他国と比べると日本の有難みが分かってくる ー 混沌としたベラルーシと比較して / Compared to other countries, you can see the value of Japan comparing to the chaos of Belarus

人が物事を判断する時、自分の知っている情報や、慣れ親しんだ環境を基準にするしかありません。この真実は駐在生活でよく学習した点の一つです。どんなに自分が経験が経験を重ねてきたからといって、どんなに多くを知っているからといって、新人スタッフのためになることをしてあげようと思って行動しても、それは相手にとってその時点では迷惑でしかないことも。その”迷惑さ”に有難みを感じてもらえる時期がいつやってくるのか、あるいは一生「面倒くさい人だったな」で終わってしまうのかは誰にも分かりません。折れずに続けられるかは、自分を信じれるかどうかにかかっていそうです。また、自分がどんなにたくさんの実務経験を積んで、ロシア企業での実務の実態を知っているからと思って行動しても、上司や日本の本社はそのような現場の事情ではなく、もっとロシアの域を越えて幅広い情報や、さらに高い視点から長期的な視点で物事を考えているケースだってあります。

そんなわけで、日本で生活していれば、文句言いたいところはたくさんあるけれども、世界に比べると、日本という国は今でも世界に比べるとずっと立派な国なのだ、そんなことをベラルーシのニュースを見ていて改めて感じました。マスメディアは一部を大きく見せる傾向があるかもしれず、この様子が全地で起こっているわけではないと思います。それでも、こんなことが起こっている国が他にあることを考えると、日本で生活していて日頃感じてしまう不満も考えすぎることなく、時として沸き上がる私たちの怒りを分散させることに役立つのかもしれません。

報道番組”Current time”(Настояшее Время)より(ビデオ 8:42~)

ロシア語で、Абсурд(アプスールドゥ=ばかげたこと)。英語のAbsurdと多少発音は異なりますが全く同じ意味です。とりわけ5つのばかばかしい理由でベラルーシ市民が逮捕されたことが取り上げられていました。ルカシェンコ大統領への抗議行動のシンボルとして掲げられる白赤白の旗。今ではこの色使いをしたものは、政府に反対する過激主義者として扱われ処罰されるという事件が起きているとのことです。

1.家の住所のプレートを赤と白で作成した家主が逮捕

通常、ロシアでも、道を歩いていれば必ず、通りの名称や通りの番地を示すプレートが掲示されています。ベラルーシのこの住民はこのプレートを赤と白で作成したようです(9:09~)。警察はこの行為を、家の主は正式に許可されていない抗議活動を、白赤白の旗をプレートの形で表示した̚かどで処分。約400ドルの罰金が科せられました。

2.娘の誕生日に花束をプレゼントした母親が350ドルの罰金を支払った(9:50~)

「これは花束の色が何色だったかは、容易に想像がつきますね。」とのこと。今のベラルーシでは花束の色を何色にするかも注意しなくてはならないという状況に。

3.赤と白のラインの飾りが入ったズボンを履いていた若い女性が拘束(10:10~)

一人の若い女性は、カフェから自分の車まで歩いているところを警察に拘束され、拘置所で過ごしたうえに罰金を科されたという。警察に「一体何の罪があって捕まえるの?」と尋ねると「つまり、自分のズボンについて何も言うことはないのか?」と答えが返ってきたとのこと。今では、どんなに赤と白の色合いが好きだとしても、家を出る前には自分の服装の色合いをよく観察して外に出る必要がありそうです。ベラルーシでは、白と赤のソックスを履いていた人が、その装いでもって反政府のデモ行動を行ったと見なされて逮捕されることが生じているようです。

4.ロシアでも有名なお菓子のパスチラによって年金生活の女性が罰金を科された(10:42~)

この女性は抗議活動としてパスチラを白、赤、白に色で作ったかどで罰金を科されたという

5.LG製のTVが入っていた白、赤、白の彩りの段ボールケースをバルコニーの窓に置いた男性が逮捕

窓辺に置いていたことで抗議活動に参加したと見なされ、15日間の拘束となった。(10:58~)

この5つのケースに続いて、ニュース番組内では”ばかげた”罪状で自由を奪われた人たちのケースが続いています。

上記のいずれの場合も、抗議の意図があって意識的に行った行為であろうことから、今の時世にこのような行動をとること自体が相応しくなかったのかもしれません。ただ、このようなことが理由で拘束され、罰金を科されるという理不尽な世の中が存在する、ということについて、日本に住んでいる感覚からすると想像がつきにくい事態です。

翻って今の日本。今はコロナのために旅行にも自由に行けず、外で飲み食いを自由にすることも憚られる時期。ストレスが溜まらないと言えばうそになります。そんな中でも、政治は回り、野党は元気に政権を批判し、国民は自由に首相に愚痴を言う。政府からの指示に従わない飲食店。日本はまだまだ捨てたものではありません。物事をポジティブに、あるいはネガティブに捉えるか、ほんのちょっとした考え方の違いから見方が良くも悪くも変わる。世界を見て経験すると、自分自身の幅もずっと広がりそうです。

着任時に学んだ先輩社員からの教え / What I learned from a superior when I started working in Moscow

着任したときに先輩社員から教えていただいた教え。今でも思い出すことがあります。シンプルですが、仕事をするうえで大切なことを学びました。

1.言葉遣いに気を付けること。

これは自分自身の口癖でもあったのですが、着任したばかりの頃は、会話の中で「ぶっちゃけ」という言葉を乱発していました。「そのような言葉遣いは今後は止めたほうがよいよ。きちんとした日本語を話すように気を付けるように」と。管理部門を取り仕切る役割を担い、他社の上の立場の方々とやり取りが増える中で、会社の代表ともなる立場の人間が砕けた日本語を恥じることなく使うのは、ビジネスパーソンとして論外であり自覚を持つように、という意味であったと思います。現在、少々フォーマルなビジネス番組でも、会社の役職についている年配社員の口からもまれに聞くことがあります。そんな時、当時先輩社員に言われた言葉を思い出します。実際、聞こえのよくない言葉だなぁ、と。この教えは海外に赴任したからとりわけ必要、ということではなく、自分が日頃から利用する日本語の正しさを意識することの大切さを学ぶきっかけともなりました。一方で、相手のために丁寧で正しい日本語を書こうとするあまりに、結局何が言いたいのか相手に伝わらないということもあります。何度か読み返してからようやく、「もしかして、この人は自分にこれをしてほしいのか?」と。また、会話していても、「XXXってこうだったらいいんじゃないかな、どうかな」「いや、自分はかくかくしかじかのためこう思います。」と回答。…でもなんだか相手は腑に落ちない様子。…あれっ、つまり、これは自分の意見を尋ねられているのではなくて、「XXXはこうしてください」という指示なのかもしれない、と後から気が付くことも。なぜ直接指示してくれないのだろう…と思いますが、それは相手の気遣いなのかもしれません。綺麗な日本語≠分かりやすい日本語。相手を意識して使う日本語≠仕事で必要となるはっきりとした伝わりやすい日本語。それらの正しい使い分けの難しさ。言葉って難しいと感じるばかりです。

