EACは難しい。その一言に尽きます / EAC is difficult. That’s just one word.

海外で生産した商品をロシア国内に輸入して販売する場合、各商品ごとに定めている技術規則をパスした商品のみ輸入が可能であり、認証されたことを証明するマークとしてEACがあります。このEACは非常に難しい。その一言に尽きます。

ルールは昔からありますが、かつては、ロシアに輸入する商品にあたって必要とされているはずのサンプル品の輸入、試験といったものが徹底されておらず、申請書面だけで認証を受領することもできて無事にEACマークの取得ができた時代もある、と聞きます。今ではどの認証機関でも本来の規定に沿ってチェックするようになった、規制が厳しくなったというよりも、本来あるべき状況にようやくロシアが追いついてきた、とも言えるのかもしれません。

規制の適用範囲が異なる商品群に広がっており、認証対への負担はなかなか実務担当者以外の人には分かりづらい、計り知れないものがあります。認証の専門業者に問い合わせをしても明確な答えが返ってこないことも。専門であるはずの彼らですら、対応すべきことが新しいために前例がなく分からない、あるいは憶測で回答を出すしかない様子。ビジネスを中心に取り扱うロシアの新聞を読んでいても定期的に話題として挙がっていたことを覚えています。「業界団体は当局への規制適用期限の延期を要望している」というくだりで終わっている記事もありました。実際にEACの業務をロシア人スタッフとひたすら行っていた日々を振り返ると、その単調な言葉も「今の状況ではとてもじゃないけど有効期限までに間に合わせることは無理だ!勘弁してくれ!」という、その業界の担当者一人ひとりの叫びが紙面から伝わってきたような、そんな気がしました。

モスクワにはジャパンクラブという法人や個人が会員となって形成されている商工会議所があり、そのメンバーが集まってEACに関する問題を議論する会合が設けられることがありました。日本を代表する企業のモスクワ子会社に勤めるロシア人スタッフたちが集まり、情報交換や、各社からの要望を集めてロシア当局へ伝える、そんな場がありました。私自身の感想としては、EACについて日系企業だけで議論しても、情報の中身が乏しくなりがちで、どうしても有益な議論にならないこともある、そんな印象を持ちました。

欧米系の企業からも幅広く情報収集することが効果的

欧米系の企業が集まっている欧州ビジネス協会(通称AEB)という商工会議所が存在します。この協会も利用して会員である欧米系や韓国系企業との情報交換をすることはお勧めです。

欧米系の会社は日系企業よりも長くロシアのビジネスに関わってきた歴史があると思います。それだけロシアにある子会社の熟練度も違いますし、現地のロシア人マネジャーにも経験のある人々が多いのではないでしょうか。そういった観点で見ると、欧米系の企業と情報交換をすることにデメリットはないと思っています。Working groupが設けられており、異なったテーマで協会のメンバー企業たちがグループを作って定期的に会合を持って情報交換や議論をする場が設けられていました。EACのテーマでは、著名な欧米系企業や韓国系企業のベテランたちが集まり、EACの分野で長い経験を持っていながらにしても、あーでもない、こーでもない、いやきっとこうに違いない、これは質問を当局に投げてみよう、一度ドラフトを書くのでメンバー企業はその内容でOKかチェックしてくれ、うちはこうしている、いやうちはこんな風に対応している、といった議論が続きます。それだけEACの規定というものは、こうにも読み取れるし、いやそこまでは要求されていない。ではどこまで対応すべきなのか?そのバランスの見極めが…難しい。

規定ではないけれども、Recommendation、という形で罰則は無いけれども”かくかくしかじかの対応をされるであろうことが望まれる”というオフィシャルのレターが発行される。罰則はないから必ずしも守る必要はないのか、いや、こうしてレターが発行されたからには対応しておいたほうが良いだろう…そんな風にロシアでもしっかりと忖度の風土が広まっています。

EACを管轄する政府機関を代表する男性がやってきて、今後のEACの展開を話してくれたときのこと。上に立つ人は、実務的な具体的内容に精通していないことはあるとしても、あまりにも曖昧な内容、かつ、酔っぱらっているのかとでもいうかのような呂律が回らない状況。それを聴衆は真剣に聞いています。こんな人に質問を投げかけてもまっとうな回答が得られるわけがない。各企業の現場の人たちは一生懸命に法律への対応に向けて日々努力している中で、当の管轄部門代表者は「詳しいことは今後お知らせできるでしょう」…いや、あなた何も分かっていないでしょう。

