“本物の”パンが日本にはない? / There is no “real” bread in Japan?

ロシアの生活と比較して異なるのは、パンそのものの味を味わえるパンがないこと。どのお店にいっても大抵のパンにはミルク、マーガリンなどが入っていて甘い。そんな印象です。そういえば、初めて日本に来たロシアの友人も「どこで買ってもパンが甘い」と言っていたことを思い出します。ロシアにいる時には好んで食べていた黒パンが懐かしい…。

私はパンに詳しいわけでもなく、強いこだわりがあるわけでもないのですが、あえて言えば食パンは何も甘いものがはいっていないものが好きです。日本の食文化のレベルの高さからすると、パンもきっとこだわりを持って作るお店が多く、そのどれもが美味しいに違いないと思います。実際に高級食パンのブームが話題になったこともありました。確かに美味しいのですが、どうしてもこうも甘いのだろう?と。今朝も近所で話題のパン屋さんへ出かけて中に入ってみると、ありとあらゆる菓子パンが並んでいました。

そもそも、”本物の”パンなんて存在しないのかもしれません。日本のお寿司も海外に行けば違うネタがのっていて、それはそれで美味しいですし、日本の本場のお寿司屋さんで提供されるものが本物か、というと必ずしもそうではないのかも?パンも日本に入ってきて、日本の食文化の中で日本の人々が好む形に合わせて発展を遂げてきたということなんだろうと。

時々利用しているパン屋に出かけたときのことです。ちょうどお客さんも少なく、前から気になっていたことを率直に尋ねてみました。「ライ麦パンっていうんでしょうか、自分は黒パンが好きなんですが、そういったパンをお店に置いたりしないんでしょうか?仕事で外国に行っていたことがあるんですが、帰国して思うのは、どのパン屋さんのパンも甘くて素朴なパンの味がするものがないんですよね…。どれも甘くて…。お店にあったら絶対に買うんですけどね。」

そうすると、思ってもみなかった反応があり、滔々と胸の内を語ってくれました。決して長い時間の会話ではありませんでしたが、パンに対する思いやビジネスとしてお店を経営すること難しさも言葉から伝わってきました。

「パンを作る側としては作りたいものがあるの。でも、多くのお客さんが菓子パンを好むこと。できるだけパンも柔らかくて甘いものを好むこと、そしてパンには具がたくさん入っているように、という要望があって。お客さん(私のこと)が言うようなパンも以前は作っていたことがあるのだけど、買ってくれるのはほんの一部のお客さんだけで難しい。結局今店頭にあるものを作るしかない。本当は作りたいんだけどね。こちらも商売でやっている以上お客さんが求めるものを作っていかないと…。」

という内容を繰り返し語ってくれました。

もうずっと昔のこと、学生の頃にはロシアへ語学留学にでかけて、当時は(味を覚えていませんがきっと美味しくはなかった)黒パンを買って、これがロシアだ、なんて思っていましたが、実際のところ、今のモスクワ(私がいた数年前のモスクワのパン屋)で販売されている黒パンはむしろ高価でとても美味しいものでした。

冒頭に張り付けたYoutubeの動画は、たまたま見つけたロシア生活を紹介する動画のパン屋さん編。パン屋と言ってもたくさんの種類がありますが、この動画に写っているパンの種類はモスクワでも必ずと言っていいほど目にするものたちばかり。ロシアのパン文化は、国が南はカフカス地方、東は中央アジアなど異なる文化と接しており、それだけ多様な種類のパンと出会えるのがまた独特なのかもしれません。動画にも出てくるハチャプリ(ジョージア発祥のパン)、ラバッシュ(アルメニア発祥の薄い生地のもの。これをパンというのか分かりませんがアルメニア人のお宅に行ってご馳走になる時には大体これがテーブルにあったように覚えています)。中央アジアの方面でいえばлепешка(単数形:リピョーシュカ)。当時は、職場近くにある市場によく買いにでかけていました。なかなか上手く発音できず、お店の若者によくからかわれていました。通ううちに完璧に発音できるようになり「おっ、お前ちゃんと言えるようになったな」と褒められたり。

USB Type-C端子を利用してACアダプター接続端子からノートパソコンに給電する方法(変換ケーブル)

現在の販売されているノートパソコンは、USB PD(Power Delivery)規格に対応しているものがほとんどと思います。USB Type-C端子がパソコンに備わっていれば、パソコン本体への給電が可能となり、パソコンに付属して付いてくる重いACアダプター充電器を持ち歩かずに済みます。会社で使用しているパソコンも時と共にバッテリーの持ち時間が短くなり…。会議のたびにアダプターをコンセントから外して持ち運びするのは面倒です…在宅勤務ともなれば、毎回重たい思いをして充電器を持ち帰るのも億劫になります。

そんなわけで、Type-C端子経由でパソコンに給電するのがお気に入りです。が、ふと、「ずっと利用していないACアダプター専用端子を何かに使えないものだろうか?」と。検索してみると実際にありました。こんあ面白い商品を考えている人たちがいるのだなぁ、と尊敬します。

購入してみました。実際に使用している様子はこんな感じ。

外付けのディスプレイはType-C端子で接続しており、給電にはこの変換ケーブルを利用しています。(なお、このケーブルはパソコンメーカーごとに異なる種類のものが発売されています)

ただし、よくよく考えてみると、私の知る限り大概の外付けディスプレイには二つのType-C端子が付いているので、コンセント ⇔ Type-C端子・ケーブル ⇔ 外付けディスプレイ ⇔ Type-C端子・ケーブル ⇔ パソコン本体、と接続すれば給電も可能です。ですから、この変換ケーブルは不要といえば不要です。それを考えずに「これはいい!」と購入してしまったのは軽率だったかもしれません…。私の場合、Type-C端子を利用するのは外付けディスプレイを接続することがほとんどですので、この変換ケーブルが無くてもそれほど困ることはありません。