2.本社からの依頼と現地スタッフからの依頼が重なる時には、何よりもまず現地スタッフの対応を最優先すること

これは全てのケースに当てはまるわけではありません。ここでいうポイントは、本社からの依頼は多少締切に余裕があることが多い。一方で、スタッフからの問い合わせは喫緊の問題である場合が多い。また、本社の場合には、関係者の中には着任前に顔を合わせたことがある知り合いも少なくない場合もある。そうすると、こちらの都合も多少考慮に入れてもらえるであろう。そうであれば、期限を守ることが難しい場合には、まず本社には待ってもらい、現地スタッフからの依頼を先に解決すること。その結果、現場で起こり得る問題を未然に防ぐことにもなりますし、現地スタッフからの信頼を得ることもできます。特に着任したばかりの頃に、いかに早く現地スタッフからの信頼を得られるかは重要だと思います。これは私自身が最初の頃に失敗してしまった経験ですが、現地スタッフに仕事で認めてもらうことは、率先してロシア語で会話をしたりメールをすること、ロシア文化を積極的に学んで話題を振ったりしながら相手と親しくなることではない、と考えています。言葉はあくまで手段の一つでしかなく、真に仕事が出来る人は言葉はつたなくとも、意思決定、資料のまとめ方、ダメなことはダメと言える意思表示(たとえ説明がたどたどしくとも)などからスタッフにはっきりと伝わります。人は結局仕事ができるか、できないかで判断され、ロシア語ができるか、ロシア文化を好きかどうかはその次の問題だと思われます(といっても、ロシアの管理部門の仕事をするにあたっては、ロシア語ができることは大いにメリットがある、という事実に間違いはなさそうです)。親しみのあるスタッフの笑顔の裏で、相手はどのように私自身を評価しているか、その本当の顔を意識し続けたいものです。

日本というものがロシアでも高く評価され、日本人や日本の文化製品に対する敬意も高いことを考えると、むしろ、私たちはもっと日本という国や文化に高い誇りを持ち、もっと自国の文化を知ることが重要である、と考えさせられました。例えば、歌舞伎。ロシアに行くまでは全く関心もありませんでしたが、一緒に旅行したロシア人から「絶対に行きたい」と言われ、なんとかチケットを予約・購入。初めての歌舞伎があれほどまでに面白いとはかつては考えもしませんでした。入って1時間くらいで途中退散かと思っていたら、気が付けば(5時間くらいでしょうか)、最後まで満足に楽しんだ時間となりました。

人材採用時に感じる”何か”と折り合いをつけることの難しさ / Difficulty in reconciling with “something” that you feel when hiring new staff

採用活動をしていると、採用担当として「この子は頑張っている、ぜひ採用して仕事を通じて成長してもらう機会を与えたい」という気持ちが芽生えるのは自然のことと思います。ただし、面接の部屋に応募者が入ってきた時、面接の部屋に入った時に腰かけている応募者を見たときに”何か”を感じる時にはやっぱり”何か”理由があります。

ロシアでの勤務時代、色々な若い女の子たちがやってきて(管理部門には女性スタッフの応募が多いために自然と女性スタッフばかりでした)面接をしている中、面接で自己アピールする姿を見ると、「なんだか、今すぐには仕事を任せることが難しいかもしれないけれど、もし自分がここでこの女性に働く機会を与えれば、きっとこの子の将来にプラスとなるかもしれない。」と思うことがありました。なにもやましい気持ちはなく、純粋に職を得ようと頑張っている姿を見てそう思うのですが、会社は営利目的で成り立っていることをまず忘れないようにしたいと思います。

会社の規模が小さい間は、とにかく戦力となる人材が必要となる。頑張っている人たちにチャンスを与えることは必要だけど、それは今ではなくてもよいのかもしれない。会社としてしっかり基盤が整っているのであればまだしも、まだまだこれからという時には、しっかりと基盤を急いで整備しなければならない。小規模の会社にはそれなりの正解があります。これは日本でも全く同じと思いますが、日本と海外で違うのは、日本人である自分自身が就職希望者のロシア人と対峙すると、同じ日本では分かるであろう言葉以外の部分のものを判断から見落としてしまう可能性がある、ということ。ロシア人のベテラン社員からは「最終的な判断は日本人マネジメントだけではなく、私たちロシア人も判断させてください。」と言われていました。それは正しい意見であったと思います。実際、駐在員が中心となって採用を進め、周りのロシア人マネジャークラスの意見を求めずに採用を決めた場合の結論は、悪い人材を採用してしまったケースが多かった印象を持っています。

私が後から振り返って、採用を失敗してしまったなぁ…と反省するのは、”何か”がどことなく引っかかった人であったように思えます。面談ではそれほど気にならなかったけれども、後々見てゆくと感情のコントロールがうまくゆかずに周りと上手く溶け込めない人。面接でプレゼンをしてもらうのですが、どうも物悲しく疲れてしまっている人。その人曰く”知識も経験も十分にある”という自己中心的で、小さな会社なのに周りとのコミュニケーションを取らずに自分の世界にこもっている人。後で聞いたところでは、母親が連れてきた父親が3人変わっていて家庭の中で大変な思いをして人生を過ごしてきたということでした。彼女は人を信じる、ということが無かったように思えます、仲間というものから外れていていつも周りを信じることなく一人で何かと闘っていたような、そんな人でした。社内の新年パーティーの時には一人で寂しそうな姿で会場を後にしていった姿を今でも忘れられません。逆に彼女からすればいつも食事も抜きでずっと朝から晩まで仕事しかしていない私の姿を、寂しそうなかわいそうな人、と思われていた可能性は高いのですが。(余談ですが、私の職場の経理スタッフの女性たちは、前日に最後まで残って残業していた女性が翌日も一番に来て仕事をしていると、後からやってきた同僚は「エレーナ、なんでもういるの?まさかオフィスに泊まったの!?」なんて冗談を言い合って笑っていたものです)