どのような形で情報を幅広く取り入れるにせよ — 高額ではあっても会費を払ってAEBの会員となること、認証分野を専門的に勉強してきたスタッフを雇い入れること、信頼のおける認証専門業者に一任すること — それぞれの状況で正解は異なるかもしれません。どのような場合にしても、まだ会社設立から年数がそれほど経っていない、会社規模も中小規模の日系企業が集まるモスクワにおいて、情報収集の幅を日系企業間からさらに外へ広げることが大切、それに見合うだけのメリットがあると思っています。AEBで言えば、個人的に相談できる間柄になれば、日頃からメールでやり取りをして情報共有ができるでしょうし、なかなか聞けない情報も教えてもらえるかもしれません。目の前の課題への対応方法にも選択肢が広がります。EACの対応現場では最終的にロシア人スタッフに頼るしかないので、会社のマネジメントとして出来ることは彼らが活躍できる場を提供して、その中でスタッフに活躍してもらうことになるでしょうか。その場を整備するためにも、自社だけで何とかしようとするのではなく、幅広く外部の企業と情報を共有することが有益であろうと思っています。日系企業に留まらず、幅広く他国の企業に勤める人たちとの交流は日本にいては得られないチャンスでもあり、日系企業とは異なる企業の様子も伺える良い機会になることに違いありません。

経験を振り返ると、EAC業務がどれだけ骨の折れる仕事か、どれほど時間がかかる仕事であるか、それにより会社にどんな潜在的なリスクが生じるのか(EAC認証の取得が間に合わないために商品の輸入が遅れて販売の機会損失を招くなど)といった点を周りの人に理解してもらうことはなかなか骨の折れる仕事です。規制対応の大変さ、その負担の大きさ、懸念されるリスクを見える化して、上司や日本の本社に対して丁寧に説明してゆく地道な努力の積み重ね。それしか方法がないのでは、と思っています。

(この記事は私が駐在員生活を送っていた当時の経験を基に私の主観で記載しております。直近の情報を反映していないため、最新の状況を確認することをおすすめいたします)

これからは、上手に”怒り”をコントロールできる人がますます重要に。/ From now on, it is more and more important to control and make use of “anger”.

どんなに周りが自分の苦労に同調してくれても、どんなに理由があるとしても、会社では手や言葉による暴力をふるってしまった時点でどうしようもなくなることがある。それを駐在生活の間はよく認識しておかないといけない、と思う。ひどいスタッフはそれをこちらを挑発するかのような態度でふるまってくる人がいるのが余計に悩ましい。他の仕事でも負担がかかっている中でそのような場面に遭遇すると、どれだけの人は自制を働かせることができるのだろうか。私自身、感情のコントロールが難しい場面に何度か出会いました。

大企業では往々にして”人間ができている”方が多い気がするので、怒りを誘うような、むしろ挑発してくるかのような人に出会う機会は、全体の組織に所属する人の総数に比べると少ないのだと思います。しかし、外国に出て、小さな規模の子会社ともなると、そのような人間に出会う可能性が一気に高くなる。日本では有名な大会社の子会社と言っても、ロシアに進出している日系企業の多くは従業員が100人にも満たない小さな企業。私が駐在していた時期には、主要な日系メガバンクをはじめ、創立10周年を迎える企業が続くようなまだまだ歴史も浅い日系企業。まだまだ会社の文化やロシアでの管理部門のノウハウも積み上げ中、という会社がほとんどと思われます。そういった所へ、ロシアといってもモスクワ育ちの人もいれば、モスクワとは全く異なる環境の町で生まれ育ちモスクワへやってきたロシア人もいれば、日本の大企業に入社するような家庭環境とは全くことなる環境で生活してきたスタッフもやってきます。一般スタッフの試用期間は3か月と決まっていますが、よし、良いスタッフを見つけたものだ、と思いきや、3か月の試用期間を経て正社員契約をしてからは手のひらを返したように全く使い物にならない、そんな悩みも耳にしたことがありました。

今となってはすっかり業務の負担も減り、ずっと気持ちが穏やかに過ごすことができていますが、人間というものは毎日何かに追われ続けていると、ちょっとしたことにもイラっとしてカチンと来ることがあるようです。

「もう今の状況じゃ出来ません、あまりにも仕事が辛すぎます。人が足りません!」と部下の経理マネジャーに言われた時には、思わず机をバンっと叩いてしまいました。相手もびっくりした様子で引いていた様子だったことを思い出します。「いや、こっちだって大変なんだ。できることは出来る限り手伝うけれども、まだ改善の余地はあるでしょう、できることがあるでしょう」と。それからどれだけ経った頃だろうか、急に呼び出されて「実は、転職先が決まったので辞めます。私には今の立場が向いていない。私はマネジャーは務まりません。」と言って彼女は去ってゆきました。机を叩いた頃から関係に亀裂が入った、ということはなく、その後も彼女が退職を切り出すまでの間も、彼女が退職したのち、私が帰国したのちも連絡を取り合ったり、という間柄なので、今でも、そう、今でもあの行動が原因ではなかったはずだよな、と思っているのですが。とにかく、私も彼女もあまりの膨大な業務量に疲れ切っていた…それだけは確かです。