それでも、時には上の写真のように繋いで本製品を楽しんで利用しています。専門的なIT機器全般のことはあまり詳しくありませんが、色々なアイディアから生まれるIT周辺機器がこの世に生み出されるのを見るのを楽しんでいます。

ロシア人が見た日本人ー日本の礼儀正しさについて / The Japanese through the eyes of Russians – about Japanese politeness

NHKロシア語ラジオ講座の6月号の中で、日本人講師と一緒に講座を担当しているロシア人パートナー、「イリーナさんに質問」というコーナーで「おっ、自分が帰国して感じていることがまさにここにある。」と感じたコメントがありました。(なお、6月号の「ロシア人が見た日本」は、1861年に箱館のロシア領事館に赴任して、約半世紀を日本で過ごした宣教師ニコライ氏の日記が取り上げられていました)

「日本の礼儀正しさ…は、極端に、丁寧すぎるくらい丁寧なのですが、その丁寧さは機械的に身に付いたもので、心がこもっていないのです。…その礼儀正しさにはとてもいらだつし、からかわれているようにも受け取れます。」

私が感じるのは、大概のお店の店員の態度は、言葉そのものは丁寧さがあるものの、その言葉には感情がこもっていない。どこかしら早く行ってくれという雰囲気すらある、というもの。 

近所のスーパーのレジに並んでいても、決まった動き、決まった「ありがとうございました。またお越しくださいませ。」の言葉。お辞儀をしながら体勢はすぐに次のお客さんのもとへ。何かを期待するわけではないけれど、ロシアのスーパーで淡々とレジでモノをさばく接客のほうがずっとシンプルな気がする。支払いでこちらが戸惑ってしまうと迷惑そうな顔。ポイントカードの提示が遅いと(といってもそこまで遅くはない)イライラ度が募っているような雰囲気こちらにも伝わってくる。 

意外にも、時として日中に利用するファストフード店で接客をしてくれているレジの高齢の女性。スピードがとても速いとは言えないけれど、温かみをずっと感じる接客に微笑ましくなることがある。 その接客にはお店の接客マニュアルに収まらない、人生経験の豊かな人のどんなものをも包み込んでしまう大らかさがそこにあるように感じられます。

以前にモスクワで勤務していた時、モスクワJALによる“日本のおもてなし”の講習会を開いていただいたことがありました。日頃から利用いただいている日系企業の皆さまに無料で提供しています、ということでオフィスまで来ていただき、広い会議スペースで社員を集めて日本のおもてなしとは、を学びました。日本の文化に触れる点では価値があったことに間違いありません。お辞儀には角度があり角度が大きくなるほどより敬意を示す度合が大きくなること。お店でお客さんが購入してくださったときに袋の口をふさぐテープの掛け方。テープをかける際にはお客さんがあとで取り出しやすいように片側の端は接着面を重ねて止める。そのような細かい配慮が日本のおもてなしだという。率直な感想を話すならば、そのような形にこだわるよりもそこの感情が伴っていなければどうなのだろう?と。形だけのおもてなしで中身がなければ、余計にがっかりしてしまう点で日本のおもてなしは紙一重なのかもしれない。

ところで、ファストフード店でも牛丼屋でも注文したものが運ばれてきたときの店員の言葉は「ゆっくりお過ごしください。」しかし、お客さんにずっと長居されると困るのが本音であることは周知の事実。そうであれば、「出来立てです、どうぞ熱いうちにお召し上がり下さい。」といった別の言葉にしたほうがずっと正直で良いのでは?と思うのは私だけでしょうか。言葉の意味を考えてしまうと違和感を感じてしまいます。 

モスクワの中心、赤の広場に接するレストランで大切なお客様を接待したときのこと。テーブルを担当するウェイターには、全てがうまく運ぶように事前にお願いをしておき、実際に食事の場は我々の会話が大変スムースにはずむ素晴らしい接客を行ってくれた。支払いの時、この若い男性は「今日、自分は出来る限りのことをしたのでその点も考慮してください。」と耳元で伝えてきた。ここまで直接的に言われたことは初めてで一瞬戸惑ったけれど、それだけのことをしてくれたことに対して直接訴えてくるほうがずっと潔いのかもしれない。実際にそれだけのことをしてくれたことに対して感謝を示したいと思うのが自然だと思うし、そこには顧客のために仕事を全うするプロフェッショナルな姿勢と感情もあった。

そういえば、こうして書いていて思い出されるのは、夜に外のテラスに座っていた別のレストランでのこと。照明も少なく暗い中でパソコンを開いて仕事をしたのだが、何も会話していないのにも関わらず、ウェイターがわざわざ別の場所からライトのスタンドを運んできて明るく照らしてくれる配慮もあった。すべてのレストランで常にベストの接客に接するとは限らないし機嫌の悪い人は悪い。それでも、今回はどんな接客が待っているのだろう、とハラハラドキドキ(?)の接客のほうが、安定してはいても機械と化した人間の接客を受けるよりもずっとよいのかもしれません。

日本人の礼儀正しさは…、極端に、丁寧すぎるくらい丁寧なのですが、その丁寧さは機械的に身に付いたもので、心がこもっていないのです。

NHKラジオ講座6月号 p.120より(ロシア人パートナー、イリーナさんの言葉)

レストランの接客と一般のスーパーでの接客を同じ土俵で比較することは間違っているのかもしれませんが、接客ももっと自由で会話のある自然で人間的なものになれば良いのに、と日頃感じていることを書き連ねてみました。自分自身を客観的に振り返ってみて、自分自身にも出来ることがあるのかな、とも思います。会話はそもそも苦手ですし、なかなかその余裕もないとしても、こちらが感情を込めてしっかりとお礼を言う。今すぐにでもできることから日々努力中です。

ロシア語学習のすすめ ー DuolingoとNHKラジオ講座 / Recommendations for learning Russian language -using Dulingo and NHK Radio Course