ロシアで正社員採用の場合の試用期間は会社代表者、支社トップ、経理責任者といった重要なポジションのスタッフの場合は6か月、それ以外の一般社員の採用の際は3ヶ月。特に3か月の試用期間でその人の人間性やスキルを見極めることは困難です。当時の知り合いの会社では、3か月経過してからは豹変し、とんでもないことになってしまった、と嘆いていました。それでも、3か月間で”何か”違うな、と感じることは可能です。その時に大変悩ましいのは、「このスタッフはベストではないけれど、今ここでこのスタッフを採用しなければ人が足りない。でも、このスタッフを今採用すると、後で何かあった時には面倒なことになりそうだ…」その葛藤です。採用する場合には絶対に欲しい人材と出会うまでは採用してはいけない、という人事のアドバイス本を読んだことがあります。現実の世界では、小規模の会社では、頭では分かっていてもなかなか思い描くようにはいかないことも多々あるのが真実ではないでしょうか。

社員は、「退職します」と辞職願いを出してから2週間で会社を去る権利がある。会社側はこの突然の連絡を受けて、急いで採用活動を行う必要が生じる。そう簡単に人は決まらないものです。退職するスタッフとの関係が良好であれば、退職する時期をもう少し待ってもらったり、退職した後でもサポートしてもらったり。その後も電話で連絡取り合ったりして過去のことを尋ねるケースもありましたが、なかなかすべてのケースでそう順調にゆくとは限りません。小さな会社で人の数をぎりぎりで乗り切っている会社にとっては、突然の退職→大急ぎの採用活動→採用者が見つかるまでの欠員部分の仕事を他のスタッフの協力のもとでカバーする、これらの流れが毎回大変でした。

日頃からどれだけ仕事が属人的にならないことを避けられるか。会社のルールを整備し、文書化しておくこと。採用時には注意すべき点を漏らさずにステップを踏むこと。勤務しているスタッフとは良好な関係を築き、いざという時には協力してもらえること、人材紹介の会社と定期的な連絡を取り合い、良好な関係を保って自分の会社の雰囲気や必要とする人材を理解してもらう努力など。日頃からの総合的な努力が常に求められていることを、突然の”災害”が起こった時にどれだけ準備ができていたかを知ることになります。毎日一つ一つの自分が行う仕事にきちんと向き合ってゆくことの大切さを知る機会にもなると思います。こう伝えている私自身が出来ていたとはとても言えず…当時の反省点を共有し、どのように次にいかすことができるのか、同じ場面に遭遇する人にとって同じ失敗をしてもらいたくない、という気持ちです。やっぱり採用はとても難しい。

社内規定を従業員に浸透させることの難しさと対策 / How difficult to make employees to accept company regulations and how to solve it

ロシアの子会社で規定の整備をしていると、「規定を作ってもどうせ読まないから、そんなに一生懸命に規定を作って何か意味があるんでしょうか?」「規定を作ってもどうせ必要になれば読まずにこちらに聞いてくるんだから営業スタッフは本当に我々管理スタッフへの敬意が欠けている、ひどい!」という声をスタッフから一度ならず聞きました。正直な気持ちを言ってしまえば、現実的に起きていたことを見ると、彼らのコメントに私も同感です。ただ、それを言ってしまったら規定そのものが不要となってしまい、各ケースごとに上司の判断がすべてという事態に。数名程度の会社ではそれで回るとしても、何十人もの組織となってくると、育ちも考え方も価値観も異なる人たちが集まる中、自分の考える”普通”が他人の考える”非常識”であったり。やはり全員が同じルールに則って仕事をするための絶対的なルールが存在しているべきことは否定できません。

ロシアの法律では、法律で定められた規定の整備、それを従業員に対して書面の状態で従業員に通知すること、そしてその内容を確認・了承した意味で従業員からの署名受領が企業側の義務となっています。

(以下参照URL:Практикум по ТК РФ: чем отличается подпись от росписи)

https://www.klerk.ru/buh/articles/484916/

例えば、ロシア人従業員がよく”ペーヴェーテーエル”と呼ぶ、(ПВТР = Правила внутреннего трудового распорядка)。いわゆる就業規則に該当するもので、日本の規定でも定められるような、会社運営に必要なルール ー 就業時間、休暇、出張、従業員や雇用者の権利、懲戒処分など ー が記述されています。

(以下参照URL:Правила внутреннего трудового распорядка (ПВТР) – для чего они нужны и как их правильно составить?)

https://hr-portal.ru/article/pravila-vnutrennego-trudovogo-rasporyadka-pvtr-dlya-chego-oni-nuzhny-i-kak-ih-pravilno

その他にもロシア企業では、Правила по охране труда(アフラーナトゥルダーとよく言われます) ー 日本の労働安全衛生法に該当すると思われます ー という職場環境の整備義務を企業に課している規定では、職場環境を定期的に確認し、新しい従業員が入ってくるとそのスタッフへの教育を行い、書類にサインを受領する。そのリストの数を見るだけで圧倒される…業務に携われば携わるほどに、その要求される規定の多さ、その罰則規定の重さに嫌気が差してくる、というのが本音かもしれません。

これらはほんの一部ですが、ロシアでは署名をする機会が日本と比べて非常に多いのは間違いありません。さて、冒頭での部下からのコメントは、従業員がたとえサインをしても、それを守らないケースがあることが前提です。これを良い意味で捉えるならば、それだけ会社側としても従業員の一つ一つの犯す間違いを細かく管理していないことから従業員も自由を感じている、何かあっても後で教えてもらえれば良い(会社をなめている、といえばネガティブに聞こえますが)、という気持ちでいるのかもしれません。もし会社と従業員の関係がギクシャクしているならば、従業員は規定の隅々までしっかり読み、自分の行動一つ一つに真剣な注意を払うことになるでしょう、簡単にサインもしてくれないかもしれません。そうなると、規定を浸透させる、という点では効果がありますが、会社のビジネスを大きくするためにはマイナスだと思います。従業員を締め付けることから生まれるものにポジティブなものはありませんので…。