敢えて怒りを誘う場面に遭遇する訓練が必要とは言わないけれども、そのような場面に遭遇した時、自分の心拍数がどうなるか、どんな表情をして、どんな風に顔の筋肉がひきつって、どんなに呼吸が乱れるのか、自分を客観的に観察することは重要と思っています。私自身は、外国に出てみて自分自身がかなり感情に流される傾向があるな、と。メールの言葉にも出るし、態度にも言葉にも感情が乗り移ってしまう(だからこそロシアでロシア人相手に喧嘩できたのかも)。後で後悔することもあります。まだ赴任して1、2年目の頃でしょうか、本社のコンプライアンスから、「現地スタッフから、上司のXXXさんによって言葉の暴力を受けている、との通報があった」ということで、私が書いたメール文章すべてが送られてきたこともありました。

「日本語だととても言えないことも、なぜか英語だとつい言ってしまうんだよねぇ…」とつぶやいていた知り合いの方の言葉を思い出します。言葉というものは恐ろしいものです。その方にとってはそれが一つの怒りのコントロールだったのかもしれません。きっと、言われた側のスタッフも、英語はネイティブではないのでそこまで強烈に受け止めなかったのだろう、と解釈することにしました。

私は今の会社の中だけで日本国内を転々とし、それからロシア勤務を経て今に至りますが、今日本の職場でこう感じます。同じ環境で似た者同士が集まり、同じ場所でずっと過ごしていると、自然と自分の枠組みが決まってゆき、自分自身の思考の型がいつの間にか凝り固まってしまう危険が限りなく高い、と。それが当たり前と思ってしまい、その枠から飛び出すことがいつの間には難しくなっている。国内を転々として現場にいた頃の大きなメリットは、その土地でしか出会えない人との出会いによって自分自身の常識が揺さぶられること。朝からお酒の匂いを漂わせてやってくるおじさん。彼女と同棲を始めてしばらくしたら、自分の貯金が空になっていてどうにもならなくなってしまった話を自嘲気味に話してくれた男性。暇な時間があれば職場で自分の彼氏の悩みを打ち明けだす女性社員。生まれてからずっとその土地から出たことがない人たちと打ち解ける大変さだったり、知識だけは持っていて実務経験のない、外部からやってくる新人たちを受け止める熟練社員たちの気持ちなどを実感として経験したり。周りにも同じような環境の人たちに囲まれていて、会話の内容も仕事のことが中心になってくると、考え方も考えそのものも自然と同じようになり、結果的に多様性を大切にするはずが多様性がなくなってゆく。そして、怒りへの対処方法を学ぶ場所も自然となくなっていってしまうのではないだろうか。

怒りのコントロールを上手にできる人はますます重要になってくるだろうということは間違いない。怒りのコントロールは日頃から自分のメーターを管理して、自分の怒りのポイントを学んで、それをどうしたら改善できるのかを学ぶこと。次にその場面に遭遇する時にも自分をコントロールしやすくなる。怒りを感じる時はけっこう急にやってくるものだ。あと、自分の思っていること、感じていることは素直に外に出したほうがよい。それを溜めてしまうと、その反動はあまりにも大きいだろうから。人によっては暴力に訴えてしまったり、精神的な病を患ってしまうのかもしれない。

昔、学生時代にバックパッカーとして旅していた時のこと。顔を見るなり、あっちにいけ、という身振りでモノを売ってくれなかった人もいましたが、私が日頃感じる怒りのレベルは、世界で迫害されてきた人種、民族の歴史と比べたら本当にちっぽけなもの。今もこれからも、自分の出会う範囲の中で感じる感情の起伏と向き合い、感情、特に怒りのコントロールを上手に次への原動力に変えられるようになりたいものです。これからもきっと見つかるであろう、自分の感情の新たな発見を想像しながら。

今でも日々の業務で思い起こす上司の教え / The lectures of my boss that I still remember in my daily work