5月に入ってから、10年ぶりだろうか、久しぶりにNHKロシア語ラジオ講座の教科書を購入してみました。近所の書店に入り、店頭に並ぶ各言語の教科書の数を見ていると、ロシア語だけが残り少なくなっている。もしかしてロシアによるウクライナ侵攻が引き金となってロシアが注目されることにもなり — 幾つかの書店を回るといずれもロシア特集コーナーが設けられていました — ロシア語を学んでみようと思う人が増えたのだろうか?と思ったり。たまたま入った書店で、たまたま見かけた光景だけで判断はできないのですが、ちょこっとだけでも言葉に触れてみようかな、と思う人たちが増えても不思議ではないのかもしれません。

Duolingo

NHKのラジオ講座の話をしているにも関わらず最初に書くのはDuolingo。只今はまっています。以前から気になっていた中国語を少しずつ勉強すべくDuolingoの無料版で毎日少しだけ学習を初めてみました。せっかくならロシア語も、と思い始め続けて約2か月。毎日の連続学習記録を絶やさずに間もなく連続60日を突破しようとしているところ。すっかりDuolingoの良さに魅了されている現状です。

Duolingoは、詳しくはインターネット上で検索するとYou tubeなどでも詳しく紹介されていましたが、可愛らしいキャラクターや、一度もレッスンせずに一日を終えようとするとリマインドメッセージが届いたり、他の登録者とのランキング競争で自分の順位が降格圏内に入ってしまうと警告メッセージが表示されたり。毎日レッスンすることをモチベートしてくれる工夫がそこかしこにされています。

ロシア語レッスンは日本語ユーザー向けのコースがなく、English speaker向けを選択せざるを得ません。そんなわけで、ロシア語文章を英語に翻訳する際に形容詞をどこに持ってくるか悩んだり、単語の並びが入れ違いになってしまって間違いを重ねたり。日本語で学習できる中国語よりも英語でロシア語を学習する分だけハードルが高いです。一つ一つの課題は短いものですが、曖昧な理解に留まっていた単語の格変化を正しく理解しなおすこともできますし、レッスンの中で間違えた箇所が必ずもう一度最後に出てきて、正解するまではレッスンを完了できない。お手本の音声に従ってフレーズを声に出して、正しく発音できていないとクリアできない音読の課題もあります。短い中にも工夫満載だと思います。時にロシア語を話す友人とZoomで会話する時には、思ったよりも口が動くことから、きっとDuolingoのおかげなのかも?なんて考えることもあります。

ちょっとした隙間時間で勉強できるのはDuolingoの大きな強みの一つではないでしょうか。毎日たったの5分としてもそれを毎日継続すればきっと目に見える成長を感じる日がくるのだろうか、と思いながら…。なお、Duolingoを長いこと利用していてDuolingoを勧めているYoutuberのチャンネルを見たところ、「Duolingoの学習に毎日15分は費やすようにしている。ある程度の進歩のためにはそれぐらいの時間は最低必要だと考えている。」という発言がありました。なるほど…。この15分は短いようで長い。続かないこともあります。成長するためには毎日の継続の大切さが語学に関わらずあらゆる分野にも共通して言えること。しかし、たとえすぐに話せるチャンスも必要性もないとしても、たとえ一緒に学ぶ友人がいないとしても、いつか話せるようになるために先の見えない新しい言語の勉強を継続するのだ。…そんなモチベーションが持続しない場合もあるかもしれません。わずか15分のNHKの語学講座でもだんだんと15分も無理。となってしまうことも十分起こりえます。そんな時には無理することなくDuolingoで毎日5分もかけずに語学の勉強。そして、仕事の休憩時間を利用して少しずつレッスンをクリアすれば、1日の終わりには合計15分以上の勉強をしていることもよくあります。そして毎日継続できていることで達成感も感じられます。お勧めです。

NHKラジオ講座テキスト

私の場合は、包み隠さずに言えば、NHKのテキストを手に取るのは用を足す時の読み物として利用することが多いかもしれません。NHKの語学講座は、文法の説明も丁寧にされていて、大学1年生の頃に習ったロシア語講義の内容を復習しているかのようです。今読み返すと、やっぱりロシア語は難しい…そう思います。

高いモチベーションを持っていないと一人で毎回のラジオ講座15分を継続することは大変ではないだろうか…と。そんな中、ロシア語5月号で面白かったのは、テキストの後半にある応用編。テーマは”ゴンチャロフが見た日本“。「1853年にロシア艦隊4隻が長崎に入港して、その後1年半に及ぶ日ロ交渉が始まり…旗艦パルラーダ号に乗っていたのが、作家のイワン・ゴンチャロフ…。長崎での交渉が終わると、ゴンチャロフは任務を解かれて1855年2月にペテルブルクに戻ります。…彼はすぐに旅行記を雑誌に連載しはじめ、「日本におけるロシア人」と題された章は、特に評判になりました。…ゴンチャロフは初めて出会った日本人の様子を、時には辛辣に、時にはユーモラスに、見事に描き出しています。」(参照:NHKテキスト まいにちロシア語5月号85ページ)この5月号に紹介されている文章は、この章からの引用のようです。単にロシア語の勉強というよりも、昔の日本を紹介する当時のロシア語文献から当時の様子を知ることができる。これを読むだけでもロシアと日本の結びつきや歴史を知るきっかけになり楽しく読んでいました。大学時代にはNHKのラジオ講座テキストを購入してもほとんど開かずに積みあがっていくことが多かったのですが、年を取ってからは自らの意思で率先して開くNHKロシア語テキスト。それは、貴重な知識の宝庫で、こんな軽くて薄い本の中にこれだけの面白い内容が詰まっていることに感動を覚え、やっぱり言語を学ぶのって楽しいな、と認識しています。

おすすめのロシア語辞書 / Russian dictionary which I would recommend

今のロシアは、そしてこれからも、現在の政権が存在し続ける限りロシアビジネスの将来は無いのだろうか…一体今後どうなってしまうのだろう…という暗く、どんよりとしたロシアの景色しか浮かんでこないこの頃。ロシア語の需要は果たして今後も存在するのでしょうか。モスクワで通訳をすることで生計を立てていたロシア人にとって欧米や日系企業のロシアビジネスからの撤退や事業停止はとてつもなく大きな衝撃に違いありません…。