規定の浸透のための解決策に特別なものはない。

浸透させるための何か特別な解決策を私自身は見つけられませんでした。たどり着いた答えはいたってシンプル。何よりも規定の整備を完了させる(法律も変化しており、以前に整備していた規定だけでは要件を満たせていないケースも)。そして、”どうせ読まない”従業員のために、規定のサマリーを作成して提供する。小さな規模の会社であれば必要に応じて従業員向けの説明会を開催する。ここまでが管理部門に要求される義務。サマリーを読めば、従業員はとにかく必要な点を最短で把握できる。そして、その後も何度となく間違えるのであれば ー そしてそれが悪質で故意のものあれば ー 然るべき対処を取る(この時点ではすでに会社との関係も険悪なものになっている可能性あり)。

サマリーを提供しても聞いてくるスタッフがいる場合、それは管理部門への敬意が欠けているのは否めないと思います。こちらが一生懸命に相手のことを想って準備したのだから、受ける側の人間もその意向を感じて、自分たちでも規定を理解する努力が求められます。このレベルの教育は、それぞれのスタッフが所属する部門マネジャーの責任です。マネジャー自身には自ら規定を理解し、それを自部門に浸透させる努力が求められています。このように、管理部門とその先の部門マネジャーとの間での役割と責任分担を明らかにし、協働することでしか社内ルールの浸透は成功しないのでは…というのが私の考えです。試行錯誤しながらたどり着いた答えですが、恐らくこれは始めから存在していた世の中一般の公式でもあった…と思っています。営業と管理部門の間でお互いの仕事への理解、敬意が足りない、というのはどこにでもあるのではないでしょうか。そう考えると、一人の人間として相手を敬う。自分の行動に謙虚になる。最後はここにたどり着きます。

一方で、管理部門にふらっとやってきた営業スタッフが、「ねえ、教えてもらいたいんだけど…」と尋ねると、そこに会話が生まれ、女性スタッフから「ちょっとあんた何も読んでないの!ちゃんと規定に書いてあるじゃないの、ちゃんと読みなさいよ!ほんとダメなんだから。」と怒られて「ごめん、ごめん」といってお互いに笑いながらやり取りする。そんな様子を見るのも微笑ましいものがあります。規定整備を完璧にして、一切の不要なコミュニケーションは排除する、という効率を求める姿勢にも否定的です。バランスというのは本当に難しいものです。

さて、余談ですが以下のサイトに面白い記事がありました。コメントの主はПетр Ковшевой氏。この記事が書かれた当時、ロシアの国営原子力企業ロスアトムの人事の主要ポジションを務めていた方のようで、きっと人事の世界では発言力を持つ方だと推測しますが、「従業員にサインをさせたところで何の意味もない。大切なのは会社の文化がきっちりと従業員の心にまで響き、それが自然と従業員の行動に現れることが大切なんだ。そして、会社のトップマネジメント自身が自ら会社文化と会社モラルの重要性を認識し、言葉ではなく、行動によってそれを自ら示すことこそが最も効果的な従業員にルールを浸透するための方法だ!」ということでした。汚職のイメージが絶えないロシア企業が多い印象の中、このようなメッセージに出会い嬉しかったです。強い説得力があります。皆、それを分かっていてもそれが現実にすることがどれだけ難しいことか、という気持ちもある一方、成功に導くためのシンプルで基本的な原則であることを感じます。

(以下参照URL:Главное — суметь донести до персонала важность правил корпоративной этики!!!)

https://www.top-personal.ru/issue.html?3668

ロシアにいた時に検索していてよくヒットしたサイトと言えば、以下のようなものがあり利用する機会が多くありました。(あくまで個人的な感想ですが、ロシア固有のルールを理解するにあたっては、ー とりわけ人事や会計に関するもの ー 英文に翻訳されたものよりもロシア語そのもので読み取るほうが分かりやすいケースが多々あるということです。ロシア語読解が難しい方にとっては、英語で概要を掴んだあとは、ロシア人スタッフにロシア語キーワードも交えてもらい、上手に分かりやすい説明をしてもらう、というのが最善かもしれません。ロシア語文献を全てコピーしGoogle翻訳に貼付することも随分役立ちました)

・Awara

・Accoun+or

https://www.accountor.com/en/russia

ドアを通じて、その人の人となりが見えてくる /  Through the door, people can see who you are

登録しているロシアを代表する建築物を紹介しているYoutubeチャンネルに、モスクワで私が住んでいたアパートが紹介されていました。古い建物で、決して現代的でもなく配管の古さなど問題もありますが、こんな歴史的な建物に住む楽しみもモスクワ駐在ならではの経験だと思っています。

私の隣の家からは、出入りする度にドアのとてつもない音がします「ドカン!」「バタン!」。決して作りが悪くない集合住宅ですが、多少揺れます。あまりにもうるさいです。一体この人はどんな風に生活しているのだろう、と思います。他の階の住人にも同様の人がいるのか、音が響いてきます。それを感じれば、自分自身のドアを閉める音が周りにどれだけ響いているかを想像できると思うのですが。

とても困っているわけではないので何か批判する気持ちがあるわけではありませんが、そういったドアの開け閉め一つを取っても、この人は自分のことだけ良ければいいと思っていて行動がどのように周りに影響を与えているか考えてないのだろうか、いや考えられないのだろうか、なんて考えてしまいます。仕事にしてもサッカーにしても相手のことを考えずに自分のやりたいことをやりたいようにやっていたらまわりから嫌われてしまう。日頃の自分の行動を客観的に見ることの大切さ。大切です。その一つを取って周りの人間はその人を判断していますし、その判断はあながち間違っていないかもしれません。

最近ふと気が付いたのですが、日本ではドアを譲り合う機会がモスクワの時と比べて低い気がしています。日本のスーパーやショッピングモールは自動ドアの割合が高く、それ以外のものを見たことがありません。一方、モスクワのショッピングモールでは回転式の大なり小なりのドアが回っており、そこに人が順番に入り込んでゆくものが大半。住宅街にあるスーパーでは、常に引き戸です。そして、出てくる人、入る人が交互に譲り合って出入りしています。そのため、お店に入る時には常に出てくる人を優先する文化がありました。それに加えて、女性や年配の方にに対して譲る文化は根付いているようで、常にドアを通して相手に譲る意識を自然と植え付けられていた気がします。それでも、常にそうとは限らないのはモスクワでも同じ。妊娠していたロシア人の友人が地下鉄に乗っていたところ、目の前に若い人が座っているのに一向に席を譲ってくれなかったとのこと。それで、自ら「席を譲ってもらえませんか」と言って場所を開けてもらった、まったく今どきの子供は何なの?昔ならすぐに席を譲るのが当然だったのに、なんてちょっぴり怒っていましたが。