これを読んでいる若手の皆さんも、これまで出会ってきた上司のもとで、その上司ならではの教えを受けてきたことと思います。それを人によっては苦労を重ねてきた、というのかもしれませんが。私も異なるタイプの上司の元で過ごしてきました。どちらかと言えば、私は怒鳴られたり、「お前はなっとらん!」と言われて育ってきたタイプです。今の世の中で見られる、褒めて育てる、出来る限り厳しいことは言わずにことを荒立てずに部下を上手く育てる、雑談で雰囲気づくりをして…といった風潮とは縁が無い世界で育ってきました。それで、今の職場でそのような環境に身を置くと何とも落ち着かない気持ちになります。人の成長にはその人それぞれにふさわしい方法があり、世の中で正解と言われる方法が決して全員に当てはまらないこと、自分が相対する相手の成長にとって何が最も効果的な方法であるか、自分で考え、判断することが求められています。何だか、日本の部下のマネジメントはロシアよりもずっとずっと複雑で難しいことかもしれません。表面上は良いのですが、内面では何を考えているのか、ロシア人スタッフと接する時よりも察することが難しく感じられます。

さて、こんな私がこれまで接してきた上司から学んできた教えの中で、特に今でも日常業務の中で意識させられる大切な教訓を書き出してみました。

報告書の書き方

毎月作成する実績レポートのコメントを書く時にはその言葉の背景にいる人を考えること。例えば、「部品の供給不足により目標生産台数の未達。」これは事実以外の何物でもないのですが、それを読んだ上の人がどう思うか考えてごらんなさい、私の書いたコメントによって、それを読んだお偉い方がその部品供給のために尽力している担当者を非難していることにならないだろうか?その担当者は一生懸命にやっているものの不可抗力のために供給が間に合わない状況かもしれない。自分の書く一文が与える影響、背景を考えながら文章を書くように、ということを学びました。ここで私が理解したのは、コメントを書くスペースは限られており、上記の事実以外を補足出来る要素もない。そうだとしても、その上司は他の担当者が努力している姿を知っているからこそ、何も知らない私が一言が”部品供給をしてくれない部門が悪いのだ”とも読み取れる、そんな一言を簡単に書くことの危険を指摘し、その背景にある事情まで汲み取る努力をするように、という点を指摘をしたのだと理解しました。

コメントを書いたら声に出して読んでみること

これは今でも忘れがちになってしまうけれど、守りたいとても大切な教えです。頭の中で反復して確認。よし、このコメントで大丈夫。そう思っていても、声に出して聞いてみると、あれ…何か変だな、と思うことってあります。一人であれば自分で声に出すしかありませんが、それに加えてさらに良い方法は、隣にいる同僚に自分の書いたコメントを読んでもらって、意味の通らない部分がないか?分かりやすいか?を尋ねてみることです。

メールの宛先はToとCCを正しく使い分けること

複数の人が宛先に入っているメールを送る時、メールのあて先はToとCCを正しく使い分けること。メール送るときには、各相手のメールアドレスを必ずToとし、それ以外の人のアドレスはCCに入れるように。これを厳しく指導されました。受信メールを確認する時には、CCで届ているメールを読む優先度が下がる、時には内容チェックする無視することもある。Toで届くメールとCCで届くメールとではその重さが違う、ということを教えていただいた気がします。

自分が提出したレポートの中身を深く追及されたときの私の曖昧内答えに「ふざけるな!明日の朝一番に来なさい!」と言われ…50人くらいが陣取るオフィスの目の前で、気が付けば3時間くらいだろうか、説教されたこともありました。今となってはいい思い出です。「あなたの価値はなんなのか?今の仕事のやり方をしていたら、いつの間にか使われるだけの人間になっちゃうよ。」

そんな上司とも、私が次の部署に異動する時には送別会を開いていただき握手してお別れしました。つらい期間と思ったことも、今は教えられたことが自分の軸になっている。今は辛い、と思えることでも、後で振り返ると「今は出来るようになっている。何であの時はあんなに苦労していたんだろう?」なんて言っている将来の自分がいます。人生その繰り返し。終わりなき成長への道をひたすら歩んでいるようです。とある日には、帰宅途上の車の中で悔し涙が自然と流れてきたこともありました。「なんでこんなこともできないんだろう…」あの悔しさが成長への原動力となっていた気がしています。

上司が指摘する内容は、きっとその上司が先輩から受けてきた教育であったり、自身が失敗から学んだことを踏まえたものであるはず。その上司の仕事人生の価値観が詰まっているとも言えそうです。今の世の中、単に部下を虐げる上司もいるので、すべてに置いて上司は正しく、いつも私のことを思って言ってくれているんだ、という考えは危険なのかもしれません。ただ、もし上司の言うことに、部下のことを思って言ってくれている愛を感じる部分があれば、きっとそれは上司の期待に応える良いチャンスかもしれません。