最近は、ウクライナ情勢を巡ってウクライナにいる友人と連絡を取ることが多くなりました。定期的に届く現地の悲惨な状況と、それを遠くの世界で起こっていることのように伝える平和な日本。そのギャップに戸惑いを感じつつ、限られている中で自分にできることを細々と行う日々です。

ロシア語でやり取りをする機会も増え、自分のロシア語の未熟度を知る機会ともなっています。以前ですが、ロシアに手紙を出したい、という日本の友人からの手紙をロシア語に翻訳したところ、その文章を見て「意味は伝わるけれどもロシア人だったらそんな表現はしない」と笑われてしまったこともあります。「いや、あえて外人が頑張って書いたロシア語にこそ価値があるんだ!」と言い訳をしましたが、やっぱりロシア語の美しさが伝わるような表現ができるようになりたい、と思います。どんなに辞書で調べて単語を習得したとしてもネイティブのような表現方法をするには到底及ばない。難しいです…。

大学時代に習ったロシア語。文法でぶつかる壁と言えば格変化。学生時代には、シュセイヨタイゾウゼン(主格、生格、与格、対格、造格、前置格)と機械的に覚えましたが、今でも単数形、複数形の場合、男性形と女性形の場合とでどっちだったっけ…?と悩みます。

モスクワで勤務していた際、ロシア人スタッフが頻繁に利用していたオンライン辞書は以下のものでした。不思議と、一人だけでなく、別のスタッフと会話していても同じサイトを開いていたので、きっとこのサイトの使い勝手が一番高いのだろうか、なんて思ったことを覚えています。

https://www.multitran.com/

インターネットでオンラインロシア語辞書のおすすめをパッと探したところ、以下のサイトでいくつかのオンライン辞書が勧められていました。(先ほど記載の辞書もその一つとして挙がっています)

私のおすすめの辞書

自分自身の勝手な好みで判断していますが、いろいろな辞書を探す中、現時点では以下の辞書が一番のお気に入りです。

https://kartaslov.ru/

先ほどの格変化の例で言えば、以下のページを開き、調べたい単語を入力すると全ての格変化の形がパッと表示されます。

https://kartaslov.ru/просклонять-существительное/лес

ウェブサイトの構成も分かりやすく、類義語や他の単語との組み合わせパターン、その単語の使用例をロシア文学の中や有名な人の発言からの引用といった有益な情報も載っています。

単にロシア語を浴びるように聞いていても上達しないけれども、かといって教科書を開いて文法の勉強だけをしていてもやっぱり上達しない。それは義務教育で学んだ英語学習で証明済み。駐在員時代に面白かったのは、学生時代にロシア語を専攻していてモスクワに派遣されて仕事をしている人たちの中には、必ずしも一生懸命に勉強を学生時代にした人ばかりではないこと、そしてそのような人が流暢にロシア語を操るようになっている、ということです。

私には何が最も適切な学習方法なのかは分からないのですが、いろいろな方法を試しながら、それをしばらく続けてみて自分に合っているのか合っていないのかを検証してみる。そして自分に相応しいと思う学習方法を身に付ける。外国語学習はその作業の繰り返しでしかないのでは、と。定期的にロシア語に触れて、声に出して読むこと。これを毎日続けること。短い文章でも大丈夫。これが私にとって今のところベストかなと思っています。たった5分、といっても、毎日5分続けること自体がかなりのチャレンジであることを実感しています。そして声に出すことで、その言語を話すときの筋肉の使い方を覚える。頭の中で黙読して読み進めることと声に出すことには、とてつもなく大きな大きな違いがあると思っています。

さて、お気に入りのオンライン辞書で”россия(ロシア)”という単語を入力して検索したところ、以下の引用句がヒットしました。

Иногда кажется, что Россия предназначена только к тому, чтобы показать всему миру, как не надо жить и чего не надо делать.

Пётр Яковлевич Чаадаев (1794–1856) — русский философ

(時々思うのだが、ロシアは世界中に対して、どのように生活すべきではないのか、そして何をすべきではないのかを示すためだけの運命にあるように思われる。)

100年以上も前に語られた言葉ですが、現在のロシアに照らし合わせてみたとき、どのように皆さんは感じられるでしょうか…。

どんな大変な時でもちょっとした喜びや美しさに気が付く心を持つことの大切さ / The importance of having a heart to notice a little joy and beauty in any difficult time

キエフを逃れてウクライナ西部に避難している友人から届いた動画からの一場面。あちらでも春がもうすぐそこまでやってきているようです。カメラのピントが合っていればもっと良かったのですが…

今週の月曜日。長らく連絡を取っていなかった友人からボイスメールが入っていました。モスクワにいたときには、いつも陽気な姿しか見たことがなかったウクライナ人の彼の声は疲れていて、暗い声で「先週、キエフから何とか電車で脱出してウクライナ西部の町にやってきたところだ。キエフはロシア軍に包囲されたと聞いていて、現時点では今のところキエフを脱出するのが困難なようだ。キエフの若者たちは最後まで戦って街を守る用意が出来ている。事態は非常に深刻だ…もし武器を持たない一般市民がこのまま脱出できないとなると多くの市民が犠牲になってしまう…。」とのこと。その後…久しぶりに直接会話をすることができましたが、逃れた町はキエフに比べればずっといいけれども、ここでも爆撃があり、空襲警報が鳴る度に地下に避難してはまた地上に戻る…その繰り返しだ、と。

その後、受け取った動画には、「こんな非常事態だからこそ、喜びや、美しさに気が付く心を持つことがとっても重要だ、ほら見てごらん」と言って、今にも咲きそうなつぼみを付けた花の様子を送ってきました。