遅らく世代や住む場所も変わると日本とロシアも一般的に見られる人の様子に大差ないのではないかな、と思います。都心に近づくほど人も多くなり、生活リズムも速く、ストレスも多い世界。自己中心的になりがちになってしまい、そんな人と遭遇する機会が増えると、決して少なくないはずの善良な人の善行も見えにくくなってしまう。それで都心はひどい、と判断してしまいがち。モスクワから電車で2時間くらいの郊外に遊びに出かけた小さな町では、すれ違いざまに挨拶してくれたロシア人の少年たち。なんていいところなんだ、と思ってしまう。一つの行動がその人の人となりがおおよそ分かる、ということも正しいと思う一方で、必ずしもそうではない、ということも意識しなければな、と。

何だか最近は、隣の方のドア閉め方が優しくなった気がするのです。何をきっかけにして人は変わるのだろうか…。部下の評価をする時に上司が気を付けるべき評価エラーにもつながるものを感じました。

1円を稼ぐことの難しさが分かるときっと行動が変わる / If you find it difficult to earn 1 yen, your behavior will surely change.

モスクワの路上で演奏している人のすごさ。それしか収入の手段がないからかもしれないけれど、少しでも行動することへの尊敬。演奏のレベルは別として、できる限りお金を置くようにしていました。””Спасибо!(ありがとう)”と笑顔と共に返してくれる言葉に、こちらも嬉しくなってきます。

ロシアに駐在する前にはお金のことをほとんど考えていませんでした。自分のお金の管理もしていませんでしたし、投資活動もほとんど行っておらず、現在までの日経平均株価の推移を見ると、もし日本にいたらどれだけ資産を増やせたのだろう、と考えてしまうことも。過去のチャート推移を観察できる今だからこそ、そう言えるのかもしれませんが。

会社で聞く「これからこのビジネスでマネタイズしてゆきたい」っていう言葉は、本当にお金を稼いだことがない人が容易に使うべき言葉ではないのでは、と思う。これは私の実感ですが、定期的にお金が振り込まれるサラリーマンである自分は、1円の価値の重要性を心から理解できていなかったからこそ、お金に対する理解、認識をきちんと持たなければいけないと痛く感じるようになりました。(と言っても、なかなか自分で稼ぐことを経験していないサラリーマンは、会社のブランドを利用してお金を回してゆくビジネスを経験できるチャンスがある点では恵まれており、損益は仮に赤字としても、収入を得る、という意味では実のところマネタイズは容易なのかもしれません)

先日、初めて約200円の収入を受領しました。このブログを購読してくださった方が、このブログ内で私が紹介した商品をリンク経由で購入してくださったからです。本当にありがたく、感謝の気持ちです。このお金は — 自分のビジネスとは言えるものではありませんが — 少なくとも自分で何かをして、それによってお金の動きが生まれて収入が発生した、というプロセスを通して得た初めての収入でした。サラリーマンである自分自身にはこれまで一度も経験のないことでした。今、お金を得るために路上でパフォーマンスを始める勇気がありませんが、今の自分にできることに挑戦してゆくことから得られる何かがあるのだろうなと思います。

今は駐在生活の頃よりもずっと自分のための時間に費やせる時間が増えたこともあって、以前には考えなかったことにも目を向けるようになりました。自分の仕事に打ち込むことは大切ですが、ふとした時にそれによって失っていた多くのものに気づかされることもあります。お金に対する知識もその一つ。どれだけ自分自身に金融知識が無いか、給与明細に載っている税金の計算ロジックを理解できていないか、自分の貯蓄が増えているとしても価値は相対的に減っていたのかなどを考えさせられます。投資と投機の違い、サラリーマンにとっては投資信託が良い選択肢であろうこと、老後2000万円問題という言葉を心配するよりも、まずは自分自身を知ることのほうがずっと重要であることなど、インターネット上に多くの教えが載っているので読んでみたり、Youtubeを車の運転をしながら聴いてみたり。「日興フロッギー」というチャンネルに載っていたセミナー収録をしたシリーズ(Session1~4)は、それぞれの専門家によって、大切なポイントが凝縮されたよい情報だなぁ、と感じています。

資産を増やす、という点ではテクニックを学習することも大切ですが、何よりも原則(具体的には、自分自身を知ること、経済や金融の仕組みを学ぶこと。そう言っている私のすぐ横には、全く読んでいなかった本が置いてあり、本棚から引っ張り出して読んでいるところです…)を理解することがずっと重要だと考えています。

もし全く自分の資産管理や資産運用を行っておらずこれから始めよう、という方にとってはお勧めしたい内容です。これは仕事もそうですし(マニュアル通りに行うことは大切ですが、この業務の目的は何かを理解すること)、読んだほうが良い本についても同じだと思います(最新のビジネス書やハウツー本から学べることも多くありますが、古典を読んでもっと深い部分を考察するほうがずっと有益だと思っています)

身の回りには、年齢を重ねてきて自分のポジションの限界を知り、給与が伸びないことに少なからず不安や不満を抱いている人もいると思います。それでいて、家計簿をつけずに自分の出費の現状を把握していない方、あまりにも高額の携帯電話料金の契約をしていてもそのままにしていたり、出社すると一日に何本もコーヒーやジュースを購入したり…。そうした一つ一つの行動にその人のお金に対する考え方が表れているのだろうと思うと人間観察が面白くなるかもしれません。

人事部が研修内容を決めて提供すべき、という前提への違和感 / Feeling of strangeness with fixed thinking that the Human Resources Department should decide and provide training content for employee

ロシアの小さな子会社にいても、日本の大企業にいても感じること。それは自分のスキルアップを無意識か意識してか分からないけれども他人任せにしがちな人が多いということ。

