これからはきっと自ら変化してゆかなければ取り残されてしまう。専門家の言うことも果たしてどこまで信じてよいのかが分からない。自分で考えながら生きてゆくしかない。日本は(世界全体が?)きっとこうなってゆくに違いない。少なくともそんな土壌がロシアには備わっている。その中でたくましく生きている人たちから自分自身も刺激を受けて、自らの環境でできる変化を生み出したいな、とそんな風に友人との会話を通して考える機会となりました。