今はまだ平和な日本に住んでいて、日頃抱える問題がありますが、自分の住まいを突如として捨てて逃げなければならない、これほどまでに大変な状況の中でも逞しく、逆にこちらを明るく、励ましてくれています。同じ事象をどのように捉えるかで物事の見方はポジティブにもネガティブにも大きく変わるもの。今見えている目の前の一つ一つのことを前向きに見るだけで景色がすっかり変わるかもしれません。彼とのやり取りからまた一つ学びました。

「どんなものでもよいので、気持ちが明るくなる写真とか動画を送ってくれ!」という彼の言葉に応えようと、自分自身も仕事の合間に身の回りの自然の美しさや動物たちに目を留める機会になりました。在宅勤務の休み時間には家の近くを自転車で走ってみると、梅も花をつけています。風も暖かく感じられます。冬には聞こえてこなかった鳥のさえずりも。春もすぐそこに。

人の数だけある物語を乗せて走るシベリア鉄道 / The Trans-Siberian Railway runs with every own life story of passengers

日頃、定期的にロシアや旧ソ連にまつわるニュースをチェックするのに欠かせない、お気に入りのニュースサイト、Настоящее время(英語:Current time)。その別チャンネルでドキュメンタリー動画を流しているНастоящее время.Док。ここでまた一つ素晴らしいシベリア鉄道に関する動画を見つけてしまいました。ウラジオストクを出発してモスクワまでの7日間の旅のドキュメンタリー。そこに居合わせた人々が語るそれぞれの人生の話を伝えています。

この動画の一番頭にあるコメントに全く同感です。「どれだけの多くの人に…その一人一人に自分の物語があるのだろう、想像もできない。 これは素晴らしい! すべての人が幸せでありますように。」

Получается правда что жизнь только в столице?(良い生活ができるのは首都(モスクワ)だけというのは本当?)というと問いかける男性。とても深い質問だなぁと。モスクワで働いている時、地方から出てきて勤務していた若い女の子が退職してゆきました。「これ以上モスクワで生活は出来ない、地元に帰りたい…。」と言って。金銭的に生活が厳しかったのか、モスクワでの生活リズムや人に疲れてしまったのかは分かりませんが、当時、彼女の言葉からは後者のように感じ取りました。このドキュメンタリーに出てくる車両で働く若い女の子は、初めての首都モスクワを訪れることについて「気に入る人もいればそうでない人もいる。私は全く好きになれない」と。別の女の子は、「今の時代、ほとんどの人は飛行機を使う中、まさか自分の休暇を7日間列車でモスクワへ向かうとは考えもしなかった。純粋に(モスクワの)赤の広場を見てみたい。とても興味がある。」良い生活とは?幸せとは?…答えはそれぞれの人によって異なります。ライフステージも変われば自分自身の中での定義も変わってきます。モスクワを見た後の彼女たちの人生はこれからどのように動いてゆくのでしょうか?

ウラジオストクよりも東に位置する日本からモスクワへ行くにしても飛行機であっという間の約10時間。そんな中、7日間かけてモスクワへ向かうというのは、飛行機が苦手な人、航空券が高いので少しでも安く移動したい人(ウラジオストクーモスクワ間の列車チケットの現時点での値段を調べてみたところ、一番安いものでは約10千RUB(今のレート換算で約15千円)となっていました。)国の福利厚生制度の一環で無料で座席を提供される軍人や鉄道関係の従業員、そして列車ならではの旅の醍醐味を満喫したい人といったところでしょうか。「自分の家族は今日、モスクワに飛行機で到着している。家族は飛行機が好きだけど俺は列車の旅が好きなんだ。美しい自分の国をみることができて、多くの人たちとの交流を楽しめるから」

列車の旅となると、自分の空間というものは無くなります。トイレ、シャワーは共同、食事は持ち込んだものや途中で止まる駅で食事を販売する人たちや、駅のキヨスクで調達したり。周りの人たちと打ち解ければ夜は宴会に。静かに眠りたい時でもどこか別のところでは騒がしい所も。といってもロシア人=全員がよくしゃべるわけではなく、この動画に出てくるのは快く応じてくれる人付き合いの良い人たちだろうと思います。それでも、相手の懐に入ってくるまでの時間、距離感は日本よりもずっと短いもので、大概話題に挙がることの中には「給料はいくらだ?日本の年金はいくらか?お前の名前にはどんな意味があるんだ?日本人、中国人、韓国人はどうやって見分けるんだ?日本製品はどれも最高だ!」こんな話で盛り上がることが多かった気がします。昔も今もJapanブランドはまだ高いものがあります。この点では、ロシア人との会話では、日本を売りにして現地の方々と親しくなるチャンスです。最近では私も全くついてゆけない日本のアニメをロシアの友人が知っていて逆に教えてもらうことも…。

飛行機では各自がイヤフォンをして映画を見たり眠ったり本を読んだり。合間に食事がありうとうとしていたら気が付くと「この飛行機は間もなく目的地のモスクワに到着します。必要な方は今のうちにトイレを済ませておき、席にお座りください。」とアナウンス。一方の列車の旅は、乗っては去ってゆく人々との出会いと別れ。そこで聞ける話から”本当の”ロシア、多くの一般のロシア人の生活が垣間見えるなぁ、とつくづく思います。

鉄道関係で12年間働いていた男性は、肉体的にも大変な仕事で給与は30千ルーブル(今のレート換算で約46千円)。「辛い仕事だった」と。その隣に座っている女性が「今、仕事のパートナーとぶつかっている。私にとって仕事は1番目でもなく、2番目に大切なことでもない。旅行したり、人と交流したり、精神的にも成長したりしたい。彼はよく”まず仕事、(他の)生活のことはその次だ”というフレーズを口にする。けれども、それがうまく行かないことは分かってる!」駐在員として働いていた頃、就業時間になると「じゃあ、また明日!」といってササっと帰ってゆくスタッフ。当時の私が、この動画の女性が不満をもらしている男性と重なってきました。あの経験があって今の自分がいます。仕事も重要ですし、仕事も充実していますが、仕事を人生の第一、と断言してしまうとすると、それは危険ではないでしょうか。