「会社は私たちをどんな風に成長させたいのかが分からない。」「会社は人材育成の方針を定めてそれに沿って私たちに必要なトレーニングを提供すべきだ。」そんな声をスタッフから受けていました。まったくその通りだと思います。一方で、よくよく考えてみると、本当にそれが正しいのだろうか?とも感じていました。残念ながら、モスクワで勤めていた会社の人事部はまだまだ発展段階で、会社が最低限提供すべきトレーニングの内容を検討し、制度として整備して試行錯誤しながら進めている段階でしたので、声を大にして上記の意見に反発することはできませんでした。

会社が小規模であれば、スタッフの教育を考えるよりも日本人のトップがいて、その下で家族的な雰囲気を醸し出しながら仲良く日々の仕事を回してゆく。そのような規模の会社もまだ多い印象でしたので、人材教育というものについて深く考える必要がある日系企業も少ないのかもしれません。私の知るところでは、とある会社はアウトソース会社を利用して社員向けの専用サイトを作成し、従業員は年間決められた予算内で用意された訓練を自分で選択できる制度であったり、ロシア企業では、全従業員は週に1時間を必ず自分のスキルアップのための時間に充てることが定められている会社もありました。1年間=52週=52時間は必ず何らかの訓練に費やすこととなっていました。人材育成用の専門部署があり、ちょっとした図書室もあれば、従業員の相談を受けられるような部屋が用意されていました。自分が教育を受けるだけではなく、その1時間を他の社員のためにノウハウを教える講習会を自ら設定することもできます。それによって自分自身の知識を整理して資料を作成し、人前でプレゼンするスキルの訓練となるだけでなく、参加者も同じ社内のスタッフから学習できる。社内人材を活用した良い人材育成制度だなぁ、と感じていました。内容によって得点もつくようで、きっとそのポイント数が評価や昇進の指標に利用されるのかもしれません。

さて、人事部は人に関しての専門家である一方、所詮は一つの部門です。何百人、何千人といる従業員のためにできることは限られています。増して、企業の人事部の皆が従業員全体のことを考えて人材教育を熱心に推し進める人だらけか、というと、きっとそんなことはないはずです。会社全体の必要不可欠な人材育成方針を定めるものの、各人の必要とするスキルアップを深く理解して探し出すことには限界があります、たとえアウトソースの専門家も利用した上でも。これは大小問わずにどの企業についても言えるのではないでしょうか。

上述のスタッフからのコメントについては、最低限のことすら提供できていなかった私たち人事スタッフの責任もあることは否定できませんが、果たして個人でも必要と思う訓練を自ら探して提案していただろうか、と振り返ると疑問です。また、スタッフへのアンケートを取ると要望として挙がってきた訓練内容は最低限の英語スキルの向上、エクセル操作方法の訓練といったもの。そういった内容を会社から提供されることを待っている必要があるのか?自分の業務上必要なことはその場で学び、業務の中で実際に試し、失敗し、修正して学習することで自然と身につくものでしょう…と思う自分がいるのも否定できません。

また、あなたの人生でしょ、自分の成長を考えているのであれば自分の興味のあることを自ら見つけてきて、それを会社の負担でできないのか交渉してみるなどのやり取りができるんじゃないのかな?と。こちらからお願いすると彼らも調べて持ってきます。そういったやり取りをする中でスタッフ自らの力も借りた人材育成制度を皆で作り上げてゆく、そんな形が理想なのかもしれません。

健全なのは各人が自分の成長のために自ら努力してそれを会社がサポートすること。本来、会社はスタッフの成長を引っ張る義務は無いはず。従業員のことを「人財」と表現することは私が新入社員の時代から研修でも、他社のウェブサイトを見ていても目にする言葉ですが、突き詰めてゆくと自分の人生、自分の成長、自分の将来は結局自分で責任を持つしかない。会社は決して期待するほどに自分の必要のすべてをカバーしてくれるわけではないのだから。

これは真実だ、と経験から確信していることは、人は本当に必要だと自分で納得しない限りどんなに学習しても習得できないということ。習得できても期待するほどには成果が出ない。しかし、もし本人がそのスキルを必要だと心から認識するとその成果は莫大なものとなる。言い換えると、会社がどんなに体系的な研修を提供しても多くの人にとっては意味の無いものであって、人事部としてやるべきことをやりました、という事実を積み重ねているだけに終わってしまうのかもしれません。個々の人の心の奥底にある引っかかりをいかに汲み出すか、これは本当に難しいことだと実感しています。

各人が気づいていないのであれば、各人の必要を上司が汲み取り、上司がその必要を人事部にフィードバックをする。と同時にスタッフ個人でも自分に必要だと思う研修内容を調査し、人事部に共有する。人事部は(組織である以上は各人の言う要望をすべて受け入れることは難しいために)一定のルールの中でそのスタッフに研修参加の機会を提供する。人事部が主体となるのではなくて、主体的な人たちを陰で支える。本来あるべき人財育成はきっとそんなスタイルなんだろうな、と思っています。

身近なところで人事業務に携わっている同僚からは「会社の教育制度に不平不満を述べる人に見られる傾向は、会社には色々な制度が用意されているにも関わらずそれらを調べずに、”人事部は何もしてくれない”と受動的な人が多い印象だ。」と聞きました。印象的な言葉です。

今の世の中、待っていても情報が入ってくる世の中、会社でも何となく仕事が回っている世界だとすると、いつの間にか受動的な人を世の中は創り上げてしまっているのでしょうか。人材育成は本当に本当に奥の深い仕事です。

出したら片付けよう。(デスクトップ編)/ Let’s put it back where it was after using. (Desktop)

職場の会議で自分のパソコンを利用して画面共有する場面が幾度となく訪れます。画面がモニターやプロジェクタに映し出されて、その方のデスクトップが見えた途端に、「うっ…」となることがあります。デスクトップ上にあらゆるファイルが散乱していて、「えっとー…」と探すことに。どんなに身なりを整えていても、パソコンのデスクトップがごちゃごちゃしていると、きっとこの人の頭の中はこんな状況でタスク管理しているんだなあ…と思ってしまいます。デスクトップはその散乱の様子を実感することが難しいからこそ、各々のビジネスマンの素の姿を示しているのかもしれません。

デスクトップはあくまで一時的な作業場であること。基本的に何も保存しない。ファイルを使ったら元の場所に戻す。日常生活の中で当たり前に行っていることををそのままパソコン上でも行うだけ。