1年半前に父親が亡くなり、間もなく40歳を迎えるという女性は「(父親の死を経て)生活を一変させた。今現在を生きないといけない。なぜ明日に延ばさないといけないの?明日は来ないかもしれないんだから。」と断言。長いこと鉄道での旅をしていなかったのでシベリア西部にある都市チュメニに旅行することにしたようです。

ノヴォロシースクへ移動することにしたという夫婦は、「子供たちが成長して巣立っていった。それでとある日、朝起きて考えた、全て投げ捨ててしまおう、全て売り払って後にしてきた。どうして一つの場所に留まっている必要がある?(ロシアの)土地は広大だし、子供は育っていった、どうして自分たちは前に進まない?神様が人間に土地を与えてくれた、ほら、全部の土地は人間のもの、と。一つの場所に留まっていてどうする?菜園を持ち、アパートを保有し…。それがどうした、(列車の窓から)幾つもの村落を見てきたけれど、そこに住んでいる彼らは何か(新しいものを)見ているか?何も見ていない、まだ人生があるのだから(違う土地に行って人生前に進もう)」自分自身を鼓舞するための言葉でもあるように感じられますが、幾つになっても新たなことに挑戦し続けようというこの精神にはただただ勇気を奮い起されます。過去に築いてきたものを守る気持ちではなく、常に新しいものにチャレンジし続けられる精神でいたいものです。

こんな一コマだけでも、あらゆる人の物語を乗せて走るシベリア鉄道の魅力が伝わるのではないでしょうか?言葉は分からないとしても同じ人間。その考えていることは私たちと大きく変わらないようです。(旧ソ連圏とロシア間のように国境をまたぐ移動も決して珍しいことではないことを考えると、行動するときの移動の規模は日本とはけた違いですごい…)この動画を見ていて私自身、ずっと昔の学生時代に同じように旅をしたウラジオストクーモスクワ間の往復二週間の旅を再び振り返る機会となりました。あの時に出会った家族、夫婦、おばあちゃん、今頃みんな幸せに生活しているのだろうか…そんなことを想像しながら当時の写真を取り出してきて眺めていました。

様々な人生と思いが交錯するシベリア鉄道の旅を懐かしんで / Recalling the journey of the Trans-Siberian railway running with people’s life and thoughts on various things

”Onliner” https://www.youtube.com/user/onlinerby

最近お気に入りのYoutubeチャンネルです。チャンネルの説明文にはこうあります。「こんにちは、これはOnlinerチャンネルです。 「小さな」人の運命について物語る映画を作っています。 群衆の中に隠れてしまって見えないかもしれないけれど、彼らのストーリーは常に痛々しいほど自分たちに親しみやすく、近しいもの。 私たちはそのことについて考えたことや、切望したこと、問題にぶつかったり、克服してきたり、できれば避けたいと思っていることがあります。 これらすべては私たちの映画にあります。

このチャンネルでは上記のテーマに相応しい登場人物が取り上げられていて、その内容は重くも感じられます。しかし、そこで話される話を聞いていると、単にロシアと聞いて全く異なる世界、外国の人々というイメージが変わって、私たちは皆同じ人間で同じようなことを感じ、考え、同じように悲しみを感じ、それを乗り越えて今を生きている。そんな姿を見るとロシアが今までよりもずっと近い世界に感じるかもしれません。

駐在している頃は、職場のロシア人スタッフとは仕事の話がメインで、なかなかお互いの本音を語り合う機会は少なかったのですが、仕事の利害関係とは離れて付き合う友人や旅先で出会うタクシードライバー、地元の人々とのとりとめのない会話。そんな会話の中に仕事とはまた別に、人としての重要な学びがあったと感じています。これこそ日本を離れて海外で生活し、人々と触れ合うことから得られる醍醐味かもしれません。

冒頭に貼付されているシベリア鉄道の旅物語。そこで働く女性たちや乗客たちの言葉。一人ひとりがいろんなものを抱えて列車に乗っている様子が映し出されています。学生時代に初めて訪れたロシアは、富山県から船でウラジオストクへ渡り、ウラジオストクからモスクワまでのシベリア鉄道でした。行きのモスクワまでの道は一週間ノンストップの旅。帰りは途中下車しながらの旅となりましたが、合計2週間のシベリア鉄道の旅は楽しく、あっという間に過ぎてゆく時間。ロシア語単語を一つ一つ教えてもらったり、子供たちとトランプをして遊んだり。ウォッカを飲んで盛り上がる夜の時間。出会っては別れを繰り返して目的地までの過ごす日々はあっという間でした。この動画を見ると、すっかり車両は新しくなっているようで、当時のおんぼろな鉄道と比べたらずっと快適そうな様子。一週間シャワーを浴びないためにツーンと鼻にくるロシア人のあの独特の匂い…さすがにそこまでは画面からは感じられませんが、あの匂いが少し思い出されました。

ここに登場するシベリア鉄道で働く女性の言葉によれば、給与は決して多いものではなく、2週間の勤務で20,000ルーブルの収入(現時点の為替レートで日本円に換算すると約3万円)。そこから2週間分の食事など必要なものを差し引くと手元に残るのは約14,000ルーブル(約2万円)。「年金は17,000ルーブル(約2万5千円)、アパートの家賃を支払い、少し他に必要なものを購入すれば…お金は足りたものではない。働かないと。人に何かをあげたり、欲しいものを買いたいじゃない」と。別の女性は、「息子を亡くしてしまい家には自分ひとり。鉄道で働くと家から遠く離れることができて、出会う人たちと談笑できる」という。さらに別の女性の話では、「今はどこもかしこもお金お金お金…(笑いながら)プーチン大統領のせいで物価が上がっている」と。「問題はお金が足りないこと。家族を置いて働きに出ないといけない、家には奥さんや子供が置いてゆかれ、彼らは寂しがっている、これが問題だ」と。