「使ったら元に戻しなさい!」小さい頃には親に怒られたものです。それを同じように自分の子供にも教えている。でも自分のパソコンのデスクトップは無茶苦茶な状態。子供に見られたら子供に何と言われるか想像するとちょっぴり怖い。パソコンのファイルの恐ろしさは、どんなに容量が大きくてもそれを目に見て感じ取ることができないこと。ファイルデータが重くなってきたらパソコン自体も重くなったり、パソコンの画面から何かが飛び出てくるような可視化ができたら面白いのですが。

デスクトップがファイルで溢れ返っているいるとしても、決してその人がいい加減な人だ、とかではなくて、実はそれで上手く回っているのかもしれませんし、その人が仕事のファイルの整理整頓をどれだけ重要視しているか、という価値観の違いでもあるのかもしれません。あとはただただ業務量が多すぎて抱えている仕事が多すぎる、ということも。

私としては、一週間の業務の中で継続して取り組んでいる仕事ファイルは常にデスクトップにあるとしても、その週が一区切りつくタイミングではデスクトップ上のファイルを整理する時間を取り分けることが重要だな、と考えています。どんなに忙しくても。結局、「ファイルが無い!どれが最新版だっけ?」と後で苦しむのは自分自身。そうであれば、その苦しみを避けるために日頃から定期的にチェックするタイミングを設けておくことで大きな事故を防げる。そのルールを固く守ろうと決意したのは、私自身が数々の失敗を経ているからでもあります…。

とりわけ管理業務で数値を管理する人間としては、仕事道具、持ち物、服装その他のものへのこだわり有無は全く関係無しに、ファイリングのルールは徹底するべき。所定のフォルダにマスタファイルを保存し、作業するときだけデスクトップに取り出して編集工する。更新したものを所定のフォルダに保存して古いものは削除するなり、分かるようにして保存しておくなりして整理整頓を徹底する。そこだけは絶対に崩したくありません。(どうしても忙しくて余裕がないと弱い自分が出てきます、それが人間です…。)

日本語のタイトルは好きになれません。英語のオリジナルタイトルは”The Personal Efficiency Program”とシンプルなもので、仕事の整理の仕方、タスクの管理の仕方などの技術的なことに多くの教訓をいただきました。数多くのハウツー本を読んできた中でこの本は今でも手元に置いています。時代の流れと共に、中身が古くなってきているかもしれませんが、その本質は今でも色あせることはなくお勧めの本です。

残業の真逆の評価スタンダード / The opposite evaluation standard for overtime work

日本の企業で働いている方なら同じことを感じる方が多いと思います。遅くまで残って仕事をしていると上司からの評判がよい、他の人も残っているのだから自分ももう少しだけ残って仕事をしようか、という気持ちです。

残って仕事をしている ⇒ 頑張っている ⇒ 仕事に打ち込んでいる ⇒ 素晴らしい ⇒ 心象も高くなり評価もしたくなる

でも、こんな考え方もあります。

残ってやっている ⇒ 仕事の遂行能力がない ⇒ 仕事が出来ない人間 ⇒ 評価できない

どちらが正しいのでしょうか?— 恐らく、両方とも正解だと思います。実際、私たちは自分の能力のレベルに応じて毎日の仕事を一生懸命に果たそうと努力しています。その人のレベルで一生懸命に努力している。優秀な従業員を基準に全ての従業員を評価すべきではありませんし、優秀な従業員には相応の報酬や立場が与えられるべき。決して処理能力は決して高く無いけれども真摯に努力している人がいる。そのような姿勢は評価されるべきでしょうが仕事の遂行能力がない、ということも事実。現時点ではそれ相応の評価に留まっても仕方ないかもしれません。でも、その努力を継続する時、将来に大きく花開く可能性が十分あります。(その頑張りを絶やさずに継続できること。これこそが大きな能力でもあります)

さて、ロシアで勤務していた当時ですが、終業時間になると、ほぼ残業せずにさっと帰ってゆく経理部門で働く女性スタッフがいました。その女性スタッフの上司は彼女を高く評価していました。仕事が早くて間違いも少なく正確だと。毎日定時で仕事を終えて帰ってゆく彼女に、「もっとできることがあるのでは?」と言うと、

「いつまでも残って仕事をしているのは能力がない証拠だ。早く帰ることは何も悪いことではない。やることをきっちりやっているのだから。」という答えが返ってきました。

全くその通り。

となると、なぜ会社に来て、終業時間までオフィスにいなければいけないのか、そもそもの就業時間の定義にも直結してくるテーマかもしれません。どんなに仕事をこなしても帰れない…いつまでも残らざるを得ないとすれば、これは能力だけではなくて、仕事の業務分担そのものに何か理由があるのも確かでしょう。オフィスにいると、どんなに早く来ていても、周りがまだ仕事をしている中を一人で帰るにもぺこぺこして帰宅する雰囲気。昔ほどではないのでしょうが、今でもそのような雰囲気は残っている気がします。何となくこの時間帯になるとぞろぞろと人が立って帰宅し始める時間帯のラインがある気もします。不思議です。

日本に帰国してタイムカードでの勤務管理に戻り、毎月の給与明細を確認するようになり、こう思います。残業代は重要だと。残業代を日々の生活費の一部として考えている人は少なからずいるだろうなと。その一方で、残業代を無くすと人の働き方はどう変わるのだろう?という関心があります。残業代を目当てにしてしまうと、決して高くもない残業代を得るために二度と帰ってくることの無い自分の時間が失われてゆく、という考えもできます。自分の仕事を終えたら退社する。その分自分への投資のために時間を使うことが有効だ、という主張は理解できます。難しいのは、自分で「投資」をしたとしても、それが将来に確実な報いとして返ってくる保証が無いこと。そのために自分のエネルギーと時間を費やし続けることに疑念を抱いてしまうことだってある。いつもポジティブな意識を保つことはアニメ、ドラマ、映画のようにはいかないのが実世界。どうあっても、最終的には、自分の人生は誰も代わりをしてくれない。自分のものである、自分が納得できる人生を送りたい、そのことを第一にして会社や仕事と向き合うべ木であると今は信じています。そう考えると、日々の仕事へ向き合う姿勢や無用な残業を避けるために集中して仕事に入り込むようになります。いくら同僚とのコミュニケーションが大切だと言っても、生産性のない話を30分以上も続けて、それでいて残業申請をしている人を見ると、会社のお金を盗んでいるのでは、と思いたくもなります。別の言い方をすると、ロシアへ行く前にはいつも周りの帰宅を見計らって帰り支度をしていたような、かつてはそんな受動的な私でした。

ロシアで勤務していた時には、終業時間を過ぎてもなかなか仕事を終えずにパソコンに向かっている部下がいると「さあさあ、もうこんな時間だ、仕事終えて帰ろうよ。」と呼び掛けていましたが、「XXXさん、まだ仕事が終わっていないからダメです。これだけは終えてから帰ります。」そんな回答が来ると感動してしまいました。とりわけ、周りからはミスも多くて仕事が出来ない、と評価されていたスタッフからそんな反応が返ってくると、内心では「偉い、頑張ってくれ、そして周りを見返してくれ」と応援している自分がいました。短期的には評価されずとも、その頑張りがいつか花開く時が来るかもしれません。いや、来ないかもしれません。それは誰にも分かりません。だからこそ人というのは面白いものです。短期的には評価が低くても長期的に見れば努力が実り見違える人もいる。一方で短期的には優秀でも徐々に能力が衰えてゆく人もいる。努力をしているのだけれどいつまでたっても実らないひとも。残業一つをとっても評価が180度変わってくる。結論が無いのですが、人って奥が深い。その一言に尽きます。

仕事のスキル自体は周りと比べれば劣っているとしても、社内に緊張感が張り詰めている時にその雰囲気を和らげる能力を発揮し、難しい場面でも自ら進んで協力してくれる。そんなソフトスキルも含めたトータルでのその人の”能力”が正当に皆に評価されるとステキな会社になりますね。上述の周りの同僚からの評価が低い女性スタッフはそんな女性でした。

※私の知る限り、ほとんどの剤モスクワ日系企業は法律で認められている、Irregular working hoursシフトを採用しており、それは最低3日間以上の有給休暇を従業員に付与することで残業代の支払いを免除されています。ですから、従業員にとっても残業をする意義が日本に比べて全くありません。仕事はあくまで生活を支えるために資金を得るためのもの。仕事をあるべき場所に置いて、それ以上に家族との時間や自分の好きなことに費やり生活を充実させる — これが本来あるべき私たちの生活のはずだと思うのですがいかがでしょうか。

モバイルモニター(UNIQ UQ-PM15FHD モバイル液晶モニター プロメテウスモニター タッチパネル機能付)、おすすめです

家でモバイルモニターを利用しているところ。家の中でもかんたんに第二、第三の仕事場を作れます。ぜひお試しあれ。

今、使用しているモバイルモニターはUNIQ社の15.6インチモニター、UQ-PM15FHD。サイズは決して大きくないのですが重宝しています。モニター用途の一つの重要性は、通常デスクに置く大き目のモニターでエクセルを操作するだけでなく、手元に置き、ノートをめくる感覚で資料をスクロールできること。この点で、モバイルモニターは電源をPCから取るのでケーブル一本だけで済むこと。製品自体も決して重くはないので持ち運びが容易であること。カフェや外でパソコン操作する時にもかさばらずに持って行って利用できます。家の中でも、メインの仕事部屋以外でパソコンをいじっていて外付けモニターが欲しいな、というちょっとした時。このモニターをUSB-Cケーブル一本でつなげると、そこに仕事場が生まれます。

製品スペックの詳細についてはこちら

家では他に大きなモニターも利用していますが、このモニターの使用頻度は高く、とりわけ気に入っています。

この会社のオンラインショップを見ると、ユニークな商品を取り扱っていました。こんなものがあったらいいな、というものがさらにこれからも世に出てくることが楽しみです。

モスクワで勤務していた時には、タッチパネル機能が無いモバイルモニターを購入し、オフィス内で場所を変えながらパソコンと一緒に持ち運んでいました。タッチパネル機能を必要とするかは人に依るものと思います。実際のところ、私の意見ではタッチパネル機能ががあるからこそモバイルモニターの良さが生きるのかな、と感じています。手元で自由に動かせる。ウェブサイトも上下に手で自由にスクロールできる。メールもマウスを使わずにササっとと過去のメールをスクロールできる、便利です。この手元でのノートや本のような操作感覚でモニターを使う、これがポイントです。

この商品の後にも良い商品が次から次へと発売されていますし、他社製品と複数のモバイルモニターを比較したわけではないため、この商品がベストです、と断言することはできませんが、使用してきた経験に基づけばこのモバイルモニターはおすすめできます。画素数も高く、ウェブサイト閲覧やメール、エクセル、ワードといった、仕事で使用するアプリケーションの利用などには十分の機能を持っています。

タッチパネルの有無は人によって重要ではないと思うのですが、モバイルモニターに関わらず、私自身にとってはタッチパネルの機能は重要です。ノートに代わるものであるPCを少しでも直感的に利用するために自分の感覚で画面操作ができ、マウスのカーソルがどこに行ってしまったか分からない時には画面をタッチすればひとまずそこにカーソルが戻ってくる。思うように画面の大きさを拡大・縮小できる。キーボードでの操作もできるし、空いている手でも操作が可能。今のところ個人用として愛用しているMicrosoft社のSurfaceシリーズの画面の綺麗さ、タッチパネル機能を越える他社製品に出会ったことがないのですが、次回の買い替えの時には内を選択するか、今では選択肢も多くなっており楽しみです。

IT機器はYoutubeでも多くの方々がそれぞれの観点でお勧めの商品を勧めていますが、まずは自分のIT機器の活用方法を整理して、自分にとって大切なものはなにか?この点を明確にすることが大切だと感じます。人の意見に流されずに自分にはどんな機能があったら嬉しいだろうか、どのように活用したいか、この点をよく吟味したうえで、相応しいものを選ぶ。どんなに大勢の人が勧めているからといっても、必要のない全く使用しない機能だらけの機器を購入するのは何だかもったいない気がします。また、個人用のパソコンは会社支給のパソコンとは違って自分で選べるもの。所有していて、見ていて、実際に使っていてワクワクする — そんなデザインの部分もけっこう重要だったり。そんなわけで、私自身はデザインも素敵で、タッチパネル機能付きのこのモバイルモニターに買い替えて正解でした。