友人曰く「人は生まれた時の環境ですでにその将来が左右される」と言います。確かにその通りだと思います。たまたま自分自身は日本に生まれたけれど、もしかしたら、例えば北朝鮮に生まれていたかもしれない。自分ではどうしようもできない枠組みの中で自分の人生が閉じ込められていたかもしれない。動画にも出てくる若者が言っているように、(ロシアにはネガティブな部分もたくさんあると思いますが)「我々ロシアの人々は素晴らしい。ロシアは世界で一番大きな国、豊かな歴史を持つ国。詩もあれば偉大な作曲家もいてバレエもある。人々はお互いに助け合いながら生活している。」良い面を観察して、そんな風にポジティブな見方をする人もいれば、自分の国や環境を悲観的に見る人もいる。そもそも人は皆平等で、不公平さが無い世界で生きることが本来の姿であるはず、と思いますが、今の世界ではどうしようもできないことが多くある。そんなことよりも、自分でコントロール可能なところに目を留めることの大切さ。今の自分が得ているものを当たり前と思わずに感謝できる気持ちを大切にしたり。また、家族との絆を強くしたり、いざという時に頼れる友人を持つこと。自分自身が没頭できる好きなことを持つこと。そのように自分のすぐ周りにこそ、ー その規模は決して大きくないとしても ー 自分で物事を何とか好転させることができる要素がまだまだあるのかもしれない。そんなことをモスクワでの生活を通して、またこのような動画から感じることができました。

モスクワのアパートのルームツアー / Как живут другие

モスクワでアパートメントを借りる時には家具付きのアパートに入り、数限られた候補の中から間取りや、気に入った家具があるのか、最低限これを、あれを足してくれないかと交渉して追加してもらったり。自分好みにぴったりの物件に当たることは少ないのかもしれませんが着任してから1~2か月の間に決めてアパートに入居することになるのが一般的かと思われます。駐在している間に計3つのアパートに住んだ経験からすると、オーナーによっては日常生活の中で発生するトラブル対応が異なりますので生活のしやすさも変わってきますし、隣人は選べない。集合住宅ならではの難しさも感じました。きっとこれはどの国に行っても同じことかもしれません。

私がモスクワにいた時には日系企業でアパートメントを紹介、契約をサポートしてくれる仲介業者がいて日本語で対応するサービスを展開していました。ロシアにも同様の企業がいますし、インターネット上でアパートメントを探すのも非常に容易となっています。日系企業のサービスには残念ながら満足できず(アパートの契約延長時期が過ぎてしばらく経ってから「そろそろ契約更新の時期ですがサポート必要であればご連絡ください。」との手紙。こちらはすでに直接オーナーと連絡して契約更新済みなんだけど…。別の時には駐在員アパートを契約解除する際、契約書に明記されているにも関わらずデポジットの返却に一向に応じないオーナーとトラブルが生じました。期待していたサポートもいただくことができず、結局自らオーナーとやり取りすることに…。ドイツにいるというので、きちんと時差も考えて早朝を避けて電話したつもりが「こっちは朝の何時だと思っているんだ!いい加減にしろ!」と怒鳴れたことも思い出されます。こっちだってお金を返してくれと言ってるんだ、それだけだ、ちゃんと契約書に記載があるじゃないか!と言い返してみたり。ドキドキしながらも度胸試しの良い訓練となりました。)、結果的にアパートメントを探すのは、可能であれば自分で直接行い(どんな物件があるのだろう、と楽しみながら行うのが重要です)、会社スタッフのサポートを得ながら契約を進める。これが一番満足のゆく、効率的な方法であったな、と感じています。

モスクワに住んでいてのトラブルの例としては、以下のような出来事がありました。

すでに眠りにつこうとしてベッドに横になっていた23時過ぎ。いきなり上の階から部屋の中でバンドの練習か?!、と思われる音が。明らかにマイクを通した女性のボーカルの歌が聞こえてくる。しばらくすると別の隣人と思われる女性の怒り狂った声。どう考えてもこの時間にこのボリュームで遠慮なく…それは無いよな、と。ロシア人の友人宅に遊びに行った時には、上の隣人が夜中に大音量で音楽をかけていて、歌詞もとても子供に聞かせたくないようなものだったと。ということで数回警察を呼んだことがある、と言ってました。その家族はモスクワ生活にうんざりの様子で今ではすでに別の国に引っ越しましたが、同じロシア人と言ってもモスクワに憧れてやってくる者もいれば去る者もいる。モスクワに対する反応は様々です。引っ越した2件目のアパートメントでは部屋に入るには、まず隣人との共通の扉があり、それを抜けると左右にそれぞれの住人が住む部屋への扉がありました。お隣のおばあちゃんは、初めての挨拶で緑茶を渡すと大変喜んでくれて、いきなり自分の部屋の中をくまなく案内して見せてくれました。「ここはキッチン、こっちはリビング。いつもここの椅子に座ってゆったりしているのよ…」どんな会話があったか具体的には忘れてしまいましたが、ロシアではよく見かけましたが、冷蔵庫には旅行先の街で購入した(あるいはお土産でもらったであろう)マグネット、所狭しと並んでいるモノの数と少し匂うキッチン。そんなロシアの庶民的なといっていいのでしょうか、そんな生活を垣間見たものでした。その後はすっかり顔を合わせることもなく1,2年後だったか過ぎました。とある日、友人を連れて部屋に戻ると、いきなり「(共有の入り口の扉を指して)ドアが壊れた、どうしてくれるの、あんたがやったに違いない!どうしてくれるんだ!」といったすごい剣幕で罵倒されました。かつてニコニコして部屋の中を見せてくれたおばあちゃんとは思えないくらいに怒り狂った様子です。友人が「まあまあ落ち着いてください。」といって何とかなだめていましたが、こちらもいきなり言いがかりをつけられると怒りたくもなります。「気にしちゃダメだ、こういうのはどこにでもいるから落ち着け」と。私たちはその場をうまく切り抜けましたが、その次の更新時には次のアパートに出ることにした一つのきっかけともなりました。

新たな仕事に不慣れな中、同時並行でアパートを探すことは決して容易なことではありませんが、せっかくのロシア生活。可能であれば色々な物件をチェックしてみることはモスクワのアパート事情を知る上でも貴重な経験となるに違いありません。

私の勝手な見解ですが、街中で綺麗な恰好をしている男性、女性、スタイルも良いので普通に見てもとても素敵に見えますが、彼らの一体どれだけの人たちが本当に裕福に生活しているのかはいつも疑問に思っていました。劇場で綺麗に着飾った様子の人たちを見ても、その大半は家に帰ると貧しい部類の生活をしている人が多いのではないかと、そう思ってなりません。私も付き合っているロシア人の大半は決して裕福ではなく、仕事もない、という人も少なからずいましたが、それでもたくましく生きている姿が印象に残っています。むしろ裕福に生活している不自由のない日本人の生活よりもずっと彼らの毎日の生活がたくましく見えることもありました。

以下は時々チェックしているロシアのルームツアーのYoutubeチャンネル。

この動画は一例です。庶民的な内容でやり取りが面白くて見入ってしまう。なんだか微笑ましいです。限られた予算の中でどれだけ自分好みのスタイルに整えたかを伺えます。

一方、以下のYoutubeチャンネルはエレガントな様子。ここまでお金を出せる人は少ないに違いありません。果たしてこんなアパートメントを購入するにはどれだけの収入が必要なのか、どれだけのローンを組む必要があるのだろうか…限られた人に許された選択肢ではないかと想像しながら眺めています。

このチャンネルオーナーの夫婦のルームツアーの様子。とても素敵なアパートメントの様子が紹介されています。

駐車場に車を停める際に分かる、自分の権利と適度な人間関係 / Parking your car in the parking lot can tell you having the good balance between own rights and good relationships with others

小さな会社になればなるほど、そこで働く人たちの人間関係は時として辛いものとなることはご想像の通りです。駐在員であれば、小さな会社の中でさらに小さな小さな日本人社会という囲いの中で生きています。駐在してから初めての本社出張の際には、本社で子会社を管轄する部長に個別に呼ばれ、「人間関係は大丈夫?社長とはうまくいっている?いつも本社に出張する駐在員に必ずこの点を確認しているんだ」と。上手くゆかずに精神的に辛い思いをしてしまう人もいるようでした。幸いにも私は人間関係には恵まれており、また、営業系の駐在員が多い中で管理部門の責任を持つ立場である、という点で日本人の囲いから外れて自由に仕事ができていた気がします。日本人だからこその悩みを語り合い、耳を傾ける場も大切と思いますが、同じ人間といつも一緒に語っていても得るものは限られます。同じ日本人といっても適度に付き合いのバランスを取ることは大切だと思います、不要と思われる付き合いは断っていました。日本の階層社会で生きる会社員としてそれが正解なのかは分かりませんが…。自分の気持ちに正直でいる。それが心を病まない最善の方法だと信じています。

さて、ロシア人スタッフも狭いコミュニティの中で働いています。きっと、会社の雰囲気に合わない人間は自然に会社を離れていくからだと思いますが、社内で働いているロシア人スタッフはそれぞれに自分の居場所を見つけていたようです。毎回新しいスタッフが入社してくると、どのように既存の仲間と知り合い、自分の居場所を見つけてゆくのか興味深く観察していましたが、人それぞれ。一人でいることを好むスタッフはランチを社内の休憩スペースで取ったり、外に食べに行ったり。昼食の時間はフレキシブルでしたので、仲の良いスタッフ同士でランチを取る場合には時間を決めて皆でランチを楽しく取っていたり。朝から「今日はデリバリーのランチを食べよう!」といって「私は何を注文しようかなぁ」と仕事中に盛り上がっていたり。「(スタッフ共有の)冷蔵庫に入れていた、私のものを誰か勝手に取ったでしょ!ひどい!」なんて怒り心頭のメールが社内全員宛てに飛んできたこともありましたが…。小さな会社での人間社会を観察することも良い勉強となりました。

狭い世界での上手な人間関係を築くにはどうすればよいのか?駐車場で車を停める時、そのヒントがあった気がしました。私の駐車スペースは両側を別の住人の車に挟まれています。そのスペースに車を停める時、お隣の車がやたらとこちらのスペースに寄っていたり、別の日には離れていたり。お互いに白線の内側が自分のスペースなのでその空間をどう使うかは自由です。しかし、もしこちらと相手の車のスペースが白線を境に近づきすぎていればお互いに心地よいものではありません。車を乗り降りする時には窮屈になり、相手の車にドアをぶつけないかと神経を使います。そんな時には白線から離して車を停める。相手の車が今日は白線から離れていればこちらは白線に近づけて停めてもOK。線の中が自分の権利。でも、その日によって相手がこちらに近づきすぎている時もあればそうでないときも。そんな時には相手との距離感によってその白線の間の自分の立ち位置を調整する。人それぞれが白線の内側をどう利用するかは自分の権利であり、自由である。相手がどうであろうと関係ない。そう言ってしまうと、それは正論ですが、小さな人間社会で生きてゆくにはどこかで行き詰まってしまう気がします。権利ばかり主張してしまうと相手が車に乗る時に苦労する。自分が先に停めた場合、きっと相手も自分の停めている距離に合わせて調整してくれているかもしれません。

全く止まっていない時には逆にどうしよう、なんて思ってしまうことだってあります。基準がないから自分の権利を存分に利用することができる反面、合わせるところが無いから逆にそれに戸惑いを感じることも。人間は必ずしも完全な自由があるよりも、他人との関係から自分の在り方を探るほうが容易なのかもしれません。

こんなことを車を停める中で感じたものでした。